書評

2021年1月号掲載

没後50年 三島由紀夫 Yukio Mishima 1925-1970

34冊! 新潮文庫の三島由紀夫を全部読む[中編]

特別企画 読まず嫌いのライターが挑む難関文豪!?

南陀楼綾繁

対象著者:三島由紀夫

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 「物語」を堪能できる長編

 三島由紀夫は生涯に三十三作品の長編小説を書いた(「女神」は新潮文庫では中編扱いなので除く)。新潮文庫で刊行されているのは、そのうち二十一作品である。それ以外の十二作品は現在、角川文庫で八作品、ちくま文庫で四作品が刊行されている。戦後に活躍した純文学作家で、すべての長編が文庫で読める作家はほかにいないだろう。
 注目したいのは、新潮文庫に入っていない長編が連載されたのが『婦人公論』『主婦之友』『婦人倶楽部』『マドモアゼル』『週刊プレイボーイ』などの女性誌・大衆誌や、読売・朝日など新聞の連載小説だったことだ。
 一方、新潮文庫に入った作品は、『永すぎた春』が『婦人倶楽部』、『獣の戯れ』が『週刊新潮』、『音楽』が『婦人公論』に連載されたことを除けば、『新潮』『文學界』『中央公論』などの文芸誌・総合雑誌に発表されるか、書下ろしで刊行されている。
 この点について、藤田三男は「純文学」と「大衆小説(エンターテインメント)」を峻別した作家だったと述べる。その証拠として、三島の場合、純文学作品は連載完結から間を置かずに単行本化されているのに、エンタメ作品は刊行までに数カ月かかっていることを指摘し、前者は「連載開始時にはすでにすべての決定稿が出来上がっていたのではないか」と推測する(『幸福号出帆』角川文庫、解説)。
 三島の生前、エンタメ作品は単行本の後は、角川文庫か、新書判のコンパクト・ブックス(集英社)、ロマン・ブックス(講談社)などで刊行されている。当時は文庫レーベルが少なかったこともあるが、三島に純文学作品は新潮文庫で出すという意識があったことは間違いないだろう。
 ただ、そうやって新潮文庫が三島作品の「定番」となった結果、三島作品に難解な印象が付きまとうことになったのは皮肉だった。
 私の場合、その印象が少し変わったきっかけは、1990年代半ばにちくま文庫が三島のエッセイ選や『幸福号出帆』『命売ります』などを出したことだった。その後、角川文庫でも『夏子の冒険』『にっぽん製』などのエンタメ作品を刊行している。
 だから、没後五十年を機に、新潮文庫が「三島は純文学に極上のエンタメ性を融合させた〈物語作家〉」だというコンセプトを打ち出したのは、むしろ、ちょっと遅かったというべきかもしれない。
 今回、「新潮文庫の三島全部読み」をしていくなかで、最初は独特の文体につまずき、観念的な議論についていけなかったりもした。しかし、三島の長編には現実のディティールが豊かに組み込まれていることに気づいてからは、意外にすんなり読めるようになった。
 以下、私が「物語」に没入して読んだ作品を挙げていく。( )内は単行本の刊行年である。

