書評

2021年6月号掲載

悲しみの連鎖を断ち切って

梓澤要『華の譜 東福門院徳川和子

大矢博子

対象書籍名:『華の譜 東福門院徳川和子』(新潮文庫改題『華のかけはし―東福門院徳川和子―』)
対象著者:梓澤要
対象書籍ISBN:978-4-10-121185-5

 かなり前の話で詳細は覚えていないのだが、後水尾天皇と東福門院和子(まさこ)を「寛永の華」と称した展覧会の資料を見せてもらったことがある。
 文化芸術・学問を愛し、寛永文化を牽引した後水尾天皇。着道楽や押絵で知られ、寛文小袖を流行させた和子。桃山時代の豪華絢爛さを継ぎつつ、乱世終焉後ならではの格調高さを併せ持ったこの文化は、なるほど、確かに「華」だ。
 しかしその華たる寛永文化の起点は朝廷を蹂躙した江戸幕府への怨嗟であり、親子の相克への嘆きであったとしたら――その華の色は涙と血で染まったものだとしたら、どうだろう。見方は大きく変わるのではないか。
 梓澤要『華の譜 東福門院徳川和子』は、二代将軍・徳川秀忠の五女として生まれ、後水尾天皇に嫁いだ和子の物語である。
 朝廷をコントロールするため、和子の入内を画策した徳川幕府。だが皇位継承に口を出したことで後陽成天皇は怒り、徳川が次期天皇に推した第三皇子・政仁(ことひと)親王(後の後水尾天皇)との間に大きな溝を生んでしまう。
 さらには和子の入内までに後水尾天皇が女官およつに皇子を産ませていたことが発覚し、その女官と近親者を追放。加えて、幕府が後水尾天皇のために造営した御所は、本来儀式を執り行うための正殿の前に能舞台が設えられるという、「政治には興味を持たず遊んでいろ」と言わんばかりのものだった。
 つまり後水尾天皇は徳川のせいで、父に嫌われ、愛する女性や子どもと引き裂かれ、頭を押さえつけられる暮らしを余儀なくされたわけだ。幕府の金がなければ朝廷は立ち行かず、従うしかない。そこに徳川から賑々しく女御がやってくる。「飼い殺しにしてやる」と思うのも無理はない。
 しかし和子は持ち前の素直さと明るさで少しずつ後水尾天皇の心を溶かし、子をもうけるまでになる。もちろん苦労も絶えなかった。慣れない宮中のしきたり、気が強い夫と朝廷を押さえつけんとする幕府に挟まれる日々、ようやく恵まれた皇子の早逝、紫衣事件、知らぬところで行われていた幕府の陰謀......和子の前に、次々と悲運・悲劇が立ち塞がった。
 だがそれだけなら年表を追うに過ぎない。本書の特徴は、それらを「親子」という視点から描いたことだ。
 親から徹底的に嫌われた後水尾天皇。その母で、息子と夫の確執に心を痛めた中和門院。政治の道具として親に利用された和子。夫の豊臣秀頼を自分の祖父・家康に殺された千姫。徳川のせいで日陰の身になったおよつの娘。親から疎まれた三代将軍・家光。その弟・忠長は両親に溺愛された末に捨てられた。
 そして親に翻弄された後水尾天皇と和子が親になったとき、今度は娘や息子を道具として使う側になるのだ。なんという不幸の連鎖だろう。
 和子に限らず政略結婚に使われた女性は「板挟み」や「仲をとりもつ」という視点で描かれることが多いが、親子というフィルターを通したとき、浮かび上がってきたものの多さに愕然とした。
 中でも上手いと思ったのは、夫・後水尾天皇と兄・家光という和子が愛したふたりを、ともに「親に愛されなかった子」として並べたことだ。いずれも有名な話なのに、本書を読むまで繋げて考えることをしなかった。朝廷と幕府、それぞれのトップに立つ人間がともに同じ苦しみを抱えて、シンパシーを感じる。この悲しい構図に心が震えた。
 さまざまな親子の相克を目の当たりにしてきた和子。畢竟、政略結婚とは親に翻弄された子どもの話なのだ。そして東福門院和子という女性は、その親子の相克という不幸の連鎖を断ち切ることに生涯を費やした女性なのだと、初めて腑に落ちたのである。他の女官の産んだ皇子を養育したことも、不遇をかこっていたおよつの娘を気にかけたことも、幕府の策謀に異を唱えたことも、はては衣装狂いと言われるほど派手な衣装を多く作ったことまで、すべてはそこに帰着するのだ。
 どうかこの物語で、自分のみならず周囲のすべての親子の相克をひとつずつ乗り越えようとする和子の生涯を、つぶさに追っていただきたい。
 それがどう寛永文化に結びついたのかがわかったとき、読者はそこに彼女の、いや、彼女を含む多くの悲しい子どもたちの切なる思いが込められていることに気づくはずだ。

 (おおや・ひろこ 書評家)

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