書評

2016年10月号掲載

胸の鼓動が高まる出会い

――原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』

鈴木京香

対象書籍名:『デトロイト美術館の奇跡』
対象著者:原田マハ
対象書籍ISBN:978-4-10-125963-5

 まだ訪れたことのない街なのに、愛おしく感じるのは何故でしょうか。日差しをあびて輝く街路樹や街角のカフェ、そして市民に親しまれたデトロイト美術館、DIA。
 芸術新潮に四回に渡り連載された、原田マハさんの『デトロイト美術館の奇跡』は、デトロイト市の財政破綻により、DIAのコレクションが売却へむかう、という二〇一三年の実際のニュースから始まります。市民に愛され磨かれたDIAの珠玉ともいえる収蔵作品の数々は、デトロイト市が抱えた負債を返す手段として最も現金化しやすい財産だったからです。
 堂々たる美術コレクションを築き、それを美術館に寄贈する財界人。貧しいながらも、夫とともにそこで過ごす時間にささやかな幸福を感じる女性。ある肖像画に導かれるようにして郷里を離れ、その美術館で働くキュレーター。登場する様々なキャラクターがどれもいきいきと魅力的で、その美術館がある街での暮らしを、そして何よりDIAを愛しんでいます。
 自動車工場で長年働いてきた生粋のデトロイターであるフレッドと、亡き妻のジェシカ。お気に入りのアートを友達と呼び、美術館へは『友達に会いに行く』という彼らのエピソードに、心動かされる美術愛好家は多くいらっしゃるのではないでしょうか。物語では、そのフレッドの純粋な思いが、デトロイトに大きな奇跡を生み出す発端になるのです。
 不況という雨は、デトロイトの街を長く濡らしたけれど、終盤、ついに美術館は最も美しく在る方法を市民たちに見つけだされます。淡く少しずつ色を変える紫陽花のように、光のつぶを丁寧にカンヴァスにのせた印象派の絵画のように、人々の小さな善意を重ね奇跡は起こりました。デトロイトの街に大きな虹が架かったのです。
 読後、美術が好きで良かった、と美術の魅力を知る誇りと嬉しさがじわりと広がりました。趣味と胸を張っていうには、芸術のイメージはまだまだ高尚で、自分に知識があるわけではないけれど。
 美術館を訪れた時、作品の完成度に目を見張るだけでなく、胸の鼓動が高まるような特別な出会いを感じたことが幾度となくあります。そして、一人のアーティストの作品を観続けているうちに愛着を覚えて、いつか自室の壁にこの作家の小品を掛けたいとうっとり夢見たりもしています。
 きっと、自分なりに楽しく作品に向き合えてさえいれば、私は美術愛好家を名乗って良いのだと感じます。

 心血を注がれた一枚の絵画とそれを鑑賞する側の想像力。美術に造詣深い原田さんならではの筆致でしょう。繊細な人間観察と一枚の作品を奥深くまで掘り下げる眼。
 原田さんの生み出した登場人物たちにいざなわれ、デトロイトの街を訪ねたいと思います。そして人々に愛され続けるDIAの絵画を心ゆくまで堪能したいと思います。
 懐かしさを抱えながら、一枚また一枚。
 この美術館で起こった奇跡の予習は終わっていますから。

img_201610_06_1.jpg (すずき・きょうか 女優)

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