・恋愛の実験 『沈める滝』(1955年)
 電力界に権勢をふるう祖父のもとに育った城所昇は、財力と頭脳に恵まれ、何事にも酔わない青年だった。女に対しても一夜だけの関係ばかりだったが、不感症の人妻・顕子に魅かれる。彼らは会わずにいてお互いを苦しめ合うことで、「人工的恋愛」を実現させようとする。一種の放置プレイだ。
 昇は自ら望んで、建設中の奥野川ダムに技師として赴任する。三島は本作の取材のために、須田貝ダム(群馬県)と奥只見ダム(福島県・新潟県)を見学している。1950年代においてダム建設は、需要が増大する電力を賄うために必須の国策だった(電力と権力の関係については、田中聡『電源防衛戦争 電力をめぐる戦後史』〔亜紀書房〕に詳しい)。
 子どもの頃から石と鉄を玩具に育った昇は、ダム建設のための巨大な機械群を見てこう感じる。
「この異常な力、異常なエネルギー、異常な巨大さ、......昇はこういうものに携わる喜びを誇張して感じた。人間的な規模や尺度は、彼の心に愬(うった)えなかった。おそらくこんな異常な尺度、こんな逆説的な場所でしか、自分の中に人間的な情熱を発見できないことが、昇の宿命だったろう」
 雪深い自然と人工物との対比が美しく描かれるなかで、二人の「人工的恋愛」は悲劇的な結末を迎える。
 顕子のモデルとなったのは、赤坂の高級料亭の娘・豊田貞子。三島は1954年に彼女と出会い、恋愛に陥る。
 半世紀のちに貞子に取材した岩下尚史は、こう指摘する。
「"顕子"と云う女主人公の描写には、それまでの三島由紀夫が、實際、知る由もなかった"おんな"の現身である貞子さんを観察しながら、ある意味、熱中して造り上げたと思われる跡がある」(『直面(ヒタメン) 三島由紀夫若き日の恋』文春文庫)

・恋愛コメディの佳品 『永すぎた春』(1956年)
 この作品は小説より先に映画を観ている(1957年、田中重雄監督)。主人公の若尾文子が本郷の古本屋の娘で、業者の市に出て本を仕入れる場面が印象的だった。小説ではこうある。
「二階の板の間を四角く囲んで、座蒲団がズラリと並んでいる。それも綿の出かけたのや、すり切れて生地の光っているのが多い。座蒲団でかこまれた方形の一角に、机が三つ並んでいる。帳づけをする人がそこに坐るのである。荷主の名、つまり誰が売ったかを帳面に墨でつけてゆく役を山帳と云い、小柄な老人がつとめていた。誰が買ったかをつけてゆく役を『抜き』と云い、これには神主のような風采の中年者が当っていた」
 昔を知っている古本屋さんに聞いたところ、実際にこのような光景だったそうだ。三島が現場を取材したことがうかがわれる。
 ストーリーは単純。古本屋の娘・木田百子とT大法学部の学生・宝部郁雄は婚約しているが、結婚は郁雄が卒業するまでお預けになっている。当時の通念として、婚前交渉を拒まれていることもあり、「永すぎた春」の間に、二人の感情は一種の倦怠期に陥る。しかし、百子の従兄が不祥事をしでかしたり、二人のそれぞれにときめく相手が現れたりという事件に直面し、それを乗り越えることで、二人の絆は強くなっていく。最後は「幸福って、素直に、ありがたく、腕いっぱいにもらっていいものなのね」という月並なセリフで終わる。
 こうまとめると、いまどきのテレビドラマでも見かけない、甘ったるいお話に見えてしまうが、二人をはじめとする登場人物の心の動きがつぶさに描かれているので、最後まで飽きさせない。頭が回るが人情肌でもある宝部夫人と、ぼんやりしている百子の兄・東一郎がいい味出している。
 会話もしゃれていて、1930年代、フランク・キャプラ、ハワード・ホークスらが手がけた「スクリューボール・コメディ」と呼ばれる恋愛コメディ映画を想起させる。
 なお、1960年刊の『お嬢さん』(角川文庫)は、二十歳の女子大生が父の部下の青年と出会い、結婚相手として意識してからの騒動を描くコメディ。「いわゆる永すぎた春にならないように」婚約期間を短くするという一文から、『永すぎた春』の後日譚的な色合いのある作品だ。

