書評

2016年10月号掲載

『花びらめくり』(新潮文庫)自著解説

私の仕事はセックスを書くことです

花房観音

対象書籍名:『花びらめくり』(新潮文庫)
対象著者:花房観音
対象書籍ISBN:978-4-10-120581-6

img_201610_09_1.jpg

「よくもまあ、それだけずっとセックスのことばかり考えていられるなって感心するわ」
 私の Twitter を見ている男の友人に、呆れたようにそう言われた。
 別の男性には、「あなたの書くものを読んでいると、本当にセックスで頭がいっぱいなんだなと思います」とも言われた。
 小説家になりたくて、いろんな新人賞に応募し、たまたま官能小説の賞を受賞して、思いがけず官能小説を書くようになって、セックスのことを、いやらしいことを考えるのが仕事になったから......と、自分にも他人にも言い訳をしているが、私も、毎日、これだけセックスセックス言ったり書いたりできるものだと、ふと我に返ると頭がおかしいんじゃないかと思うし、ときに自分でも自分が気持ち悪い。男性経験がなかった二十代初めの頃から、アダルトビデオやエロ本を買い集めていたし、未だに部屋はそんなものだらけだ。
「恥ずかしくないの?」と、他人から呆れられたり、得体の知れないものを見るかのように怖がられたり、嘲笑されることもよくある。作家と言っても、官能小説を書いていると、あちこちで風当りがキツいし、セクハラも受ける。しかも、もう四十も半ばの、もうすぐ閉経するんじゃないかというような女が。いつから私はこんなになってしまったのだろう。
 けれど考えてみれば、自分は変わらない。小学生の頃、少年漫画をきっかけに性に興味を持つようになった。ネットのない時代、漫画もだが、小説でもセックスを匂わせるものを好んで読んでいた。中学生の頃は、図書館にある日本文学の名作といわれるものを読んでいて、「学校で一番、本を読む子」として、全校生徒の前でスピーチをさせられた。「文学少女」だと感心されていたが、要するにスケベで、活字の中に性的なものを探すことに貪欲だっただけだ。文学と呼ばれる小説は、私にとってはエロ本みたいなものであったのだから。

 本書は、近代文学を代表する文豪たちの名作を元に、私の妄想をくわえて現代が舞台の官能小説にしたものである。「文豪官能」と名付けて、様々な媒体に書いたものがこうして形になった。文学作品の中ではたいてい抽象的に描かれているエロを、妄想力を発揮してあからさまに描いてみたいと思った。そして「日本の近代文学って、こんなにエロいんです!」と、世間に訴えたら、読書人口がもっと増えるのではないか......と、考えた。
 だって、エロいもの、セックスって、みんな本当は好きでしょ? ネットで直接的な画像を見るのもいいけど、活字のエロは頭の中で自分の好みにあれこれできるから、もっといいんですよ。そんな私の妄想企画が、こうして本になり、しかも「タモリ倶楽部」(テレビ朝日)等の出演でも話題になった官能小説研究の第一人者・永田守弘さんの解説、芸人・友近さんからの推薦文までいただけるなんて、「こんなエロいことばっかり考えている自分はおかしいんじゃないか」と少女時代から鬱々としていた私の人生も浮かばれるというものだ。本書では、芥川龍之介「藪の中」、川端康成「片腕」、谷崎潤一郎「卍」、夏目漱石「それから」、三島由紀夫「仮面の告白」の五作品を元にした。
「花びらめくり」というタイトルの通り、この五つの性の物語の頁(ページ)をめくり、読者の皆様が、かつての私のようにいやらしい動機で日本の近代文学に興味を持ってくださると嬉しい。
 文学というと、堅苦しい感じがするが、描かれているものは、昔から一貫して人間の普遍的な欲望だ。その欲望の中でも、「性」という部分を私はどうしても見逃せない。
 人間を動かす力の中で一番大きなものは性の力だと信じている。人を幸せに導きもするし、方向を間違えるとこれ以上ないほど危険なものである。性を飼いならすことはできずとも、自分の中にある性の形を知るために、「セックス」が描かれたものにはふれておいたほうがいい。自分の中の性欲や性嗜好に罪悪感を持ち苦しまないためにも、多様な性を知って欲しい。今はネットに露骨な性が溢れているけれど、妄想を掻き立てる活字のエロの楽しみを少しでも感じていただけたら幸いである。

 (はなぶさ・かんのん 作家)

最新の書評

ページの先頭へ