書評

2016年12月号掲載

瞑想という長い旅への最適のガイドブック

――ウ・ジョーティカ『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』

藤田一照

対象書籍名:『自由への旅「マインドフルネス瞑想」実践講義』
対象著者:ウ・ジョーティカ著/魚川祐司訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506872-1

 最近、仏教瞑想への関心が高まっている。しかも、それが宗教的文脈でというよりはセラピーやビジネスといった世俗的な文脈での臨床的応用という観点から論じられている。そのキーワードになっているのが「マインドフルネス(気づきを保っておくこと)」である。
 仏教に淵源を持つマインドフルネスが多くの人々に受け入れられ、日常生活の中で活かされようとしていることは、非常に望ましいことだ。しかし、それがあまりにも手軽な対症療法的メソッドとしてのみ理解されると、仏教瞑想が本来持っている深く豊かな内容がごっそりと見落とされてしまいかねない。
 仏教瞑想は涅槃という本当の自由を目指す長い旅である。マインドフルネスが注目されている昨今、まことにタイムリーなことに、そのような長い旅を始めるにあたって最適のガイドブックが登場した。ミャンマーのテーラワーダ仏教指導者ウ・ジョーティカ師の『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』である。邦文にして500頁を超える大部の書になるような原書英文を見事にこなれた日本語に訳出した魚川氏の労を謝したい。
 本書は一九九七年にウ・ジョーティカ師がオーストラリアで行った瞑想リトリート(合宿修行)に先立って、参加者に瞑想の全体像を理解してもらうために行われた英語での講義が基になっている。「物質的プロセス(ルーパ)と精神的プロセス(ナーマ)が動いているのであって『私』という存在者が動いているのではない」という第一の洞察(名色分離智)から始まって、最終的には精神的・物質的プロセスの停止、つまり涅槃へと至る「自由への旅」の道行きが懇切丁寧にしかもわかりやすく、仏教の深い伝統的英知に裏付けられながら、解説されている。これほど細やかで教条的でない瞑想の指導書にわたしはこれまでお目にかかったことがない。この上なくありがたい贈り物をいただいた気がしている。
 瞑想という長い旅に出る前には、その旅がいったいどこへ向かおうとしている旅なのかという旅についての明確なヴィジョン、旅人として備えておくべき態度や心構え、旅の途上で遭遇するさまざまな困難や落とし穴についての正しい理解と見通し、といった周到な準備が必要だ。瞑想の旅はただ闇雲に強引に前に進めばいいのではない。
 第一章心の準備、第二章基本的な技術と理解、第三章ウィパッサナー瞑想への道、という最初の三つの章で瞑想修行者が心得ておくべき必須の用心が説かれている。瞑想の指導書というとテクニカルなハウツー的側面ばかりが説かれているものが多いが、本書のこの部分ではそういった技法を成り立たせている、より根源的な仏教的前提(パラダイム)が明らかにされている。その肝心の前提を取り外すといくら熱心に実践しても「われわれは経験は手に入れたがその意味を取り逃がした」(T・S・エリオット『四つの四重奏』)ということになってしまう。この部分は、瞑想に取り組む者がしばしば陥りがちな誤りからわれわれを守ってくれる。特に興味深かったのは心を留めておくのはパンニャッティ(概念)ではなくパラマッタ(真実)でなければならないという重要な指摘だ。瞑想行にはそのような厳密性が要求されるのである。
 第四章以降は瞑想という旅の進展にともなって次第に得られていくさまざまの洞察智についての詳細な記述が続く。そのようなコンテンツは日本の一般向け仏教書ではめったに見ることができないだろう。この点でも、本書は貴重な価値を持っている。瞑想が段階的に深まっていく様子が、仏典からの引用やウ・ジョーティカ師自身の経験や見聞をもとに、きわめて「魅力的」に描かれているので、それを読む者は自分もその旅に同行したいと強く誘われてしまう。
 本書はなによりもまずウィパッサナー瞑想という実践についての無上の手引書だが、同時に仏教という実践的宗教についての素晴らしい講義録にもなっている。瞑想や仏教に関心を持つ人に広くお勧めしたい一書だ。

 (ふじた・いっしょう 曹洞宗国際センター所長)

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