・選挙というバカ騒ぎ 『宴のあと』(1960年)
 高級料亭の女将・福沢かづは、元外相の野口雄賢の過去を振り返らぬ態度に魅力を感じ、結ばれる。野口は革新党から押されて東京都知事選に立候補する。清廉潔白に戦おうとする野口の裏で、かづは選挙参謀の山崎と画策し、料亭を担保にして得た資金を票集めにつぎ込む。
 かづは選挙に勝てばすべてがうまくいくと信じて、恐るべきパワーを発揮する。それがたとえ夫の信念を汚すことになっても。
「かづの激しい感動には、いつも必ず不気味なものがあった。ひとつところで止まることを知らないこの活力は、それからそれへとつながっていて、悲嘆は思いがけない歓喜の発条(バネ)になり、又その歓喜が絶望の予兆になった」
 買収が行われ、怪文書が飛び交う選挙戦の描写は迫力がある。筒井康隆の『大いなる助走』に通じるようなドタバタぶりだ。
 しかし、野口は落選し、かづは「巨大な空虚」がやってくる予感に震える。
 三島は『青の時代』では光クラブ事件(東大出身の青年社長による闇金融会社が詐欺まがいの資金集めを行なった事件)を、『金閣寺』では金閣寺放火事件を下敷きにして、作品を書いた。
 本作では、1959年4月の都知事選で落選した有田八郎とその妻・畔上輝井をモデルにしている。執筆開始は同年11月だから、まだ生々しさが残っている。
 有田はプライバシーの権利を侵害されたとして、1961年に三島と新潮社副社長兼出版部長・佐藤亮一および新潮社を東京地裁に提訴。一審では三島側が敗訴したが、控訴。その後、有田が死去したことで和解となる。これは、日本で最初のプライバシー裁判となった。

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1961年5月、自宅書斎で

・UFOを待ち望む人々 『美しい星』(1962年)
 埼玉県飯能市の大杉家の四人は、それぞれが空飛ぶ円盤を目撃したことから、自分たちはほかの天体からやってきた宇宙人だと信じる。父の重一郎は「宇宙友朋会」を組織して、地球の平和を守ろうとする。
 一方、仙台の羽黒ら三人は地球の破滅を待望し、重一郎に論戦を挑む。私は中学生の頃、「三島が書いた唯一のSF」と聞いて本作を読んだが、後半で延々と議論が展開されるのに辟易した覚えがある。解説で奥野健男が「世界の現代文学の最前列に位置する傑作」と絶賛するのに、本当かよと思ったものだ。
 今回読み返しても、議論の部分は退屈だ。ただ、三島自身が空飛ぶ円盤に関心を抱いていたこともあり、重一郎らが雑誌を通じて啓蒙活動を行なう様子がリアルだ。また、娘の暁子が同じ金星出身だという青年に体を任せ、妊娠するが、男は姿を消すというエピソードは滑稽で悲しい。
 また、舞台となる飯能という町の描写もいい。
「街燈のあかりがまだ一列にのこる飯能の町から、六時の鐘音が昇ってきた。畑のみどりや蔵の白壁はみずみずしく、二三羽の鴉が目の前を斜めに叫びながら飛び過ぎた。西南には山王峠から南へ走る山々が揃って現われ、天頂の雲もすでに緋に染まっていた」
『三島由紀夫事典』(明治書院)によれば、「平凡な都市の中で、三島が飯能ほど詳細に描写した都市はない」という。
 三島はよほどこの町を気に入っていたのか、1968年に刊行した最後のエンタメ系長編『命売ります』(ちくま文庫)でも、主人公を飯能に向かわせている。

・「十四歳」の物語 『午後の曳航』(1963年)
 横浜に住む未亡人の房子は、息子で十三歳の中学生・登を不良少年と遊ばせないために、夜になると部屋の外から鍵をかける。登は部屋の穴から母親の寝室を覗き、母と航海士の竜二の情事を見る。登はたくましい体を持つ竜二を崇拝するが、竜二が船を降りて母と結婚することに嫌悪を感じる。
 少年団の「首領」は、「世界の空洞を充たす」ために、団員に猫を殺させる。登の訴えを聞いた首領は、竜二を人気のない場所に呼び出して、睡眠薬の入った紅茶を飲ませる。
 本作はこの場面で終わるが、三島は全裸にされた竜二が少年たちによって解剖される場面も原稿に書いていたという(井上隆史『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』平凡社)。
 十四歳未満の犯罪は刑罰に問われないことを知っている首領は、このように云う。
「『これが最後の機会なんだ』と首領は重ねて言った。『このチャンスをのがしたら、僕たちは人間の自由が命ずる最上のこと、世界の虚無を填めるためにぜひとも必要なことを、自分の命と引換えの覚悟がなければ出来なくなってしまうんだ』」
 十四歳で思い出すのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件だ。犯人のAが十四歳だったことや、動物を虐待していたこと、「さあゲームの始まりです」ではじまる挑戦状を送りつけたことなど、本作に重なる点が多い。
 この事件以降、貴志祐介の『青の炎』など、少年の犯罪を扱う小説が増えたが、『午後の曳航』はその先駆けだったと云えるだろう。

