書評

2018年1月号掲載

犬を見ると思いだす

――椎名誠『犬から聞いた話をしよう』

北上次郎

対象書籍名:『犬から聞いた話をしよう』
対象著者:椎名誠
対象書籍ISBN:978-4-10-345625-4

 あっ、ワンサだ。
 本書の扉ページに、ワンサの写真が載っているので嬉しくなってしまった。この写真はこれまで、『南島だより』『椎名誠写真館』『殺したい蕎麦屋』と3冊の本に出てきたので椎名誠の愛読者にはお馴染みの写真だが、何度見ても可愛い。
 ワンサについては本書中にその紹介があるが、1991年に石垣島で撮った映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」にワンシーンだけ出演した犬である。捨て犬や野良犬を収容する島の施設からスタッフがみつけてきた犬で、翌日処分される予定だったという。その運命を察知していたのか、扉写真にあるように、ワンサはいつも怯えていたようだ。
 今回初めて明らかになったのはその後日譚で、これがまた興味深い。撮影が終わって八カ月後に福島で上映会をしたとき、その地にもらわれていたワンサと、著者は再会したというのである。ワンサは大型犬の血筋なので、堂々たる黒い犬になっていたが、舞台にあがると終始おどおどしていたというから、可愛いなワンサ。
 このワンサの写真が好きなのは、我が家の愛犬に似ているからだ。長男が小学四年のとき、踏み切り際に捨てられていた子犬を同級生が拾ってきたものの、その家にはすでに飼い犬がいたのでもうダメと言われたところに長男が遊びにいき、貰ってきた犬である。翌日には保健所に持っていって処分されるところだった。飼っていい? と玄関先で尋ねてきた長男の胸に、真っ黒な子犬がいて、長男の横に小学校に入ったばかりの次男がいた。二人で私を見上げていた日の光景はまだ記憶に鮮やかだ。
 ジャックという名前は長男が付けた。踏み切り際に捨てられたときの記憶がずっと残っているようで、ジャックは大きくなってからもその踏み切りには絶対に近寄らなかった。ワンサのように臆病で、一度猫に引っかかれてからは散歩の途中に猫と会っても、知らん顔して通りすぎるのがおかしかった。絶対に見えているのにそれは不自然だろお前。
 家族が数日留守にするときは近くの義父の家に預けたが、1泊のときは義父にたびたび預けるのも何なので犬小屋に置いていったが、そんなときは犬小屋の隅に体をおしつけ、ぶるぶると震えていたという。あまり静かなので見に行った隣家の人の証言である。
 ジャックは18歳まで生きたが、いまは子犬のころの写真が居間に残っているだけだ。だから、ワンサの写真を見ると、ワンサの向こうに、ジャックがいて、子供たちが幼かったころの記憶が蘇ってくる。犬は家族の記憶である――そんなふうにも思う。
 ところで本書は、椎名誠が世界中を旅してきたときの記録から(椎名誠はたくさんの旅エッセイを書いているが、旅の記録は写真集としても残されている)、犬の写真を抜き出したものだ。椎名誠の写真集に、いつも犬が写っていることがずっと気になっていた。それは世界中に犬がいて、人間と暮らしているから、人と風景を撮ると犬が写り込んでしまうということもあるだろうが、椎名誠がやはり犬好きということもあるような気がする。無意識かもしれないが、犬を見かけるとカメラを向けてしまうのである。たぶんそうだ。それらの写真を抽出すれば、素晴らしい犬の写真集が出来るはずだと考えていたのだが、ようやくそれが実現したので嬉しい。
 本書に収録された犬の写真で、個人的に好きな写真のベスト3を選べば、1位は扉のワンサ、2位は127ページの幼い頃のガク、3位は36ページのレストランから主人が出てくるのを待っているアルゼンチンの犬、4位は54ページの二匹の犬。ベスト3と言いながら4枚も選んでしまったが、4位の二匹の犬は『椎名誠写真館』の文庫版37ページの写真と同じだと思うので、モンゴルの犬だ。これも可愛い。一匹の犬が大きく口を開けて、もう一匹がその顔に顔を寄せて、なにやら話しかけているようでもある。ちなみに、この写真につけられた『椎名誠写真館』のキャプションは、「成長すると狼のように獰猛な大型犬になるモンゴルの犬も子犬のときは何をしてもかわいいのだ」というもので、こんなに可愛い犬が成長して獰猛になることが信じられない。
 しかし、やっぱりワンサだ。今度はワンサ・カレンダーを作ってほしい。すぐに買うぞ。

 (きたがみ・じろう 評論家)

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