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特別掲載・小林信彦インタビュー

ぼくは幸運だった(抄)

――『決定版 日本の喜劇人』巻末付録より

――『日本の喜劇人』は雑誌「新劇」の一九七一年六月号から翌七二年三月号まで連載されました。七二年に最初の単行本が出て以来、名著の証でもありますが、〈定本〉〈文庫版〉など何度か版が新たになり、そのたびに加筆・改稿されてきました。いよいよ今回はその名の通り、『決定版』の刊行です。

小林 思い出話をすると、この本の新しい「あとがき」を書いたばかりなので、どうしても重なることが多くなりますが......。『日本の喜劇人』を書いたのは、「新劇」に連載する何年も前に、古波蔵保好さんに唆されたのがきっかけなんですよ。古波蔵さんも映画好きで、ぼくは編集者(「ヒッチコックマガジン」編集長)だったから、あれこれ喋っているうちに、「ご覧になってきた喜劇人について書いてみませんか」と誘ってみたんです。
 当時、「日本喜劇人協会」が出来て、エノケン、ロッパはともかく、やたらと金語楼などの幹部連中を持ち上げていましてね。あれはおかしい、ちゃんと過去の仕事は押さえるにしても、いま面白い人を評価しないといけない――。そんなことを喋っていたら、古波蔵さんが「それは君が書くしかないよ」と。ぼくもロッパ、エノケン、高勢実乗なんかは一九四〇(昭和十五)年頃から生で観てきたし、森繁がのし上がってきたのも高校生の頃に目の当たりにしたし、クレイジー・キャッツもそんなに売れてない頃からジャズ喫茶で観ていたしで、自分が長年実際に観てきたことを基にすれば書けるかな、と思ったんです。
 それで『喜劇の王様たち』(一九六三年。『世界の喜劇人』の原型)を出した後、次は『日本の喜劇人』だなと思って、いくつかの雑誌へ話を持ちかけたんだけど、どこも「面白いと思うけど、うちではちょっと......」という反応でした。そのまま何年かたって、『笑う男 道化の現代史』(七一年)を出す時に、版元の晶文社の中村勝哉社長と津野海太郎さんに新宿でご馳走になったんです。「次は何をやるんですか」と言うので、この話をしたら、津野さんが「それはうちでやらなきゃダメだ!」って飛びあがるような勢いで言ってくれた。彼が「連載する雑誌を探しますから」と言って、翌日には「新劇」の編集長から電話がかかってきましたよ。ぼくが「自分の好きなように書くから、迷惑かけるかもしれませんよ」と念を押したら、編集長が「うちは変わった意見は全然オッケーです」って(笑)。
 時折、『日本の喜劇人』は作者の〈青春の終り〉〈青春の挫折〉の小説みたいだと評されもするのは、これを書いた時、ぼくがもう三十代の終わりだったことも関係しているのでしょう。

――『日本の喜劇人』の最初の構想から実際の執筆まで数年かかったわけですが、その間、小林さんはテレビの台本を書かれたりして、いわば〈幕内〉の人間だった時期があります。

小林 編集者時代から面識のあった井原高忠さん(日本テレビ)に誘われて、四年ほど(六五〜六九年)ヴァラエティ番組の台本を書いていました。でも、それ以前から出演したりして、テレビの世界とはあれこれ関係があったんです。
 ぼくが幸せだったのは、この本に登場するような、いちばん優れた喜劇人たちと知合いになれたことですよ。「映画評論」に載せた「喜劇映画の衰退」(のち『喜劇の王様たち』『世界の喜劇人』所収)という長い喜劇映画論、ギャグ論を読んだ永六輔が、NHKの末盛憲彦ディレクターと一緒にあらわれて、『夢であいましょう』でギャグ特集をしたいんだ、と言ってきました。一九六一年夏のことです。
 ぼくの評論を原案にして番組を作るんだろうなとのんびり構えていたら、永さんは「あなたが出演して、解説と実際のスラップスティックを見せてみてよ」なんて言う。おかげでぼくは黒柳徹子さんと永さんからパイをぶつけられたり、プロレスラーのユセフ・トルコとミスター珍に水槽へ投げ込まれたりしました。土曜夜の人気番組でそんなことを五週にわたってやったものだから、会社の旅行で伊豆へ行った時、小学生たちがぼくを指さして笑うんだ。会社員として、これはまずい(笑)。でも、おかげで『夢あい』のスタジオで、レギュラーだった渥美清と出会うことができた。ぼくが何者かわからないけど、とにかく〈笑い〉が好きそうなので興味を持ったんでしょうね、渥美君が近づいてきて「金が欲しいねえ......」と呟いたのを覚えています。それからのことは『おかしな男 渥美清』(二〇〇〇年)に書きました。
 植木等さんとの付合いは、この本にある通り、一九六三年に取材のため、「週刊文春」の記者に渡辺プロの渡辺美佐副社長を紹介してもらったら、彼女から「クレイジー映画のブレーンになってくれない?」と頼まれた――というのがきっかけです。
 渡辺プロ社長の渡辺晋さんはミュージシャン上がりだから、クレイジー・キャッツでもザ・ピーナッツでも、次に何を歌わせたらヒットするかという見通しや勘は鋭いんだけど、ドラマ作りには弱いんですね。つまり、喜劇の設定やプロットではなく、ギャグを記憶しているだけなんです。だから、「植木にエノケンのあのギャグをやらせよう」というだけで、企画はうまく転がっていきませんでした。
 ただ、晋さんがそう言うから、東宝からエノケンの古い映画を借りてきて試写をやったんですよ。そこで観た『どんぐり頓兵衛』と『ちゃっきり金太』などが呆然とするくらい面白くて、エノケンというのは本当に凄かったんだ、偉い人なんだ、ということが初めてわかった。ただ困ったのは、その上映会にエノケンさん本人も来るんだ(笑)。
 まあ、そうやって面識ができていたおかげで、その後エノケンさんを井原さんの番組『九ちゃん!』へ呼ぼうという話にもなったわけです。そして井原さんによって『九ちゃん!』に起用されたのが、てんぷくトリオで、伊東四朗さんとの長い付合いもここから始まりました。萩本欽一さんと出会ったのも、この番組です。

