書評

2018年4月号掲載

仰天の設定で問う平成版「君たちはどう生きるか」

――田中兆子『徴産制』

篠田節子

対象書籍名:『徴産制』
対象著者:田中兆子
対象書籍ISBN:978-4-10-335352-2

 驚天動地の設定である。
 二〇九三年。感染症により妊娠可能な若年層の女性の大半が死亡した日本で、国家の存亡をかけ、十八歳から三十歳までの男子全員に最大二年、性転換と妊娠活動を義務づける徴兵制ならぬ「徴産制」が施行される。
 権力による妊娠、出産の管理、強制を描いた作品と言えば、かのアトウッドの名作「侍女の物語」を始め、日本でも皆川博子の「死の泉」、村田沙耶香の「殺人出産」、窪美澄の「アカガミ」と、主に女性作家の手による作品がすぐに思い浮かぶ。だが、魚類、両生類ならいざ知らず、人間が性転換して男が妊娠する話はさすがにない。しかも単に男が妊娠、出産する話ではない。何しろ徴産制であるから、産事教練、前線配置、戦線離脱した兵への懲罰、あげくに従産慰安婦まで、きな臭い要素が揃っている。もちろん婚活、妊活、売春に、バイセクシャル、単為生殖、権力と金と愛と性が絡んで何でもありの世界が展開されるのだが、筒井康隆的悪ふざけを期待すると肩すかしを食う。
 奇想天外なアイデアに基づく物語を田中兆子は、立場も、階層も、メンタリティーも異なる五人の男のケースを丁寧に追うことで、ときに滑稽、ときにしみじみ、ときに戦慄を覚えさせながら鮮やかに紡ぎ出す。
 志願、あるいは召集された男たちの、女の身体を手に入れた困惑、期待、絶望、などなどが極めて繊細に描かれ、その心理と世界のとらえ方、他人との関係性がどのように変化していくかは読みどころの一つだ。
 たとえば野心溢れる俺様エリートは思わぬ挫折を味わい、転げ落ちた先で出会った幼なじみやその仲間との交流を通じて人間として成長していく。
 男らしさの神話の中で生きづらさを感じていたダメ夫は、女になることで新たな居場所と夫婦のあり方を見い出す。
 若くして妻と死別したフリースクールの教師は、教え子の「産役逃れ」を幇助したために逮捕され、凄まじい身体的暴力と性暴力の中に投げ込まれるが、宗教的ともいえる利他的信念を貫くことで命拾いする。
 主人公の異なる五つの物語を展開する中で、その制度の真の目的と予想外の副産物、生身の男達のそれぞれの人生にもたらしたもの、彼らの抱え込んだものが明らかになっていく。同時に私たちが常識の中で見過ごしている、国家と国民、男と女、組織と人などを巡る理不尽で矛盾をはらんだ関係にも気づかされる。作者は登場人物を描くのみならず、物語世界の構築という点でもぬかりがないからだ。そのあたりは「提示された舞台と条件を読者が前提として受け入れ、その上でキャラクターが動いていく」といったゲーム小説、あるいは不条理文学とは一線を画する。さらにそれぞれの登場人物の物語を通し、人の生についての、作者の意外なほど真摯な問いかけが浮かび上がってくる。「私たちはどう生きるべきか」といった硬直した問いではない。人生における幸せってどんなもの? もっといい人と人との関係、女と男の関係があるはず、多様性と自由を担保した国家と権力と金と人との関わりを可能にするものだってあるはず。そんな緩やかだが真摯な考察がこの五章からなる物語を貫く。
 読者が期待するであろう男の出産シーン、授乳シーンは登場しない。わずかに一例、徴産制の変則的な生成物として登場する幼児が無邪気な姿を見せるのみだ。それでは制度内で産み落とされた子供たちはどうなっているのか、またどうなるのか。それこそが制度の戦慄すべき真の目的として暗示される。
 なお作者は二〇一一年、「べしみ」でR-18文学賞を受賞した。女性の大事な部分におっさんの顔が貼り付く、それもただのおっさんではなく、小べしみの面(能「野守」で手にした鏡に天上界から地獄の底まで映して山伏の腰を抜かせる鬼神の面)という小説。その抱腹絶倒の設定から、ないがしろにしていた女の性の存在に気づかされる主人公の「さむしろに衣かたしきこよひもやこひしき人にあはでのみねむ」の切ない心境を経て、男女の和合を寿ぐがごとき鬼神の結んだ口を開いての大笑いに終わる。こちらも傑作。

 (しのだ・せつこ 作家)

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