書評

2019年4月号掲載

奇術師を思わせる語りの腕の良さ

――エマヌエル・ベルクマン『トリック』(新潮クレスト・ブックス)

中島京子

対象書籍名:『トリック』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:エマヌエル・ベルクマン著/浅井晶子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590157-8

 読み始めるとすぐに、私たちが出会うことになるのは、二十世紀初頭のプラハのラビ(ユダヤ教の聖職者)である。モルダウ川近くの貧しい賃貸住宅に暮らし、リフカという妻がいる。学校でも教えている。名前はライブル・ゴルデンヒルシュ。誰よりも敬虔なユダヤ教徒である彼は、そのあるべき姿として、息子を持ちたいと考えている。第一章で、念願かなって持つことができそうなのだが、彼の家庭はなにやら波乱含みである。
 でも、その後すぐに、読者はタイムワープして、二十一世紀の初頭に連れて行かれる。そう、百年後の現代にようこそ、というわけだ。
 第二章で、読者はアメリカのロサンジェルスに住む、ある家の息子に遭遇する。彼の名前はマックス・コーン。彼の家庭、つまり、ダッドとマムとマックスが構成する小さな家族にも、波乱があることが知らされる。両親は離婚寸前なのだ。ちなみにマックスもユダヤ人だ。
 小説は二つの時間を行ったり来たりする。ライブルの息子はモシェと名づけられるのだが、やがて物語は父親ではなく息子の話なのだとわかってくる。つまり、この小説は二人の息子、モシェとマックスの物語なのであり、二人の運命は小説のある時点から交錯し始める。
 こうした手法は珍しいものではないし、二十世紀の物語の主人公モシェが二十一世紀の何者であるかも、比較的早く知らされる。読者は身構えながらミステリーを読もうとするよりも、この二つの時間を流れる物語がどんな帰結を見るか、ゆったりと椅子に座り直して、楽しめばいいのだ。二十一世紀のロサンジェルスらしい、離婚寸前の夫婦と板挟みになっているマックス少年の多少ドタバタしたストーリーは、リラックスして笑いながら読むのにふさわしい。
 一方、天才奇術師へと成長していくモシェの物語は、ディケンズ風のビルドゥングス・ロマンで、出生の秘密(?)からスタートして母との別れ、父との葛藤、運命のサーカスとの出会い、恋といった要素が、時代の空気や風景、小道具などとともに描き込まれていく。なにしろサーカスの奇術師の話なのだから、舞台はにぎやかでそれこそ魔術めいている。「半月男」に「ペルシアのアリアナ姫」、「魔法のサーカス」の出し物は誰もがあっと驚く脱出劇。サーカスに魅了されたモシェ少年はザバティーニと名を変えて、稀代のマジシャンへとのし上がっていく。
 著者のエマヌエル・ベルクマンは、ロサンジェルスに長く暮らし、映画産業に近いところにいた人物だという。『トリック』は、デビュー作というのがにわかには信じられないくらい完成度が高く、誰もがハリウッド映画のような味わいを感じとり、きっと映画化されるんだろうなと思うような作品だ。エンタテイメントの技法を駆使して、読み手を上手に笑わせ、楽しませ、ひっかけて驚かせる。もちろん、泣かせもする。物語に身を任せる楽しさを味わわせてくれる。
 でも、それだけではない。だけではないどころか、それらの、たしかに一流の奇術師を思わせるような語りの腕の良さは、物語のもっと奥深いところへ、読者を引っ張っていくために駆使されるのだと感じられる。
 二十世紀のヨーロッパのユダヤ人の物語であるからには、必然的にそこにはホロコーストが描かれる。この小説の凄さは、なにかを説教臭く語ることを絶対にしなかったところであると同時に、主人公をただの悲劇の中の人物にも、ただのヒーローにも、しなかったところだろう。むしろ、いろいろな意味で、ザバティーニはとんでもない男である。
 ホロコーストの生き残りであるザバティーニが、生き延びるためにしてきたいくつかのことを読むとき、胸の中がざわつくのを感じる。笑わせ、楽しませ、ひっかけて驚かせて泣かせる? いやいや、そうしたわかりやすい感情を上手に動かしながら、小説は読者に深い闇の淵を見せるようなところがある。動かされる感情が、すごくたくさんある。
 自然に任せていくと風化していく記憶を、私たちは何度も、語り直していかなければならない。そして、その語り方も、時間の推移とともに変わっていかざるを得ない。どう変えるのが正しいというのでもないが、ベルクマンのとった方法は、一つの例を提示しているように思う。
 もう一つ、この小説を読んで胸に迫ってきたのは、わたしたちの生がすべて、それぞれ、奇跡に満ちているということだ。シンプルだけれども、抱き留めたい真実である。

 (なかじま・きょうこ 作家)

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