書評

2017年10月号掲載

『ホワイトラビット』刊行記念特集

星座のような籠城劇

――伊坂幸太郎『ホワイトラビット』

村上貴史

対象書籍名:『ホワイトラビット』
対象著者:伊坂幸太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-125032-8

 いやもう最高。『ホワイトラビット』には、読書の愉しみが詰まっている。ミルクレープの一層一層にそれぞれの美味が宿り、なおかつ全体として美味。そんな詰まり方だ。
 兎田(うわぎた)孝則は、ワンボックスカーを道端に止め、車外で冬の空のオリオン座を見上げながら、新妻である綿子のことを考えていた。そこに部下が戻ってきて、二人は車に乗り込む。後部座席には先ほど誘拐したばかりの女性。その女性をある場所まで運び、次の担当者に引き渡して任務完了。そう、兎田は、誘拐ビジネスを営む組織の一員なのだ。順調に営まれていたそのビジネスだが、ちょっと問題が発生していた。通称オリオオリオというコンサルタントによって、組織の金が詐取されてしまっていたのである。そんな状況だが取引相手には近いうちに送金せねばならず、送らないと大変なことになりそうで、組織はオリオオリオからの奪還を目論む。そしてオリオオリオを見つけるよう命じられたのが、そう、兎田だった。それも、綿子を人質に取られるかたちで......。
 とここまではホンの発端なのだが、そこから先の展開は、おそらくあらゆる読者の想像の遥かに先を行っているだろう。例えば、読者に提示されるのは、勇介という青年と母親を人質に取った立てこもり事件だ。籠城の舞台となるのは、仙台の高台にある一軒家。やがて現場に警察が駆けつけ、特殊捜査班SITの夏之目課長が、立てこもり犯との交渉を開始する。そんな様が、読者に伝えられるのである。その合間に、泥棒の計画も語られる。死んだ詐欺師の自宅から三人組の泥棒が名簿を盗もうというのだ。どこか歯車がずれたようでいて、それでも軽快に回転する三人の会話を愉しみ、黒澤という伊坂幸太郎の小説でしばしば活躍する泥棒との再会を喜びつつ頁をめくっていくうちに、それら複数のエピソードが兎田の問題を含めてつながり始める。著者の得意とする構成ではあるが、この『ホワイトラビット』は、長編書き下ろしであるが故か、相当にとんでもない次元でその連鎖が愉しめる。よくよく見れば呆れるほど高度な曲芸の連続なのだが、そのつなぎ目はとことんなめらか。なめらかなのに時折自分が見ていた景色ががらっと別のものに変化する衝撃もある。徐々に明らかになってくる黒澤の役割もまた強烈な刺激を脳にもたらす。伊坂幸太郎の小説を読み込んでいればいるほど、本作の凄味が判るだろう。
 この構成の妙に加え、今回は語り口が抜群に魅力的だ。その語り口の特徴はもう前述の発端から明らかで、さらにいえば発端の先頭の第一段階から明らかで、さらにさらにいえばエピグラフに『レ・ミゼラブル』の一節が配置されていることからも明らかで、そう、ヴィクトール・ユゴーのかの小説のように、地の文で作者が時折語り出すのである。その作者の語りと作中人物たちの語りのハーモニーもしくはポリリズムが、実に心地よい。しかも、その語りによって、時間や人間関係で接点の乏しいエピソードをすんなりと結びつけている(前述した曲芸の連続のなめらかさだ)。読み味と機能の両面で、この作者の語りは本書を支えているのだ。ちなみにこの語りと『レ・ミゼラブル』での作者の語りについて作者は、二十五頁で早々に言及している。そのうえで、この一八六二年の大著は、幾度も繰り返し作中に顔を出し、そして物語を動かしていく。そこに着目する愉しみもある。
 その物語の登場人物たちも、それぞれに魅力的な個性に富んでおり、しかもその個性(お喋りだったりうっかりだったり等々)が、この騒動をこのかたちにするうえで極めて自然に機能している。しかも中心となる面々は、それぞれ心のなかに何かを抱えていたり、あるいは大切なものを失っていたりと、しっかり人として生きている。これもまた本書に深みをもたらしてくれている。特に夏之目と家族に関するエピソードは、深くくっきりと心に残る。
 この一夜の籠城劇を中心とする『ホワイトラビット』は、星座のような小説である。生まれも育ちも異なる星々を、想像力という糸で結び合わせてオリオンやサソリを夜空に描くように、読者は伊坂幸太郎の操る言葉によって、いくつものピースを心のなかで結び合わせて一つの大きな絵を描く(実は何度も描き直すことになる)。その愉しみは極上。読み手の心のなかに、星の寿命ほど長い余韻を残すであろう。

 (むらかみ・たかし 書評家)

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