――七二年に『日本の喜劇人』が刊行された時、こんなにも喜劇人の芸や歴史を明快かつ縦横に論じた本は前例がありませんでした。ここに登場する喜劇人たちの反応はいかがでしたか?

小林 よく書けば、「ありがとう」とは言わないまでも、友好的雰囲気にはなりますよね。本が出てから、わりとすぐ森繁さんが「会いたい」と言ってきたんです。六本木の小料理屋へ呼び出したぼくに向って、嘘かホントか、「あいつとは赤坂の芸者を奪い合って負けた」とか言って、田中角栄の真似をしてみせた(笑)。もちろん巧いものです。まだ角栄の真似がそんなに一般化してなかった頃だったから、「いい歳になっても、好きだなあ」と思いましたよ。森繁久彌の重みというのも、今ではわかりにくいかもしれませんね。ごく単純にいえば、〈ちゃんとした芝居のできる喜劇人〉でした。動きのスピードも速かった。かろうじて、DVDで全盛期の映画が観られるので、ご覧になってください。
〈ちゃんとした芝居〉ができなくてもいい場合もあって、たとえば、無手勝流の由利徹。ぼくは森繁久彌も由利徹も高く買っています。そうそう、『日本の喜劇人』をいちばん喜んでくれたのは由利さんでした。そりゃ、あの人はそれまで褒められたことがないもの(笑)。でも、ぼくのまわりはみんな由利徹が好きでしたねえ。
 一方、何でも勝手に書けばいいさと一切我関せずだったのが渥美清です。ただ、『日本の喜劇人』はまだ『男はつらいよ』が初期の段階で執筆しているから、ぼくとしては突っ込んで書けてないなと思っています。きちんと一章を割くべき人なのに、小沢昭一さんと対の扱いにしてしまっている。だからこそ亡くなった後に、『おかしな男 渥美清』を書いたとも言えますね。
 クレイジー・キャッツについては、この本が最初に出た一九七二年当時、彼らは下り坂にあったし、そもそもぼくが『植木等ショー』の台本を書き、映画の〈ブレーン〉だった以上、知り合って以降のことは書きにくかったんです。でもぼくはクレイジー・キャッツというか、植木さんのいわば〈追っかけ〉だったんだし、あんなに輝いていた時代を傍で観ていたんだから、もっと熱く書いてもよかったな、という悔いがありました。
 そこで再ブレイクした植木さんをクローズアップする形で年代記を書き、さらにほぼ全盛期までしか書けていなかった寛美さんの〈早過ぎる晩年と死〉を描いたのが『日本の喜劇人2』(最初は『植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代』として九二年刊)です。『日本の喜劇人』『日本の喜劇人2』二冊を併せたこの『決定版』で、ぼくの言いたいことはひとまず書き尽くせているかなという気がします。

――今回の新たな最終章では、最後に大泉洋に触れられました。

小林 まだ、大泉洋については可能性を感じるというだけで、はっきりしたことは言えませんけどね。彼が〈喜劇人〉を志しているのかも分からないし、何より優れた作り手と出会えるかどうかにもよるし、覚悟の問題もあるし。
 やはり、思い出すのは渥美さんのことです。渥美清は〈笑い〉の世界で勝ち抜くことしか考えていなかったけれど、やはり上り調子の時の山田洋次監督と出会ったことが絶対的に大きかったですよね。そんな出会いは彼の意志だけではどうにもならない。
 寅さんで成功してからの渥美清と、雨の降る肌寒い日、ばったり地下鉄で会ったことを今回、加筆してあります。「これから松竹へ行くんだ」って言うから、ぼくが「松竹もタクシーくらい用意したってバチは当たらないだろうに」と応じたら、うまい喩えをしました。「おれみたいな役をやってるのは、車に乗ってちゃダメなんだ。こうやってパチンコの玉みたいにのべつくるくる動いてないと、錆びついちゃうんだよ」。びしりと、そう言いました。彼だって、それまではタクシーに乗ってたんですよ。寅さんの役のために、意識して地下鉄に乗るようになったわけです。こういうことも〈喜劇人としての覚悟〉ですよね。


『決定版 日本の喜劇人』より抄録しました。


小林信彦 『決定版 日本の喜劇人』 978-4-10-331828-6

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