書評

2020年5月号掲載

没後30年、ますます面白い池波正太郎

池波正太郎『幕末遊撃隊』
新潮文庫編『文豪ナビ 池波正太郎』

木村行伸

対象書籍名:『幕末遊撃隊』(新潮文庫)/新潮文庫編『文豪ナビ 池波正太郎』(新潮文庫)
対象著者:池波正太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-115690-3/978-4-10-115600-2

img_202005_17_1.jpg

 現在、NHK BSプレミアム、総合テレビで放送されている池波正太郎の小説をもとにした時代劇ドラマ「雲霧仁左衛門」シリーズは好評を博しているという。中井貴一演じる怪盗・雲霧仁左衛門と、國村隼の火付盗賊改方長官・安部式部の人間味豊かな行いや、宿敵・藤堂家と仁左衛門のオリジナリティ溢れる激闘など、硬軟織り交ぜた大胆な演出の妙が多くの視聴者の琴線に触れたのだろう。
 今年、令和二年(2020)は池波正太郎没後三〇年にあたるが、その作品の人気は一向に衰えない。むしろドラマ、舞台、コミック、さらにはアニメと、物語世界はさらなる広がりを見せている。
 そしてこの度、新潮文庫では『文豪ナビ 池波正太郎』と『幕末遊撃隊』が刊行される運びとなった。前者は、文豪と呼ぶにふさわしい著名な作家の評伝、代表作の紹介、作家にまつわるコラム等を収めた人気シリーズの一冊で、池波正太郎の入門書と捉えることができる。また後者は、江戸の剣士・伊庭八郎の壮絶な生涯を描いた幕末小説だ。尊王攘夷論を基盤に起こった大政奉還、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争、函館戦争などの実相を、幕臣・伊庭八郎の行動と共に分かり易く解き明かしている。筆者は『文豪ナビ』の制作に携わった縁で、今回両者の紹介を担当することと相成った。
 池波正太郎の名を耳にすると、多くの方は『剣客商売』、『鬼平犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』という時代小説界に燦然と輝く三大シリーズや、戦国の大河ロマン『真田太平記』を思い浮かべることだろう。『文豪ナビ』収録の「作品ナビ」では、これらのシリーズ作品を含めた豊饒なる池波正太郎の作品世界を、江戸を主な舞台にした「人情に浸る」、「江戸の特別警察」、「仕掛人の暗躍」、戦国ものを集めた「武将と忍者」、幕末・明治ものに注目した「幕末の男たち」というように、五つのジャンルに分けてそれぞれの面白さ、読みどころを探ってみた。
 さらに「評伝」では、池波正太郎の人生の歩みと共に、作品の誕生秘話や創作の裏話などに力点を置き、自伝やエッセイ、当時を知る関係者の声をできるかぎり収集した。とくに注目なのは、新国劇の元劇団員で池波正太郎のアシスタントも務めた鶴松房治氏による、池波正太郎と新国劇との興味深い逸話である。氏の貴重な証言によって、双方の緊密な間柄がより一層明らかにされたのだ。
 また、紙幅の都合で割愛させていただいたが、池波正太郎の当時の担当者らによる〈担当編集者座談会〉「川野黎子×大村彦次郎×花田紀凱 我らが青春の日々」(『食べ物日記 鬼平誕生のころ』収録)での川野黎子氏の〈梅安〉シリーズにおける女性の特徴的な描き方と、池波正太郎の女性観への言及は、作業中の筆者に重要なインスピレーションを与えてくれた。
〈梅安〉の第一話のタイトルが「おんなごろし」で、シリーズには女性の悪人も登場する。このことは、悪人に男も女もない、という真理が描かれていると考えられる。そのうえで、この女性の死を神話、民俗学的に解釈すると、作品に秘められた大きな意図が読み取れるような気がしたのだ。
 女性・女神は、神話の世界では生産、豊穣の象徴である。そして生産の力を宿す女神の死は、世界に新しい作物、もしくは価値を生じさせることを『古事記』のオホゲツヒメ神話などは説いている。死の先にある新たな現実の世界。仕掛人・藤枝梅安はこの死の先の世を生きている。死(あるいは破壊や喪失)の先に現れる新しい世界をどう生きるのか、池波正太郎の作品にはこうした未来や再生にまつわる、大きなテーマが隠されているのではないだろうか。
 そして、この観点から『幕末遊撃隊』を再確認すると、信念に殉じた若者、伊庭八郎の思想や願いは、死闘の果てに訪れた新たな時代、明治を生きる登場人物たちに受け継がれることになる。そしてその歴史は、小説を通してつながった、私たち現代の読者に託されるのだ。
 令和という新時代は、誰にも想像できなかった波乱の幕開けとなった。この現実と立ち向かうとき、池波正太郎が描くヒーローたちの知恵や工夫で死地を乗り越える姿や、『真田太平記』で描かれた戦国時代を生き抜くための組織的な戦略は、平和な時代を望む私たちに、様々なヒントを提示しているように感じられるのである。
 苦難の時世に再び脚光を浴びる、知恵と勇気に満ちあふれ、かつ示唆に富んだ池波正太郎の作品が、多くの方々の疲れを癒し、心を励ますことを切に願っている。

 (きむら・ゆきのぶ 文芸評論家)

最新の書評

ページの先頭へ