対談・鼎談

2019年8月号掲載

『月まで三キロ』新田次郎文学賞受賞記念対談

「夢に生きる馬鹿」が未来をつくる

伊与原 新 × 藤原正彦

『国家と教養』で大衆文化教養の大切さを説いた数学者と、その父の名を冠した文学賞を受賞した気鋭の作家――。
二人が語り合う、理系分野の研究と文学の意外な結びつきとは。

対象書籍名:「月まで三キロ」
対象著者:伊与原新
対象書籍ISBN:978-4-10-120762-9

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研究はうまくいかないもの

藤原 あらためまして、新田次郎文学賞ご受賞おめでとうございます。短篇集が受賞するのはめずらしいんです。よっぽど抜きんでていたのでしょう。

伊与原 ありがとうございます。

藤原 僕は数学者ですが、父新田次郎も母藤原ていも作家だったものですから、百姓が草を抜くようにごく自然に書き始めました。伊与原さんは、なぜ小説を書く気になったのですか。

伊与原 研究がうまくいかなかった時期がありまして......。

藤原 研究はほとんどうまくいかないものですからね。僕も九割五分はうまくいかなかった(笑)。

伊与原 その頃は研究室に長くいるのが嫌で、家に早く帰っていました。時間をもてあましているときに、たまたまトリックを思いつきミステリーを書いて江戸川乱歩賞に応募してみたところ、最終選考に残していただきました。それが始まりです。

藤原 伊与原さんは父と共通点を感じる作家です。伊与原さんは地球物理学を修められましたが、新田次郎も気象技術者でしたから、同じ理系出身です。
 全六篇が収録された『月まで三キロ』は、ご専門が見事に活きていますね。表題作は天文学。中学受験を控えた小学生の男の子が主人公の「アンモナイトの探し方」は地質学。「エイリアンの食堂」では宇宙物理学。宇宙のなかで最も小さい単位の素粒子論と最も大きい単位の宇宙論をつなぐ夢のような会話を、お母さんを亡くした小学生の鈴花ちゃんと女性研究者プレアさんが交わしますね。童話のような美しさがありながら、短い任期で区切られて研究に集中できない現代の研究者の状況に対する静かな怒りが感じられる、社会性のある作品です。

伊与原 僕自身、富山大学で任期つきの助教をしていたことがあります。

藤原 二つめの父との共通点は、恋愛を書かないことです。「エイリアンの食堂」でも、プレアさんと食堂の主人である鈴花ちゃんのお父さんとの間に恋でも生まれるのかと期待していましたのに(笑)。

伊与原 雪の結晶をめぐる「星六花」では少しは恋愛を書きました(笑)。ただ僕自身、読者として恋愛が主題の本を求めていないということもあり、それほど書きたいと思わないんです。

最後まで引っ張ってこそ

藤原 父は銀座のバーで、「新田次郎を誘惑できたら百万円」というお触れが出されるほど色恋とは無縁でした。誘惑できた証は、藤原ていが殴り込みに行くということでしたが、結局はそういうことはなかったらしい(笑)。
 最後にもうひとつ、父と似ていると思ったのは、文章が力んでいないことです。淡々と事実を追って書いているようですが読み終わるとペーソスがある。不思議なテクニックですね。あえてそういうふうに書こうとしているのですか。

伊与原 それは意図して書いています。

藤原 抑制しているわけですね。たとえば「エイリアンの食堂」のプレアさんにしても、どんな顔形かなどの描写がないんですよね。だから、僕好みの清楚でちょっと陰のある、ちょっと美しい、素粒子の研究に打ち込んでいる三十代の女性を想像しました。紺色の粗末なズボンをはいたりしていてね(笑)。

伊与原 紺色ですか(笑)。確かに人物の外見など読者にゆだねている部分は大きいと思います。
 今回受賞が決まった後、新田次郎記念会から、『新田次郎文学事典』というご本をいただきました。そのなかに、新田先生が「強力伝」で直木賞を受賞されたとき、選考委員の井伏鱒二さんが「文学青年やつれがない」と評されたとありました。「もし僕がこんな風に言われたら、すごく嬉しいな」と思いましたね。

藤原 父がよく言っていたのは、「美しい表現はちょっと文章修行をつめばどんな凡才でも書ける。最後まで読者を引っ張ることこそ作家としての才能なんだ」。『月まで三キロ』の六篇も「この先どういうことになるのかな」と最後までドキドキハラハラさせながら引っ張りますね。ミステリー出身ならではの手法ですか。

伊与原 そうかもしれません。『月まで三キロ』では、ミステリーほどは起承転結がはっきりしない小説に挑戦しようと決めていました。でも、書いているうちにあちこちにフックをかけたくなるんです。そうしないと、なかなかおもしろくならないと思いまして。

藤原 なるほどね。それぞれの短篇のラストも、明確な結論に達していません。だからかえって登場人物のその後が気になってしまう。ふっと突き放されるような、一陣の涼風にあたったような読後感です。この手腕はすごいなと思って、学ばせていただきました。数学者は途中でやめられないんです(笑)。証明が最後まで終わらないと問題外になってしまいますから。

伊与原 学生の頃『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)を読んで以来、藤原先生のエッセイが大好きですが、ユーモアで笑わせた後、余韻をもたせる終わらせ方はすばらしいです。最新刊『失われた美風』(新潮社)も拝読しました。アシモフが多作だった理由や小学校の英語教育、イタリアへの家族旅行まで話題は多岐に亘ります。これほど充実したエッセイを十年もの間、「週刊新潮」に週一回のペースで書かれていたというのは驚きです。
 新田先生も多作ですね。気象庁に勤めながら、どうやってあれほどたくさんの小説を書かれたのでしょうか。

