書評

2016年9月号掲載

『何様』刊行記念特集

人間関係でリンクする豊かな群像劇

榎本正樹

対象書籍名:『何様』
対象著者:朝井リョウ
対象書籍ISBN:978-4-10-126932-0

『何様』は、二〇一二年十一月に書き下ろし作品として上梓され、直木賞を受賞した朝井リョウの代表作『何者』のアナザーストーリー短編集である。『何者』は、ソーシャルメディア時代の自意識とコミュニケーションの問題を、就活という日本固有の儀礼を通してあぶり出した作品であるが、本書に収められた六つの短編は『何者』に登場した人物のそれ以前/以後の時間を、朝井ならではの巧みな趣向と構成によって描きだしている。
 小さな謎をフックのように配置し、ライトなミステリに仕立てあげるのが朝井の作品世界の特徴である。『何者』で提示された謎の一つが、出版社への就職にこだわった神谷光太郎の動機である。光太郎と英語が巧みなクラスメートの女子の決定的な出会いの情景を描いた「水曜日の南階段はきれい」は、謎の中心に迫る。光太郎と彼女の将来についての濃密な夢の交換の物語は、朝井の創作の原点が高校生小説であったことに改めて気づかせてくれる。
「それでは二人組を作ってください」も、『何者』に登場した小早川理香と宮本隆良の出会いの物語だ。「小さなころから、女の子とじょうずに二人組になれなかった」理香が、ルームシェアをしたいと考える大学の友人の気を惹くために、人気テレビ番組のセットの調度品で部屋を飾ろうとする。流行りの品々で友人を釣る理香の目論みは外れ、結局家具を購入したインテリアショップで働く隆良と「二人組」を組む。外面を取り繕い中身が希薄な隆良を理香は見切っている。そんな理香もまた虚飾に満ちた自身を自覚している。同質的なお似合いカップルの共同生活は、かくして始まる。
『何様』を読み進めていくと、『何者』のメインの登場人物六名が各短編の主人公に必ずしも据えられていないことに気がつく。たとえば「逆算」の主人公で鉄道会社に勤務する松本有季は、初登場の人物である。元恋人の心ないひと言に傷つき、人生の時間を逆算する強迫観念に取り憑かれた彼女を救うのが、『何者』ではサブの登場人物であったサワ先輩こと沢渡である。サワ先輩は、『何者』の主人公二宮拓人のよき相談相手として、様々なアドバイスを与える良識人であったが、「逆算」においても、沢渡の包容力とユーモアが有季を救う。有季は沢渡のキャラクターの「映し手」として機能する主人公といえる。
 続く「きみだけの絶対」では劇団を主宰する烏丸ギンジの甥の高校生が、「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」では田名部瑞月の父親と親しくなるマナー講師の桑原正美が主人公に置かれる。日常の中で彼らにふとした「気づき」をもたらす「触媒」のような存在として、ギンジや瑞月は登場する。ここにおいて、『何様』は単なる『何者』のアナザーストーリーやスピンオフ作品ではないことが了解されてくる。『何者』を起点に始まった物語は、人間関係でリンクする群像劇の広がりを見せている。『何者』を引き継いだ『何様』は、二十一世紀初頭の日本社会を定点観測する試みに満ちている。今後も「何」シリーズが書き継がれていくとすれば、それは朝井にとってのライフワークになるはずだ。『何者』と『何様』は、そのような重みと意味合いを含んだ連作である。
 本書を締めくくる表題作の主人公は、IT企業に勤務する男性新人社員。彼は入社一年目であるにもかかわらず、人事部に配属される。少し前まで選考される学生の側にいた彼が、面接官の仕事を担当する状況設定によって、『何者』の世界が逆視点でとらえ直される。彼は『何者』のあるシーンで、拓人と接点をもつ人物でもある。
 大きな決断を強いられる、ある個人的なできごとをきっかけに、彼は「切実な、誠実な動機を抱えているかもしれない学生たちを選別する立場」に疑問を感じ始める。特に動機をもたず偶然入社できた会社で、命じられるまま未経験の面接官の仕事をする自分の立ち位置の不誠実さに思い到る。「当事者としての言葉」こそが尊重されるべきと思い悩む彼に、距離感を感じていた女性上司の言葉が差しだされる。ラスト近くの彼と上司の「誠実さ」をめぐる対話は、小説的思考が生みだした、まさに思考=至高の賜だと思う。

 (えのもと・まさき 文芸評論家)

最新の書評

ページの先頭へ