書評

2021年4月号掲載

「あしたの官僚」たちの物語

周木律『あしたの官僚』

周木律

対象書籍名:『あしたの官僚』
対象著者:周木律
対象書籍ISBN:978-4-10-336993-6

 官僚、という言葉に、人はどんなイメージを抱くだろう。
 企業から接待を受けながら政治家に忖度する極悪人? この国を背後から動かす黒幕? それとも事なかれ主義で出世し、天下りで甘い蜜を吸う不届きもの? ――はさすがに言い過ぎかもしれないが、少なくともそういう官僚が実際に存在していた(している)ことは事実であるし、だからこそ、そうしたイメージが生まれるのだろう。
 しかし一方で、実際に、一般的に官僚と呼ばれる人々≒霞が関で働く人々を知人や親類に持ち、彼らの実態をよく知っている(僕のような人間の)場合、そのイメージはかなり異なる。
 常に仕事に追われ、家族と顔を合わせる暇もないほど忙しい。体や心を病むことが多く、周囲には病気休暇中の者がそこかしこにいる。生活に困ることはないが、羽振りのいい暮らしからはほど遠い――。
 ここに、令和元年、厚生労働省の若手官僚たちが自分たちの業務や組織のありかたについて議論しまとめた『厚生労働省の業務・組織改革のための緊急提言』なるものがある。内容はウェブサイトで公表されているので、ぜひご覧いただきたいが、そこには実に衝撃的な言葉が並ぶ。
「入省して、生きながら人生の墓場に入ったとずっと思っている」「家族を犠牲にすれば、仕事はできる」「毎日終電を超えていた日は、毎日死にたいと思った」――どれも、将来は厚生労働省の幹部となるべき若い職員の言葉とは思えないほど悲惨で切実だ。提言では、20~30代の若手職員のうち41%が「やめたいと思うことがある」と考えていることも示している。彼らがどれだけ過酷な環境で仕事をしているかは、この言葉や数字が如実に表している。
「公僕が何を甘えたことを。税金を払っている我々が雇い主なのだ。馘にならないだけありがたいと思え」――そう宣う向きもあるだろう。確かに官僚は公務員であり、国民から集めた税金から報酬を受け働いている。雇い主類似の国民は厳しい言葉を述べる権利を持って然るべきだ。だが、だからといって彼らの働き方が過酷で当然とするのは誤っている。その論理に基づけば、国民はむしろ彼らが最大のパフォーマンスを発揮して働ける環境を率先して作っていかなければならないことになる。雇い主は、働き手の労働環境を整備する義務を負うからだ。もっとも、こんな心ない言葉が投げかけられるのも、彼らがダーティなイメージのつきまとう官僚だからかもしれない。
 だから――僕は、『あしたの官僚』を書いた。
 ダーティさと過酷さの、二面性を持つ官界という舞台は、一介のミステリ書きにすぎない僕から見ても興味深く、物語にしてみたいと思わされる魅力があったからだ。
 官僚モノとしては、すでに城山三郎さんの名作『官僚たちの夏』がある。登場人物たちの言動や仕事ぶりはダイナミックで、ドラマチックで、魅力的だ。もっとも、彼らのほとんどはいわゆる「課長級」以上であって、官僚の職業人生としては終盤を迎える人々だ。国家公務員総合職試験に合格し、省庁に採用された後、ああいった華々しい仕事をするまでには、係員、係長、課長補佐として、職業人生の過半に及ぶ長い下働きの道のりがあるのが現実だ。
 ならば、フォーカスするべきは彼ら、これから行政の屋台骨を背負う明日の官僚たちではないだろうか。『あしたの官僚』の主人公・松瀬を、官僚と認められる以前の、言ってみれば明日の官僚たる若手係長としたのは、そのためだ。
 物語では、松瀬がある問題に巻き込まれ、精神的にも肉体的にも追い込まれていく。もちろんフィクションだが、ブラックな実態については、むしろそのまま、わかる限りを生々しく書いた。オビにも「これが、官僚たちのリアルだ」と載せてもらった。そこまでではないにせよ、ある程度の現状は正しく描けていると自負している。
 明日の官僚たちは、官僚としての欲望を抱き働きながらも、打ちのめされ、官僚など辞めてしまいたいと絶望する。それでも官僚という仕事への希望はいまだ心の内に灯したまま、踏みとどまる――『あしたの官僚』は、あしたの職業人の物語でもある。ぜひ、職業を問わず20~30代の若い世代に読んでもらいたいと思っている。
 今年、内閣官房で、職員の1月の残業時間が平均122時間、最大で378時間であったことが明らかになった。一方で、新規法案の参考資料に45か所のミスがあり、そのミスを示す正誤表にも3か所の誤りが出てしまった。どうして、こんなことが起こるのか? ――その理由は、この物語を読めば、きっとわかってもらえるだろう。

 (しゅうき・りつ 作家)

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