書評

2018年8月号掲載

会社が生き残るのには理由がある

――野村進『千年、働いてきました 老舗企業大国ニッポン』(新潮文庫)

楡周平

対象書籍名:『千年、働いてきました 老舗企業大国ニッポン』(新潮文庫)
対象著者:野村進
対象書籍ISBN:978-4-10-121516-7

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 最近、とんと耳にすることはなくなったが、「企業は人なり」という言葉がある。組織が人によって構成される限り、有能な人材なくして成長も望めなければ、生き残ることも叶わないことは誰もが知っている。しかし、優秀な人材を集めても、"生かす"のは容易なことではない。組織が大きくなればなるほど、"適材適所"が難しくなるからだ。
 組織において仕事は与えられるものであって、選ぶことはできない。業務も分業化され、その中で評価された人間が昇進を重ね、最終的に生き残った者たちが経営の舵取りを担うことになる。しかも、上場企業ともなれば、常に株主の厳しい監視の目に晒され、彼らが満足する業績を出し続けなければクビである。結果、「明日の飯より今日の飯」。近視眼的な「数字をつくる」経営に陥り、時代の変化に対応できず、かつて世界に名を馳せた企業がいまや見る影もない、あるいは消滅してしまった例は枚挙にいとまがない。
 その点、本書の中で紹介された老舗企業が同族経営であったり、オーナー企業が大半なのは実に興味深い。
 巷間、同族経営と聞くと、いい印象を抱かれないものだが、それも経営者次第。「経営は人なり」であり、経営者もまた「適材適所」、その任に就く人間が、経営者としての資質に恵まれた人材であるかどうかが命運を分けることが、本書を一読するとよく分かる。
 たとえばこんな一文だ。要約して紹介しよう。
――大阪の船場の問屋街では、娘が生まれると赤飯を炊く風習があった。息子は選べないが、婿は選べる。アホの息子に経営を委ねて店を潰すくらいなら、赤の他人に任せたほうがよっぽどいいからだ――
 世間で同族経営がいい印象を抱かれないのは、その「アホ」が後を継ぎ、潰れた会社がいかに多いかの証左であり、百年以上も生き残っているのには、《いざとなったら離縁させたってかまへんという冷徹な計算》、《「血」に固執しなかった柔軟性と、他者を受け入れる許容力が、日本をこれだけ老舗の多い国にした一因》と著者は述べるが、全くその通りだと思う。
 後継者を戒める家訓もまた、頷けるものばかりだ。
 家訓といえば「浮利を追い軽進すべからず」「信用・確実」「公利公益」を定めた住友家法が有名だが、本書に記されている浅香工業の家訓「良品声なくして人を呼ぶ」をここに加えると、そこに商い成功の大原則を見る思いがする。
 商いは売り手と買い手がいてはじめて成立する。そして、対価に見合う価値を判断するのは買い手である。浮利を追わず、信用を失わず、世のため人のためになる製品であり、サービスを提供すれば、買い手は黙っていても現れる。つまり、ウィン・ウィンの関係を築き、継続し続ける以外にないのである。
「安定は情熱を殺し、緊張、苦悩こそが情熱を生む」とはフランスの哲学者・アランの言葉だが、技術の進歩、市場環境の変化に加速度がつく一方の社会において、安定を求めることは、淘汰されることを意味する。本書に登場する老舗が、いまに至るまで続いてきたのは、後継者たちが、家業をいかにして継続するか、緊張と苦悩から生ずる情熱を持ち続けてきたからでもあったろう。なのに、一流企業への入社を志望する学生の多くは、心のどこかでその"安定"を望んでいるのである。そんな人間が昇進を重ね、経営者になろうものなら、先は知れたもの。名門と謳われた日本企業に不祥事や経営不振が相次ぐのも起こるべくして起きたといえるだろう。
 これから就活をはじめる学生諸君はもちろん、現役のビジネスパーソン、そして経営者諸氏にも、本書を読むことを強くお勧めする。
 会社が生き残るのには理由がある。大金使ってビジネススクールで学ぶより遥かに役に立つ。わずかな投資で、高いリターンが得られる価値ある一冊。著者の卓越した取材力が結実した良書である。

 (にれ・しゅうへい 作家)

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