インタビュー

2019年6月号掲載

新潮選書フェア新刊 著者インタビュー

「魔術」のトリックを暴く

『マネーの魔術史 支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか

野口悠紀雄

対象書籍名:『マネーの魔術史 支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか』
対象著者:野口悠紀雄
対象書籍ISBN:978-4-10-603841-9

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――今回の著作、『マネーの魔術史』というタイトルですが、「お金」ではなく、「マネー」としたことに重要な意味が込められていると......。

 お金というとどうしても財布の中に入っている紙幣や硬貨のイメージが強くなります。しかし、例えば企業が決済するときに紙幣や硬貨を使うか、といったら使わない。使うのは銀行預金のシステム。そこで行われるのは帳簿上の操作、つまり情報の操作です。
 マネーというのはお金という形あるものだけでなく、その本質は情報。そのように捉えています。

――「情報」によってお金がマネーに変化するということですか。

 そうですね。お金は当初、金貨とか銀貨とか、それ自体に価値があるモノでした。しかし、それがだんだんと紙幣になってきた。この時点で紙に情報を持たせているからお金になるのですが、それでも紙という実体がある。ところが先の決済システムになると金貨も紙幣も出て来ません。これは大変重要なポイントです。ある意味でマネーの進化です。単に形が変わっただけでなく、形が変わることでマネーは使いやすくなってくる。
 ただ一方で、形あるモノから離れ、目に見えないモノになってくると、普通の人には分かりにくくなる。分かりにくくなると何が起こるのか――。"魔術"を使う者が出てくるのです。

――ここで「魔術」が出てくるのですね。

 マネーを使った魔術は歴史のかなり早い段階、古代ギリシャの頃から行われていました。権力者が財政的な収入を得るのに、税金ではなくマネーの魔術を使った。

――何やら怪しげな雰囲気ですね。

 たしかに怪しげではありますが、タネ明しをすれば非常に単純なものです。詳しくは本書で述べますが、簡単に言えば貨幣の品位を落とすということです。ただ、マネーがモノから離れて情報に近付いてくると、これも複雑になり、分かりにくくなってくる。果たして、これを進化とか進歩と言っていいのか......。だから「魔術」なんです。
 今、世界中に存在するマネーの魔術は非常に分かりにくいものです。それを理解するために、今までどういう経緯を経てマネーが変わってきたかを見る。それが本書の狙いの一つです。

――ますます複雑になる「魔術」ですが、貨幣の品位を落とした他、どんなことが行われてきたのですか?

 金属貨幣から紙幣の時代になってくると、品位を落とすことから紙幣の増発へと変化していきました。アメリカの独立戦争や南北戦争、あるいはフランス革命に先立つ時代、さらには第一次世界大戦後のドイツなど、軍事費を賄うため、あるいは借金を重ねてしまって返せなくなったため......、いろんな理由によって紙幣を増発してきました。もちろんそのためには様々な方策が練られるのですが、当初は上手くいっても、最終的には経済を混乱させ、破綻させる事態に陥ってしまいます。
 紙幣の増発は、現代の言葉で言い換えれば、金融緩和ということになります。

――まさにアベノミクスの「三本の矢」の内の一本、量的緩和ですね。昔も今もやっていることは変わらないと......。

 金融緩和という意味では変わりはありません。ただし、今のアベノミクスの量的緩和政策によって本当に市中のお金が増えたかというと、そんなことはありません。新聞などではしばしば「お金をじゃぶじゃぶ供給した」とか「輪転機を回して日銀券をたくさん刷った」などと説明されますが、それは全くの間違いです。

――量的緩和でもお金は増えていない?

 お金は増えていません。日本銀行の黒田総裁が量的緩和を始める時に言ったことは3つ。まず第1に銀行の持っている国債を買い入れる。第2にマネタリーベースを増やす。そして第3に消費者物価の対前年度上昇率を2%にする。この3つを言いましたが、決してお金を増やすとは言っていません。マネタリーベースを増やすと言ったのです。しかし、マネタリーベースとなってくると、理解するのは、なかなか難しい。

――そのあたりが「魔術」というわけですね。しかし日銀は量的緩和で何を得ようとしたのですか? かつてであれば戦費の調達や借金の返済など、分かりやすい目的がありました。

 そこがさらに難しいところです。量的緩和を行うときに、はっきりとした目的は示されていません。消費者物価を2%に引き上げるというのは、果たして目的なのか、それとも経済活動を活性化するための手段なのか、よく分かりません。

――となると、経済の停滞に対しての量的緩和と喧伝されていましたが、景気刺激の効果はなかったということですか?