・高度成長の影 『絹と明察』(1964年)
 駒沢紡績の社長・駒沢善次郎は、家族主義を標榜し、工員を子として扱っている。しかし、駒沢が外遊しているうちに、工員たちは日ごろの不満を爆発させ、ストライキに突入する。
 本作は、彦根の近江絹糸で起こった争議をモデルにしたもの。旧来の家父長制を盾にしながら、高度成長を遂げていこうとする日本の企業の矛盾を描いている。
 田中美代子によれば、三島はこの作品について、「書きたかったのは、日本及び日本人というものと、父親の問題なんです。(略)この数年の作品は、すべて父親というテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描こうとしたものです」と述べている(解説)。
「父」である駒沢は浪花節的な俗物として描かれるが、「息子」や「娘」にあたる若い工員たちも結局は利己的で、どこにもヒーローはいない。
 その中で不気味な存在感を放つのが、岡野という人物だ。彼はフィクサーとして、裏から争議を操る。
「岡野の心が躍るのは、いつもこう行くとは限らぬが、他人が正に望んだような役割を果し、自分も亦、たまたまそこに居合わせて、自分の存在の役割にぴたりとはまる、このような瞬間である。岡野は正にそこにいた」
 ドイツでハイデッガーを学びながら、戦後は政界や財界を泳ぎ回って生きる岡野は、妙にリアルに描かれている。どこかにモデルがいたのだろうか。

・サイコ・サスペンスの先駆 『音楽』(1965年)
 精神分析医の汐見のもとに訪れた弓川麗子は、「私、音楽がきこえないんです」と云う。音楽とは「オルガスムスの美しい象徴」であり、彼女は会社の同僚の江上とのセックスで何も感じないというのだ。麗子は気まぐれな言動で汐見を振り回すが、汐見は麗子を観察し、真の原因を探り出す。
 精神分析医や心理療法士が謎を解くミステリーは、いまではすっかりお馴染みとなったが、五十五年前にこういう小説を発想したというのがすごい。
 殺人こそ起きないが、麗子の深層心理を解き明かしていく過程はスリリングであり、サイコ・サスペンスの先駆と云ってもいいのではないか。私は本作を読みながら、逢坂剛の『さまよえる脳髄』を思いうかべていた。
 なお、本作は新潮文庫の三島作品の累計発行部数で第十位に位置している(時事ドットコムニュース、11月25日)。ほかは名前が知られている作品ばかりなので、ちょっと意外だが、読みやすさと面白さで着実に読まれてきたのだろう。読者の目はたしかだ。
 本作は1972年に増村保造監督で映画化されているが、原作に比べると観念的な描写が多すぎたように感じた。じつは同作は刊行直後に松竹で映画化が決まり、三島由紀夫の自邸で監督の中村登、主演の岩下志麻との打ち合わせが行われたが、実現しなかったという(山内由紀人『三島由紀夫、左手に映画』河出書房新社)。

 以上、七作品を駆け足で紹介した。手に取って読んでもらうきっかけになれば幸いだ。
 今回は触れられなかったが、食わず嫌いだった私には三島の戯曲も新鮮だった。『近代能楽集』と『鹿鳴館』は、いつか舞台でも見てみたい。
 次回は、三島自身が投影された長編作品を取り上げる。ついに、これまで見ないふりをしていた『豊饒の海』四部作に立ち向かわなければ......。

 (なんだろう・あやしげ ライター/編集者)

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