TOP > 特別インタビュー『電子の標的―警視庁特別捜査官・藤江康央―』の著者・濱嘉之が語る作品世界と日本の「今」

特別インタビュー『電子の標的―警視庁特別捜査官・藤江康央―』電子書籍化
警視庁公安部OBの著者・濱嘉之が語る作品世界と日本の「今」 詳しくはこちら

  • 01「電子」が牽引する捜査技法
  • 02墓場まで持っていくしかない
  • 03犯人の立場から見た物語を

犯人の立場から見た物語を

――このところ、中央官庁や衆参両院や防衛関係の企業・団体がサイバーテロに見舞われていた事件が大きく報じられています。濱さんは危機管理コンサルティング会社の代表を務めてもおられますが、どうご覧になっていますか。

 たとえば三菱重工業がサイバーテロに遭った事件は、本来ならハイテク犯罪だからということで生活安全部が手がけていいはずなのに、実際は公安部がやっているでしょう。そのことに気づいた方もいらっしゃると思いますが、要するに当局はこれをはっきり外事事件と捉えているということです。決してただのハイテク事件ではないよ、と。
 ひとつ言えるのは、やはり日本が“緩い”ということです。法律そのものが甘い。スパイ防止法がない。それが最大の問題です。一例を挙げますと、アメリカやインドでスパイ容疑をかけられて追放された中国系の企業が、著名な経済団体の中に入っていたり、上場したりしているんです。そして日本の情報通信会社がそこと契約し、部品を買っている。となると、かりにモバイル端末やソフトにスパイウェアが仕込まれたら、情報がすべて盗まれるといったことになりかねません。そんなことをやろうと思えばできてしまう会社が堂々と大手をふって闊歩している。それが日本という国なのです。
 官公庁では、個人が使用するパソコンを職場に持ち込んではならないというのがおおむね原則になっています。しかし、自宅で仕事をする人は多いし、それを止めるわけにもいきません。そうした人が自宅のパソコンから職場の端末にデータを移す際、USBメモリーを使っていたとしましょう。そのメモリーにスパイウェアが仕込まれていたら、あっという間に職場の端末はスパイウェアに支配され、官公庁の様々なデータがネットを通じて盗み出されるといった事態を招きます。そうなってからではもう遅い。実際、国会議員のIDとパスワードは盗まれ、議員らがやりとりしているメールや文書が事実上“見放題”になっていたようですし、通信行政を所管する総務省まで被害に遭っていたことがわかっています。洒落にもならない話です。スパイをあくまで「防止」する法制が必要なのに、日本にはまったくないからこうしたことを招くと言えるのです。

――2010年10月、日本におけるイスラム過激派の動向などに関する捜査資料がインターネット上に流出していることが確認され、大問題になった「警視庁国際テロ捜査資料流出事件」は記憶に新しいところです。資料を内部から流出させた犯人はいまだ見つかっていません。この件はいかがですか。

 この一件が明るみに出たときの公安総務課長は参事官として公安部に残りました。これは、彼の双肩に事件解決への期待と要請がかかっていることを表していると思います。が、なかなか難しい事件であることに依然として変わりはないでしょう。
 流出した、優に100点を超えるファイルを見ていると、いくつかのことに気がつきます。まず、捜査員の名簿が流出しているのですが、不思議なことにイスラム原理主義組織の情報収集を担当する外事三課の捜査員の名簿は含まれていません。そこから推測できるのは、資料を流出させた人間が、外事三課員という“直の当事者”にはそれなりに気をつかったのではないか、ということです。もちろん単なるひとつの推測に過ぎませんが。
 また、流出したのは公安機動捜査隊の警部の名簿だったりするのですけれど、情報に対するアクセス権限にきわめて神経質な公安部内で、公機捜の警部の個人情報を閲覧できる人間は非常に限られているという事実も見逃せません。閲覧できるのは警部以上、それもヒラの警部ではダメで、庶務担当か事件第一担当の警部のみに限られます。
 さらに、流出したpdf形式のファイルはジャストシステム社の「PDF Creator」というソフトを使って作成されていて、そのバージョンは比較的初期のものであることがファイルの属性からわかります。2006年に販売中止となったPDF Creatorの初期のバージョンを使っているのは、結構マニアックな人間なのではないか、などと考えることも可能です。公安部はある程度、怪しい人間の絞り込みができていると思うのですが、しかし、何か乗り越えられない壁があって捜査が進展しないのでしょう。たとえば、関係した者が警視庁内部だけなのか、あるいは外にもいるのか、そんなあたりの見極めがついていないのではないかと思います。

――古巣の警視庁、あるいは公安部のことをどう見ていますか。

 警視庁や公安部だけに限った話ではありませんが、だんだんみんな小ぶりになっているように感じます。個人情報保護法なども制定され、捜査上、難しい問題は多々出てきているのだとは思います。しかし以前はもっといろんなことが大胆にできて、それに対して周囲はおおらかでもあったのに、いまはやはり小ぢんまりとまとまり過ぎていると言いますか……。自転車盗の摘発が警察官にとってのスタートになっているわけではありませんけれど、被疑者に声をかけ、話をする練習にはなるんです。だから、自転車に乗っている人にどんどん声をかける。それができるようになったら、次に歩行者に声をかける。で、泥棒を見つけられるようになっていく。ところが今はなんだか、いつまで経っても自転車自転車、そんな警察官もいます。とはいえ、勝負や難所を極力避けて小ぢんまりまとまる、今の自分の地位に安住して満足してしまうというのは、どこの世界でも共通して見られる現象なのでしょう。

――今後のことについてお聞かせください。

 僕にはまだまだ書いていないことがいっぱいあります。ひとつは犯人の立場から見た物語です。いずれ犯人側の視点で書いてみようと思っているのですが、そうしたらきっとまったく違う形の警察小説ができるのではないでしょうか。やくざ者にせよ、転落したエリート官僚やサラリーマンにせよ、共通項があると僕は考えています。それは、突然孤独になる瞬間がある、ということです。大王製紙の逮捕された前会長も、おそらくは孤独を感じた瞬間というものがあったのではないでしょうか。その時にヒョイと軽い気持ちで悪事に手を出してしまう。それが蜜の味になり、泥沼にはまってしまい、最後には自暴自棄になってしまう。しかし、自棄になりながらも「次はうまくやるんだ。次こそは挽回するんだ」などと考えるようにもなる。そのときはもはや、立派な犯罪者です。そういう連中が生き延びようと必死で足掻くところに警察や検察が絡んでくる。そんな物語を描いてみたいと思っています。

――ますますのご活躍に期待しております。本日はどうも、ありがとうございました。

撮影/インタビューカット・坪田充晃 その他・福田正紀 広瀬達郎