書評

2021年2月号掲載

言葉の“型崩れ”への処方箋

川添愛『ふだん使いの言語学 「ことばの基礎力」を鍛えるヒント(新潮選書)

古田徹也

対象書籍名:『ふだん使いの言語学 「ことばの基礎力」を鍛えるヒント(新潮選書)
対象著者:川添愛
対象書籍ISBN:978-4-10-603862-4

 あるときニュースサイトを眺めていると、「藤井二冠を殺害予告疑いで追送検」という見出しが目に入ってきた。ぎょっとして記事の内容を確認したところ、将棋の藤井聡太氏が誰かの殺害を予告したのではなく、彼に対して殺害予告を行った者が追送検された、というニュースだった。
 いま、新聞やテレビなどでこの種の粗悪な見出しを目にすることは少なくないが、同様の問題はマスメディアに限った話ではない。学生が書くレポートの文章にも、SNSに日々投稿される文章にも、誤解を招く言い回しや意味のとりづらい言い回しが溢れている。川添愛さんの新著『ふだん使いの言語学』は、言葉のそうした型崩れに対して示された有効な処方箋である。

 普段私たちが言葉を使うときには、言葉の曖昧性や不確実性に巧みに対処し、多様な品詞を適切に区別して組み合わせるなど、高度な認識や判断を無意識的にこなしている。しかし、失敗することも少なくない。自分がなぜ失敗したのかを理解し、失敗を繰り返さないようにするためには、自分の言葉を意識的に見つめ直すことが必要となる。そして、そのように「自分の言葉をじっくりと振り返るときにこそ、文法の知識を意識的に働かせることが役に立つ」(七七頁)と川添さんは指摘する。彼女は、ご自身の専門である理論言語学の知見を活かしながら、私たちがどういうところで失敗に陥りがちなのかを診断し、その予防や治療の方途を提供してくれるのである。
 特に、本書において彼女は、「句や文がただの単語の並びではなく、部分的な「かたまり」の組み合わせで成り立つ「構造のあるもの」であること」(一三〇頁)に意識を向けよと促している。すなわち、「句や文を立体的に見る」(一三一頁)ことが、句や文を適切に捉えるための重要な契機を成す、というのである。
 たとえば、「社長のお気に入りの若い女性にも人気のレストラン」という、本書で扱われている例のひとつを見てみよう。この句は、「【社長のお気に入りの若い女性】にも人気のレストラン」として見るか、それとも、「【社長のお気に入りの】【若い女性にも人気のレストラン】」として見るかに応じて、意味が変わってくる。それゆえ、どちらの意味で言われているのかを正確に捉えるためには、この言葉がどのようなコンテクストにおいて発せられたのかによく注意する必要がある。また、自分が言葉を発する側であれば、そもそも誤解を生まないように、語の順序を入れ替えたり、適当な位置で読点を打ったりするなどの工夫が必要だろう。たとえば、「若い女性にも人気の、社長のお気に入りのレストラン」といった形に変えれば、誤解の余地はなくなるだろう。
 ほかにも、本書で川添さんは、言語的コミュニケーションの躓きとなりうる代表的なケースを取り上げている。たとえば、「あなたのせいで負けたんじゃない」が、負けた原因があなたであることを否定する意味にもなれば、逆に、それを肯定して責める意味にもなりうること。また、「日本人は~」や「女性は~」といった総称文――いわゆる「主語の大きい文」――がしばしば深刻なトラブルを引き起こすこと。あるいはまた、「他人に隠しておきたいことや、知られたくない思い......そういったことがちょっとした言葉遣いに漏れ出てしまうこと」(四〇頁)、等々。さらに本書では、「置き換えテスト」や「語順の入れ替えテスト」といった、文章の構造を分析するための助けとなる手法が、その限界も含めて丁寧に紹介されている。(これがどういうテストなのかは、ぜひ本書を読んで確認してほしい。)

 総じて本書は、母語を習得した後の私たちに必要な教育――いわば「第二の義務教育」(六頁)――を授けてくれる、すぐれて実践的な一書だ。川添さんらしく、構成もよく練られていて、第三章までで学ぶ系統的かつ多彩な内容が、最後の第四章で一気に総復習できるようになっている。
 本書を読み通すことで私たちは、どのような表現がまずいのかについて感度を高め、さらに、どうすれば表現を改善できるかについての基本的な知識を得ることができるだろう。そしてそれらは、いまの私たちにとってますます重要性を増している能力だと言える。というのも、普段の生活のなかにメールやSNS上のコミュニケーションが浸透しているこの時代、私たちは日々、十分なコンテクストなしに短い文章を発したり解釈したりすることを強いられているからである。

 (ふるた・てつや 哲学者)

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