インタビュー

2017年6月号掲載

木内昇『球道恋々』刊行記念特集 インタビュー

一番楽しかったのは私です

木内昇

対象書籍名:『球道恋々』
対象著者:木内昇
対象書籍ISBN:978-4-10-101881-2

――明治39年から高校野球大会が始まる大正4年までの日本球史に残る最も熱い時代を描いた『球道恋々』がついに刊行となります。500頁を超える堂々たる長篇。お疲れ様でした。

 ありがとうございます。でも申し訳ないんですが、私自身は書くのが楽しくて楽しくて、これといって苦労した点が思い当らず......。小さい頃から野球が大好きで、いつか小説に書きたいと思っていました。それが存分にできて「誰も読まなくても私は楽しいぞ!」という感じでした。なんだか、すみません。

――明治時代の野球にスポットを当てたきっかけは何だったのでしょう?

 資料を探していて明治44年の「野球害毒論」にぶつかったのがきっかけです。朝日新聞が「野球は若者に悪影響を及ぼす」という大々的なキャンペーンを行って大論争に発展したもので、支持派の論客に新渡戸稲造が登場するわ、ライバルの讀賣新聞は反対派の大演説会を開くわ、野球を巡ってこんな騒動があったのかと驚いたんですね。

 そこから野球史を遡っていくと、学生野球の人気と熱気がものすごかったこと、その頂点にあるのが一高と三高の対抗戦だったことが分かってきた。試合経過や観戦記も残されていて読むほどに面白い。明治の人々はなぜ野球というスポーツにこれほどのめりこんだのか。よし、それを書こうと決めました。

――主人公の宮本銀平は一高野球部黄金時代の部員だったものの補欠のまま卒業し、家庭の事情で帝大にも進めず、今は文房具業界紙の編輯長。ところが突如、弱体化した一高野球部のコーチにと請われ、悪戦苦闘しながらチームを指導していく、悩める男です。

 挫折を抱える人間はいろいろな人の気持ちがわかるし、物語自体の視界も広くなる。そう考えて万年補欠という設定の銀平を登場させました。インテリ学生とも落語に出て来る江戸っ子みたいなご近所の面々ともフラットに付き合える視線の持ち主でもあります。

――銀平とその近しい人々は木内さんの創作ですが、その他はすべて実在の人物ですね。銀平が接する一高生およびOBのキャラの濃さには圧倒されました。

 投球練習のしすぎで曲がったままになった腕を桜の木の枝にぶら下がる荒療治で治した守山恒太郎とか、鉄壁の守備を誇って日露戦争由来の「老鉄山」というあだ名を奉られた中野武二とか、現代から見ると本当に劇画的ですよね。もちろん私の創作も加わってはいますが、人物像やエピソードは基本、伝えられている通りに書いているんですよ。

――一高三高対抗戦の巌流島の決闘かと思うような緊迫感。あれも史実ですか。

 もともと一高には西洋化する世の流れに反発する気風があり、野球部の面々もその影響で舶来のスポーツである野球をあえて武士道に当てはめて解釈していたんです。バントなどは卑怯であるとして、一高は徹底的に嫌っていました。

 その一方で応援時にはグラウンドを竹竿で叩きまくって砂埃を立て、敵の守備を妨害する手法が推奨されていたりして「あなた方の言う卑怯とは?」と思わざるを得ないんですが(笑)、その矛盾に満ちた姿勢にもどこか当時の学生の生真面目さを感じて、資料を読むのが楽しかったですよ。

――後輩の指導を通じて野球愛を再燃させた銀平は、後半、野球愛好家の冒険作家・押川春浪と出会い、彼の野球チーム「天狗倶楽部」に選手として参加。そして仲間とともに野球害毒論争へ立ち向かっていきます。

 春浪は害毒論反対派の先頭に立った人物です。スポーツ全般を愛した快男児で熱狂的な野球好きでしたが、意外なことにプレーは上手くなかった。この「好きなのに上手くない」が『球道恋々』のポイントと言えるかもしれません。

 実利を得られるわけでも上手にできるわけでもないのに、好きで好きでたまらないことってありますよね。それを無駄だと切り捨てるのが大人の分別だとも言いますが、そうやって自分を偽るのは人生の輝きを自分の手で消すことに他ならないのではないかと思うんです。

 春浪は害毒論争のために会社を辞める破目になり、私生活では愛息を二人続けて亡くし、当人も病に倒れますが、それでも彼は野球を愛し続けた。

 銀平も同様に、周囲から何と言われようとも野球が好きだという気持ちをごまかしません。害毒論への反論を述べる時も正直すぎるほど率直に自らの考えを語る。自分に嘘をつかず、起きたことをありのままに受け止める銀平は、実はとても強い人間なんです。私自身、彼のように生きたいと願っています。

――作中でも、妻の明喜や守山は彼のシンプルな強さに気付いている。でも銀平自身はまったく自覚していない。そこがいいところですね。

 同感です。我ながらマイナー志向だと思いますが、私には〈主人公になれない人の人生〉を取り上げたいという気持ちがあります。市井の中にいて決して脚光を浴びたりはしないけれど、実はすごい人――銀平や『櫛挽道守』の登瀬のような人物を。それは社会の下から見る時代が本当の時代だと考えているからなんですね。

 野球の小説というと、チームの絆、根性、涙といったお決まりの切り口で語られがちですが、『球道恋々』ではその類型から離れた野球の魅力を伝えられたかなと思っています。

 (きうち・のぼり 作家)

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