書評

2017年3月号掲載

『みすゞと雅輔』刊行記念特集

大正デモクラシーに咲いた一輪の花、金子みすゞ

松本侑子

対象書籍名:『みすゞと雅輔』
対象著者:松本侑子
対象書籍ISBN:978-4-10-101991-8

img_201703_08_1.jpg

 みすゞの詩は、東日本大震災の後、テレビで流れた「こだまでしょうか」、そして平成に入って教科書に載るようになった「私と小鳥と鈴と」、「大漁」などが知られている。
 拙作『みすゞと雅輔』は、弟の上山雅輔(かみやまがすけ)(本名・上山正祐(うえやままさすけ))から見た、みすゞとその生涯、詩作の背景と情熱を、伝記小説として書いたものだ。
 雅輔は、幼い頃に、金子家から上山家へ養子に出たため、みすゞを姉とは知らず、十代で親しくなる。二人は共に本屋の子であり、文学を語り、愛憎入り混った友となる。みすゞが妻となり母となると、雅輔は菊池寛の文藝春秋社に入り、古川ロッパの下で編集者として働きながら、みすゞと文通を続けるが、姉は二十六歳で自殺する。ロッパが役者に転身すると、戦前から戦中は脚本家として「昭和の喜劇王」の舞台を支え、戦後、ロッパ一座が解散すると、劇団若草を主宰し、坂上忍、吉岡秀隆など、五千人の俳優を育てる。
 その雅輔の直筆資料が、彼の没後から二十五年たった二○一四年、四国で見つかった。現地で調査したところ、みすゞと交遊した大正十年から最晩年の平成元年まで、約七十年にわたる膨大な日記と回想録があり、三年かけて読解した。みすゞの自殺の背景(芥川の自死に影響を受け、結婚前から死に憧れていた)など、多くの新事実が判明した。みすゞの夫の親族、みすゞの娘に会い、知られざる実像もうかがった。
 もっとも雅輔の日記は、一日の細かな行動記録で、心情の記載はない。日記は小説にはならず、一つの大きな物語として構築し直し、一人一人の心理に思いをはせながら、各場面を小説として立ち上げる作業が必要だった。その過程で意識したことは、新しい角度からみすゞを描く、みすゞと童謡を大正デモクラシーという時代の潮流から捉えることだった。
 みすゞは、作品のイメージから、愛らしい天使のように神格化されがちだが、血の通った一人の女性表現者として捉え直し、人間的な内面に寄り添うよう心がけた。そもそも伝記小説を書く意義とは、その人に、今までとは異なる角度から光を当て、その光がもたらす新たな輝きと深い陰影の両方を描き出そうとする試みの中に、あるのではないだろうか。
 もう一点の大正デモクラシー......。みすゞと雅輔が多感な十代を過ごした大正中期は、労働者、女性、子どもの権利が謳われ、民主的な思想を背景にして、子どもの個性と感性を自由に伸ばす教育運動が巻き起こっていた。その気運の中で、大正七年、鈴木三重吉が子どものための芸術的な文芸誌「赤い鳥」を創刊、北原白秋と西條八十が童謡を発表して、大人気となる。
 ちなみに童謡は、わらべ唄とも、唱歌とも違う。たとえば「かごめかごめ」はわらべ唄、「蛍の光」は唱歌だ。
 わらべ唄は、口承の古い謡(うた)であり、作詞家も作曲家も不詳だ。そして唱歌は、明治以降の政府が、音楽教育のために作った官製の歌だ。「故郷」などの名曲もある一方、国家主義、軍国主義、勧善懲悪の教訓的な歌も少なくない。また「故郷の空」のように、子どもの心ではなく、大人の郷愁と感慨を描くものもある。
 こうした唱歌への批判から、童謡は生まれた。国策から離れて、子どもの自由な心と幻想を芸術的に描く詩歌として、早稲田大学出身の文学者たちが中心となり、創作した。
 童謡を載せる雑誌は次々と創刊され、野口雨情、与謝野晶子、若山牧水、島木赤彦、竹久夢二なども童謡を発表する。
 そこに中山晋平、山田耕筰らが曲をつけて美しい歌となり、ますます人気を集めた。今も唄われる童謡のほとんどは、大正時代に、文学者、音楽家、読者、親、教師を巻きこんだ国民的な童謡運動の中で作られたものだ。この芸術としての童謡に夢中になった十代が、みすゞと雅輔だった。
 各雑誌には、童謡の懸賞欄がもうけられ、全国の若い読者が投稿し、白秋、八十、雨情が選にあたった。そこに二十歳のみすゞは童謡を送って活字になり、投稿詩人となる。
 だがレコードとラジオの普及により、童謡は読む文芸から唄う音楽となり、雑誌は廃刊、みすゞは発表の場を失う。昭和に入ると、戦争へむかう時代と言論統制のために、小さな命の愛しさと哀しみ、子どもの夢や憧れ、空想を描く童謡の精神そのものが色あせ、童謡運動は終焉を迎える。
 みすゞの詩は、大正十二年の初投稿から、亡くなる前年の昭和四年までに、約九十作が懸賞欄に載った。落選もあるだろうから、百通以上の葉書を毎月のように出版社に送ったのだ。その燃えるような創作欲、みすゞの詩の深さ、大正の熱い童謡運動、そして自死遺族となった雅輔の再起を、お読み頂けたら幸いである。

 (まつもと・ゆうこ 作家・翻訳家)

最新の書評

ページの先頭へ