藤原 我が父ながらちょっと異常な作品数です。富士山に気象レーダーを完成させた後、五十三歳で文筆一本に絞るまでは朝七時頃起きて八時には出勤し、帰宅後に夜七時頃から毎日五時間集中して書いていました。風邪を引いて体調が悪いときは「闘いだ、闘いだ」と言いながら書斎への階段を登っていきました。しかも、世に出ていない作品もあるんですよ。父が亡くなった後、書斎の天窓のようなところに三十センチもの厚さの袋があって、原稿がぎっしり。表には「書いても書いても突き返されていた頃の原稿」と書かれていました。

世界への素朴な好奇心

伊与原 藤原先生の『心は孤独な数学者』(新潮文庫)を読んで、十九世紀アイルランドの数学者ハミルトンが詩を書いていたのに興味を持ちました。

藤原 彼は数学会で自分の詩を朗読して皆に嫌がられたそうです(笑)。大詩人ワーズワースに見せて、「あなたは数学では真の天才ですが、詩の技術はまだまだです」と評されたとか。

伊与原 日本でも、寺田寅彦、中谷宇吉郎など、明治生まれの学者は文理の融合を自然とやっていたようですね。

藤原 日本はひとつのことを地道にやるのが尊いという精神風土があって、現代では専門を極めることが良いとされています。しかしながら、外国では今でもいるんですよ。アメリカでは夏休みになるとバンドを組んでバーでプロとして演奏している数学者もいました。才能があるものは何だってやるというスタンスです。特に数学者にはそういう奇人変人がたくさんいます。

伊与原 有名な笑い話があります。「学会に行くときの服装はどうしたら良いか」。物理学者、化学者は「スーツを着ていれば良い」。地質学者は「汚れていなければ良い」。数学者は「裸でなければ良い」(笑)。

藤原 数学者は非常識というより無常識ですからね(笑)。理学部内でも、物理の研究者が一番いばっているというような上下関係がありますが、数学はそうした序列からはずれてしまっています。

伊与原 僕から見ても、数学の先生は何をしているのか一番分からないですね。実験室があるわけでもないですし。

藤原 一九四〇年代に亡くなったケンブリッジのハーディという教授は、電話を使わず、何か連絡があれば、ボーイを走らせていました。機械が苦手で万年筆さえ使えず、羽ペンを使っていたそうです。僕が習ったコロラド大学の世界的権威シュミット先生はパソコンを開いているとメールがいっぱい来るからと言って、ソケットを引っこ抜いていましたよ(笑)。
 でも、結局数学者はひとりで机に向かうしかないので、フィールドワークのネタがたくさんある伊与原さんがうらやましい。「山を刻む」の火山学者と大学院生の登山中の会話なんて、実際に研究仲間と岩石採取をしたことがないと書けないでしょう。
 今後はどんな作品を書くのですか。

伊与原 長篇も短篇も書く予定ですが、科学的な事実というよりは研究者の世界を書きたいと思っています。どなたかが書かれていたことですが、新田先生は山を器にして人間のドラマを書いたと。僕も、科学を器にして、ということを目指しているんだろうなと思います。
 そもそも、ひとくちに理系といっても、藤原先生や僕みたいに応用科学と異なる分野の人間は、世界に対する素朴な好奇心や感性から研究を始めたのではないかと思います。その点は、理系とはいえ文学に非常に近いのではないでしょうか。

藤原 伊与原さんの地球物理学の研究も私の純粋数学も文学と同じでお金になりませんからね(笑)。役に立たない分野を専攻するのは勇気がいります。どの会社の研究所でも、そんな分野は募集していませんしね。Romantic fool、「夢に生きる馬鹿」とでも言いましょうか(笑)。

伊与原 以前、カナダ人の地質学者に聞いたことですが、カナダで地質学をやるなんて、貴族みたいな大金持ちか山師だということでした(笑)。

藤原 でも、役に立たない分野こそ大切なんですよ。一見役に立たなく思える大衆小説、映画、アニメといった大衆文化には情緒が濃厚にあります。これは哲学書や思想書では出会えないものです。
 江戸時代に生まれた漱石や鴎外は江戸以来の寄席、浄瑠璃といった大衆文化に触れています。しかし明治の中期以降に生まれた芥川龍之介、武者小路実篤、志賀直哉などは明治生まれであっても、大正以降に活躍した、大正人。この時代の教養といえば欧米からきた教養。明治中期以降生まれの教養人は、概して日本固有の大衆文化という土台を持っていないから、マルクス主義、ファシズム、軍国主義、東京裁判史観、グローバリズムと、次から次へと新しいものが来るたびに、圧倒されてしまうのです。大衆の持っている情緒を見下したことは日本、世界の荒廃の根元です。『国家と教養』(新潮新書)に書きましたが、たとえば弱者を思いやる「惻隠の情」といったそこはかとない情緒を世界中で見直して取り戻さないといけない。そのためには『月まで三キロ』のような小説を読むのはとても良いと思いますね。

伊与原 新田賞をいただいたことも、こうして藤原先生とお話しさせていただいたことも、思いがけないことでした。ありがとうございました。

 (ふじわら・まさひこ お茶の水女子大学名誉教授)
 (いよはら・しん 小説家)

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