 ありませんでした。その証拠にアベノミクス発動以降のこの6年間、日本の実質経済成長率がどれくらいだったか。景気は回復し続けたと言っていますが、1・2%です。この間の世界の平均的な経済成長率は3・5%。中国のドル表示GDPは同期間に1・6倍になっているんですから、緩和政策に経済成長を促す効果があったとはとても言えません。

――たしかに実生活でも経済成長を実感することは難しいです。

 しかし、本当に問題なのは成長できなかったことよりも金融緩和という手段、つまりは「魔術」に頼って経済をよく出来ると、人々が信じたことです。緩和に頼ったために、そこから抜けられなくなり、経済状況がますます悪化した事例が歴史の中にはたくさんあります。

――それはどのような事例ですか?

 たとえば16世紀のイングランドです。エリザベス1世の父ヘンリー8世は、膨らんだ軍事費を賄うため、貨幣の改鋳でその品位を落とし、通貨量を増やしたのです。これは大改悪と呼ばれました。その結果、イングランドの貨幣が外国で受け取りを拒絶されるようにすらなったのです。本来なら品位を高めるべきだったのですが、当時のイングランドの主要産業、羊毛業者がそれを良しとしなかった。金融緩和によってポンドの価値が下がったために輸出がしやすくなっていたからです。

――まるで日本の円安政策と自動車産業のようですね。

 そうです。輸出業者にとって、自国の通貨安は望ましいことですが、国民から見ると外国から高いものを買わなくてはならないから貧しくなるし、それによって国も衰えてゆく。しかし、それでも主要産業から支持を受けるヘンリーは貨幣の品位を高めることはできなかった。
 ただ、ヘンリーの後を継いだエリザベス(正確には間にエドワード6世とメアリ1世が入る)は違いました。彼女は国民が陥る状況を冷静に見据えた上で、財政顧問のトーマス・グレシャムの意見を聞き入れ、貨幣の品位を高める政策に転換したのです。グレシャムは「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉を残した人物としても知られています。これによってイングランドは後の大英帝国の礎を築いていったのです。

――お伺いしていると、今の日本にはエリザベス1世もグレシャムもいない、そんな感じがします。

 そこが重要なところです。エリザベスという非常に聡明な君主とグレシャムという有能なアドバイザーが現れ、イングランドは没落の危機から免れることができました。これは単に優秀だとか頭がいいというだけの問題ではありません。エリザベスの時代の後、18世紀、イギリスで南海バブル事件という、今日の「バブル」の語源にもなった投機熱が起こりました。これも本書の中で金融緩和がもたらした事件として詳しく触れていますが、この南海バブルでは、あの物理学者のニュートンまでもが大損害を被っているのです。
 このように歴史を振り返ってみると、金融緩和政策が多くの人を巻き込み、ニュートンまでもダマすことに成功するほど複雑な仕組みであったということが言えるわけです。もちろん結局は上手くはいかない。

――とはいえ、一時は利益をもたらすのですから、なかなか見抜くことは難しい。

 その通り。権力者たちは財政収入を得るために貨幣の改鋳を行ったわけですし、通貨安になれば産業界からの支持も得ることが出来る。非常に魅力的な手段であることは間違いない。権力者からすれば使いたくなるような魔力を持っている。問題はそれによって国民が騙されるかどうか、不利益を被ったことを理解出来るかどうかです。

――そうなると、われわれとしても政府の政策を、目先の言葉や数字に惑わされず、冷静に見る必要がありますね。

 だからこそ歴史を知る必要があるのです。本書では、イングランドのみならず、スペイン、フランス、アメリカ、ドイツ、さらには日本の江戸時代や太平洋戦争中にもあった、さまざまな金融緩和政策について触れています。いずれもが失敗の歴史です。人類は同じようなことを幾度となく繰り返してきているのですから、それを知ることで、今、私たちがどのような状況にあるか、どのような政策が行われているのか理解することが出来るのです。

 (のぐち・ゆきお 早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問)

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