書評

2017年7月号掲載

日本の農業に可能性を見る

――奥野長衛/佐藤優『JAに何ができるのか』

池上彰

対象書籍名:『JAに何ができるのか』
対象著者:奥野長衛/佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-475212-6

 かつて小田実(おだまこと)の『何でも見てやろう』という旅行記が一世を風靡し、海外旅行をする若者たちにとってのガイドとなりました。
 いま佐藤優氏は、森羅万象あらゆることに興味・関心を抱き、新たに得た知見を私たちに伝えてくれます。いわば現代版の『何でも見てやろう』シリーズのひとつが、この本ではないかと思えてしまいます。読者にJA=農協の新しい姿を教えてくれるのです。
 日本の農業というと、長く自民党政治に守られているうちに、高コスト体質になり、国際競争力を失ったにもかかわらず、政治力を駆使して守ってもらっている。保護されているうちに、農業は衰退の一途を辿っている。
 そんなイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。
 事実、2015年の農業就業人口は209万7000人と、20年前の半分になっています。農家の平均年齢は59歳から66歳に上昇しました。一般企業なら定年退職の年齢を過ぎています。後継者が減っているため、平均年齢は上がるばかりです。
 農家が農業を放棄した土地=耕作放棄地の面積は7割も増え、現在は富山県と同じ規模の42・3万ヘクタールに拡大しました。富山県ほどの土地が遊んでいる。実にもったいないことです。
 保護されているがゆえに緩やかな衰退の道に入っている。日本の農業に未来はないのか。いや、そんなことはないと力説するのは、対談相手のJA全中会長の奥野長衛(おくのちょうえ)氏です。
 それにしても、日本古来の農業の伝統を受け継いできているはずの農協組織を、なぜアルファベットのJAにしなくてはならないのか。日本たばこがJTで、日本郵政がJPであるのは、まだ理解できますが、なんでわざわざJAにしなければならないのか。それが納得できないのですが、それはともかく、奥野氏は「農業は知的産業だよ」と言います。奥野氏の出身母体であるJA伊勢のバラの栽培は、温室栽培にヒートポンプやドライミストを積極的に導入して成果を上げ、「勝つ農業」を実践しています。
 この地でバラ栽培を始めた人は、米作の専業農家からバラ栽培に経営転換。キッパリ切り替えると、父親も農業から手を引き、息子に一任してしまいます。それが成功へのジャンプ台になりました。
 この経緯を聞いた佐藤氏は、「旧日本軍のように戦力の逐次投入で少しずつ変えるという手法は取らず、ドラスティックな決断をした」ことを高く評価しています。そうか、日本の農業を旧日本軍の行動と比較することで、何をすべきでないかが見えてくるのだ。
 佐藤氏らしい観察眼は、ほかでも発揮されます。特産の青ねぎの出荷に当たっては、金属探知機で、混入物がないかをチェックしているというのです。これぞリスクマネジメント。何かを混入させようという人物が出てきても防ぐことができるし、何か事件が起きてしまっても、自分たちの責任ではないと主張できます。
 このように、何気ない風景をインテリジェンスの観点から見直していくと、そこに活路が見出せます。
 奥野・佐藤両氏が対談の中で力説するのは、「協同組合」という存在の現代的価値についてです。協同組合とは株式会社ではない、農家の人々の協力によって成り立つ組織です。
 一般に助け合いとは、自助・共助・公助の3種類があります。自助とは自分の身は自分で守ること。共助は仲間同士で助け合うこと。そして公助は国家が助けてくれること。協同組合は、このうちの「共助」で力を発揮する組織です。佐藤氏はこう指摘します。
「効率性や利潤の追求においては、協同組合は株式会社に負けてしまう。しかし、中長期的に株式会社で営利を追求する仕事だけをやっていたら、人間は燃え尽き、ぼろぼろになってしまいます」「その意味からも、協同組合に期待するものは大きい」
 そうだった、農協とは農民たちの助け合いの場所だったのです。
 一方、奥野氏はこう述べます。
「もともと日本には、田んぼで稲をつくるのは大変だから、集落ごとに『結(ゆい)』という組織があった。それで、農繁期は、みんな集団で仕事をして、助け合った」
 その伝統が今も息づいているのです。日本の農業に対する読者の見方を変える本です。

 (いけがみ・あきら ジャーナリスト)

最新の書評

ページの先頭へ