書評

2020年8月号掲載

「狂気が存在しないと想定してみよう」

ミシェル・フーコー『狂気の歴史 古典主義時代における』〈新装版〉

慎改康之

対象書籍名:『狂気の歴史 古典主義時代における』〈新装版〉
対象著者:ミシェル・フーコー/田村俶訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506710-6

「狂気が存在しないと想定してみよう、そうすると、狂気として想定された何かにもとづいて秩序づけられているように見えるさまざまな出来事、さまざまな実践について、どのような歴史を語ることができるだろうか。」1978ー1979年度のコレージュ・ド・フランス講義『生政治の誕生』において、ミシェル・フーコーは、かつての探究のなかで提出した問いをこのようにとり上げ直す。すなわち、まず狂気という不変項を想定し、次いでそれをめぐる実践の歴史的変化を探るのではなく、逆に、具体的な実践そのものから出発しつつ、現実には存在しないものとしての狂気が、どのようにして、依然として存在しないままでありながらそれにもかかわらず何ものかになりえたのかを明らかにしようとすることこそが、自分の問題だったのだ、と。
 実際、狂気が西洋において何ものかとして構成されてきた歴史的プロセスを、十七世紀から十八世紀にかけての監禁の実践に注目しつつ描き出すこと、これこそまさしく、1961年刊行の『狂気の歴史』の企図であった。狂気が、理性から明確に分かたれるものとして、さらには精神医学の対象として構成されえたのは、いったいどのようにしてなのか。こうした問いに対し、フーコーは、監禁制度の創設およびその解体に関する分析によって答えようと試みたのである。
 まず、狂気と理性との分割について。十六世紀には、いかなる思考も自分の方が正気を失っているのではないかという疑念を拭い去ることができなかったのに対し、十七世紀になると、そうした脅威がついに払いのけられるに至る。この出来事を、フーコーは、当時ヨーロッパ全土に広がった大がかりな閉じ込めの実践に関連づけようとする。十七世紀の半ばに創設された監禁施設は、狂者とされていた人々を、貧者、物乞い、性病患者、浪費家などと一緒に、「非理性的」な者として収容することになった。自らを理性的と称する社会が、自身にとっての他者とみなす者たちを排除したのであり、そうした具体的措置とともに、狂気と理性とが、ついに互いに峻別されるべきものとして構成されることになったのだ、と。
 そして次に、狂気の病への還元について。十八世紀半ばになると、監禁施設は、政治的、経済的な理由によって徐々に解体され始め、そこに留め置かれていた人々は次々に解放されていく。しかしそのなかで、狂者たちだけが、家族や社会に対して危険であるという理由によって、以後もなお閉じこめられ続けることになる。狂者専用のものとなった収容施設は精神病院へと変貌し、狂者には病者という地位が与えられる。狂気が精神の病という単一の形象に帰されるのである。
 もちろん、1961年の自著に関してその約二〇年後に発せられたフーコーの言葉には、回顧的なアレンジが加えられているということも忘れてはなるまい。実際、『狂気の歴史』初版の序文には、「知によるあらゆる捕獲以前の、生き生きとした状態の狂気それ自体」こそが、探究の究極の標的であると記されていた。実際には到達不可能であるとして直ちに退けられているとはいえ、狂気の存在ないし狂気の本質のような何かが、そこではまだ想定されていたのである。
 しかし、先ほど確認したとおり、それでもやはり『狂気の歴史』が、監禁の実践を通じて狂気が何ものかとして構成されるプロセスを分析していることに変わりはない。そして、「狂気それ自体」について語っていた初版の序文が後の版では削除されるのに対し、一般に受け入れられている概念を具体的実践に関する考察によって問題化するというやり方は、まさしく、フーコーの後年の研究によって全面的に引き継がれることになるのだ。その一連の著作、さらにはその一連の講義において、「非行性」、「セクシュアリティ」、「国家」、「市民社会」などといった概念が、刑罰の実践、性をめぐる実践、統治の実践をめぐる分析を通じて、次々に問いに付されることになるのである。
 普遍的とみなされている概念から出発する代わりに、実際になされたり語られたりしたことから出発して、そうした概念に「やすりをかける」こと。フーコーの歴史研究を貫くこうした企てが、いまだ粗削りなかたちではあるにせよ、彼の「処女作」である『狂気の歴史』とともに確かに始動しているのだ。「フーコー的」なものの原点が、ここにしるしづけられているのである。

 (しんかい・やすゆき フランス思想)

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