書評

2021年6月号掲載

日本の殺人事件の半分以上が「近親殺人」である

石井光太『近親殺人 そばにいたから

神田桂一

対象書籍名:『近親殺人 そばにいたから』(新潮文庫版改題『近親殺人―家族が家族を殺すとき―』)
対象著者:石井光太
対象書籍ISBN:978-4-10-132541-5

 重要なデータというものは、常にわかりにくいものであるし、隠れてしまうものである。マスコミがこぞって報道する殺人事件は、たいてい猟奇的なもの、無差別殺人、少年犯罪、劇場型なもの、など我々の理解の範疇を超えた暴力的なものが大半で、世の中では凶悪事件が増えているんだという錯覚を我々に起こさせる。
 しかし、日本の殺人事件の認知件数は、1954年の3081件をピークに減少を続けており、2013年には初めて1000件を下回った。近年では、800件から900件台で推移している。では、殺人事件の数が減ってどうなったのか。実は、家族内を主とした親族間での殺人件数は400件から500件台と長らく変わらず、むしろその割合が高まっているのである。具体的には、20年ほど前は全体の4割程度だったのが、近年では5割強だ。
 日本では、殺人事件の半分以上で、家族や親族が殺し合っている――。
 この事実、にわかには想像できず、うろたえてしまうほどだ。今まで誰も注目してこなかった盲点でもあるし、『近親殺人』(タイトルのこの言葉自体が著者の石井光太氏の造語)には、現代日本が抱える社会問題の縮図が映し出されている。著者の目の付けどころの鋭さには、本当に毎回驚かされる。
 殺人事件としては決して耳目をひく内容ではなく、静かに、閉じられた家族の空間で起こる事件である「近親殺人」にこそ、現代社会の闇をひもとく本質が隠されているのである。
 この本には、「近親殺人」の例として、7つの事件が紹介されている。それぞれの事件には、内容がサブタイトルとして付記されており、〈介護放棄〉、〈引きこもり〉、〈貧困心中〉、〈家族と精神疾患〉、〈老老介護殺人〉、〈虐待殺人〉、〈加害者家族〉と、日本のどの社会問題と関連付けられた事件であるかわかるようになっている。
 どの章から読んでもらっても構わない。すべてがその背景に思いをはせざるを得ない殺人事件だ。ひとつ共通することは、どの事件にもこれっぽっちも救いがないことだろう。
 日本国、待ったなしである。この救いのなさこそが、ノンフィクションのリアリティである。処方箋をもらえない病院みたいなものである。ただ、診断を下されるだけ。
 それを正面から描き切った石井光太氏の筆致には迫力があり、それを受け止める読者も相当の体力と精神力が必要となるが、文章は読みやすく、あっという間に私は読み切った。どちらにしても、これを読まなくてはスタートラインにさえ立てない。ぜひ万人が読むべき書物だと思う。
 とりわけ、私の心に響いたのが、「はじめに」で紹介される、メディアでも大きく取り上げられた、熊澤英昭元農水省事務次官が引きこもりの息子を殺害した事件と、2章の「父は息子の死に顔を三十分見つめた 〈引きこもり〉」である。
 熊澤事務次官のほうは、ご存知の方も多いだろう。後者は、息子が統合失調症になり、家庭内暴力や借金の末に、両親が疲れ果て、このままではこっちが殺されると、父親が息子を殺害した事件である。
 両方の事件に共通するものは、家族ゆえの愛が、殺意に向かうということである。世間に迷惑をかけた責任をとる、楽になってほしい、に向かえば殺人になり、迷惑をかけたくない、楽になりたい、に向かえば自殺になる。一緒に楽になろう、に向かえば心中である。
 なぜ引きこもりの話が心に響いたかと言えば、私の友人に引きこもりがいるからだ。一歩間違えれば、とも想像してしまう。だが、それぞれに家族の形はある。仮に友人をAとしよう。大学受験に失敗してそのまま引きこもってしまった。夜中にコンビニにだけは出かけるとご両親から聞き、車で張り込み、Aを捕まえて、無理やり家に上がり込んで説得を試みたこともあった。それから何度か、Aの家に足を運んだが、ことごとく失敗に終わった。
 去年末、久しぶりにAの家を訪ねてみた。父親が出た。
「少し前から新聞配達のバイトを始めたんですよ。本人も楽しんでやってるみたいで、ちょっと安心しているところなんです」
 同じ土俵で語ることは危険だが、最後にちょっと救いのある話をしてこの文章を終わろうと思う。

 (かんだ・けいいち ライター)

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