書評

2018年5月号掲載

ライデンのアパートから

――トーン・テレヘン『きげんのいいリス』

長山さき

対象書籍名:『きげんのいいリス』
対象著者:トーン・テレヘン著/長山さき訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506992-6

 はじめて〈どうぶつたちの物語〉を読んだのは一九九〇年、ライデンのアパートに一人暮らしをはじめて間もないころだった。倉庫を改築した四十平米の部屋は〈牛通り〉という名の横道に面した一階にあり、生成りのロールカーテンを下ろしたままだったが、走ったり縄跳びしたりもできる快適な空間だった。だれにも煩わされることのない自由な暮らしを謳歌する反面、楽しさと寂しさのあいだを行ったり来たりで、一生分の孤独を味わった時期でもあった。
 そんな折、友人に誘われてロッテルダムの国際詩祭でボランティアをすることになった。オランダ語も心もとないなか、会場の片隅のバーでビールを注いだり、賞をもらった詩人に花束を渡したり、よくわからないまま楽しい数日間を過ごしていた。
 郊外での詩人たちのパーティーの帰り道、乗せてもらっていた車が田舎道でふいに止まり、一人で歩いていたおじさんを乗せた。ほどなくロッテルダムの駅で二人下ろされ、同じ電車に乗ることになった。わたしがライデンで電車を下りるまでの三十分間に、このやさしいおじさんが〈トーン・テレヘン〉という名の詩人で、毎週金曜に新聞の子ども欄にお話を連載していることがわかった。
 つぎの金曜にさっそく新聞を買い、読んだのが紅茶の話。しんと静かな部屋のしんと静かなわたしの心にじわっと温かな世界が広がった。その翌週はゾウが溶ける話。今度は(うぉーっ、面白い!)と新聞を握りしめて心のなかで叫び、床から立ち上がって机に直行し、訳しはじめた。
 いくつか訳がたまり、さてこれをどうしたら日本に紹介できるだろう、と考えていたころ、東京の祖母の家を訪ねた。ドアを開けた瞬間、笑顔のおばあさんが祖母と並んで出迎えてくださった。祖母の親友で、谷川俊太郎さんのことを幼いころから〈俊ちゃん〉と呼んでかわいがっていらした服部文子さんだ。次の詩祭に招待されている谷川さんに、一度お目にかかりたいとわたしが思っているのを知って、すぐにお電話してくださった。そして、玄関での出会いからわずか一時間後に谷川さんが電話をくださり、会っていただけることになった。
〈広告批評〉で連載され、『だれも死なない』として刊行できたのはすべて谷川さんのおかげだが、その後ろで服部さんと祖母が応援してくれていたことも、とても心強かった。
 時は流れ、二〇一四年、東京で本に関わる仕事をしている若い女性、渡邊直子さんと出会った。絶版になってしまった『だれも死なない』をもっと多くの人に読んでもらいたい、と考えてくれていた直子さんは、まずはオランダに行こう! と思いたった。英語もぜんぜん喋れないのにその後すぐオランダにやって来た彼女の意思の強さとまっすぐな行動力が、どこか昔の自分に似ているようで応援したくなった。テレヘンさんにお電話してみると、アムステルダムのカフェで会ってくださることに。そのときもってきてくださった本のなかに『キリギリスの幸福』と『コオロギの快復』があった。しばらくテレヘンさんの本から遠ざかっていたのだが、どちらも面白く、また日本で紹介したくなった。もっと面白いものがあるかもしれない、と取り寄せた本の一冊が『ハリネズミの願い』だった。
 もし直子さんがオランダに来ていなければ、わたしはハリネズミに出会っていなかった。そしてハリネズミが日本で注目されなければ、『だれも死なない』が『きげんのいいリス』に進化して、新潮社から出版されることもなかったはずだ。
 すべてがライデン時代に端を発している。でも、その前にだいじな出会いがもうひとつあった。一九八三年、大学三年の夏休み、一人旅をしようとアムステルダムに向かう飛行機で、右隣の席からほほ笑みかけてくれたきりっとしたおねえさんが、のちに新潮社の編集者となる須貝利恵子さんだったのだ。将来、編集者と翻訳者になることなど知らずに出会ったあの瞬間に、〈トーン・テレヘン・プロジェクト〉がそっとスタートしていたのかもしれない。そのひとつの到達点として、この五月、テレヘンさんといっしょにプロモーションのため東京を訪れるのが楽しみだ。
 どの出会いが欠けていても『きげんのいいリス』は存在しなかった。紅茶と話したくなるような孤独と隣り合わせの暮らしで、ひとりで翻訳していたライデンのアパートの自分に、風にのせて手紙を送れるといい。「心配しなくてもだいじょうぶだよ。いまにきっとみんなに読んでもらえる日が来るから」と。

 (ながやま・さき オランダ文学翻訳者)

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