インタビュー

2020年3月号掲載

『フラウの戦争論』刊行記念 著者インタビュー

僕が戦いを描く理由

霧島兵庫

これまで『甲州赤鬼伝』『信長を生んだ男』で戦国の合戦と武将を描いてきた霧島兵庫さん。
最新作では舞台を19世紀ヨーロッパに移し、古典的名著『戦争論』誕生の裏側に迫りました。
新たな挑戦に至った経緯を伺います。

対象書籍名:『フラウの戦争論』(新潮文庫改題『二人のクラウゼヴィッツ』)
対象著者:霧島兵庫
対象書籍ISBN:978-4-10-101673-3

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――この作品は実にユニークです。『戦争論』の著者クラウゼヴィッツが妻にナポレオン戦争の思い出を語るパートと、ナポレオン戦争の六つの戦場を描いたパートが交互に配され、全体としては『戦争論』誕生の舞台裏を描いている。どうやってこの小説を思いついたのか教えてください。

 ありていに言えば「小説新潮」編集部の依頼があった時、すぐに書けるテーマが『戦争論』しか思いつかなかったんです(笑)。
『戦争論』はプロイセンの将校クラウゼヴィッツが実戦経験をもとに戦争を考察した論文集で、彼の死後、1832一八三二年に妻のマリーによって第一巻が刊行されています。名著と言われる一方、難解なことでも有名で、それはこの本が「How to」だけを提示するのではなく、戦争とは何かという「What」を示そうとした本だったこと。加えて、大幅な改稿の途中で著者が亡くなり、手直しが済んでいる前半と手付かずのままになった後半で、主張が一八〇度違う部分があることがその理由です。
 しかし、この難解さはなぜ生まれたのか、彼が戦場で何を見て、何を書こうとしたのかを、小説という形でなら分かりやすく語ることができるんじゃないかと思ったんですね。

――戦場パートはフランス、プロイセン、ロシアなど各国の指揮官・将校の視点から多角的に描かれ、指揮官の性格と戦術が繋がっているのがよくわかります。

 指揮官は最後の判断をエイヤで決めなくてはならず、その判断には人間性が出ます。だからどんなに技術が発達しても敵の司令官の心は読めない。これがクラウゼヴィッツが「戦場の霧」と名付けた戦争の不確定要素です。湾岸戦争やNATOのボスニア空爆でテクノロジー兵器が前面に出てきたとき、科学者も軍人も「これで戦場の霧が晴れる」と言いました。でも結果は失敗した。戦争に人間がいる限り、最後まで霧は晴れないんです。

――そもそも霧島さんが『戦争論』に興味を持ったきっかけはなんでしょう。

 知り合いのアメリカ人が日常会話の中で「重心」「摩擦」「戦場の霧」といった言葉をよく使っていたので、その由来を調べていったら『戦争論』にたどり着いたのがきっかけです。刊行から二〇〇年間も世界に多大な影響を与え、いまだに議論を呼ぶこんな本があるんだ、と。
 日本で戦争について語られる際はたいてい「戦争は悲惨だから二度と繰り返してはいけない」という論調ばかりで、なぜ戦争は起きるのか、どう向き合えばいいのかという問いには答えてくれませんよね。『戦争論』は、僕が子供の頃から抱いていた問いに対して、一つの答えを示してくれたんです。

――その『戦争論』の産婆役を果たしたのが、もう一人の主要登場人物である妻のマリー。聡明な女性だったようですね。

 彼女は当時最先端の女性だったでしょう。その頃のヨーロッパはフランス革命によって平等・博愛・人権など現代に繋がる価値観が生まれ、君主制から民主制へと移行する大変革期。伯爵家の出だったマリーはそんな時期に宮廷女官長を務めており、高いレベルの政治や芸術に通じていたはずです。そのうえ夫の遺稿を出版に持ち込む行動力も備えていました。

――現代的とも言える夫婦の対等な関係性と丁々発止のやりとりはこの作品の大きな魅力です。この夫婦像をどうやって作り上げたのでしょう?

 この年齢にして恋愛指南書を手当たり次第に買って読んだんですよ(笑)。

――え、資料としてですか?

 ええ。それに僕が実際に妻に言われた「あなたって、ほんとに戦争が好きなのね」というセリフも作品に盛り込んだりしています。

――皆さん、本書二七〇頁にご注目下さい(笑)。ところで日本の戦国時代を描いた過去二作から一九世紀ヨーロッパへと舞台を移したのは、作家として大転換だったと思うのですが、書き終えて違いは感じましたか。

 僕の中では「戦いを描く」という点で一貫しているので、大きな違いは感じなかったですね。人命や名誉が脅かされるストレスフルな状況下では、人間の本性が炙り出される。美しいものはより美しく、醜いものはより醜さが際立つ。デビュー以来、僕が戦いにこだわって書いている理由はまさにそこにあります。
 今回、登場人物たちの行動を追い、「こう考えていたんだろうな」と類推する作業を繰り返すうちに、戦争は人間と人間の意志のぶつかり合いによって行われているんだということをつくづく感じました。クラウゼヴィッツは言っています。「戦争は攻められた側が防御を決意した瞬間に始まる」と。
 逆に言えば、戦いはどんな世界にも存在する。企業や学校、家族同士のお茶の間戦争から宇宙人との戦争まで、僕のテーマは生涯尽きないでしょう。

 (きりしま・ひょうご 作家)

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