書評

2016年3月号掲載

レンズの向こうとこちら側

――押切もえ『永遠とは違う一日』

待田晋哉

対象書籍名:『永遠とは違う一日』
対象著者:押切もえ
対象書籍ISBN:978-4-10-121551-8

 結婚したばかりの二〇〇〇年代初め、妻とよくファッション誌『CanCam』を読んだ。押切もえさんと蛯原友里さんが圧倒的な人気を誇っていたころだった。当時二十三歳だった六歳年下の妻は、仕事から帰って来てみると、毎晩のようにチョコレートを食べながら、グラビアのページを繰っているのだった。隣でぼんやりとその姿を眺めていたのは、自分の人生で出会った小さな幸せの一つだったと思う。
『永遠とは違う一日』は、その押切さんが初めて出版した連作短編集だ。冒頭の一編「ふきげんな女たちと桜色のバッグ」を開けば、興味を抑えられなくなるだろう。主人公は、小さな芸能事務所のマネージャーと、身長一メートル七十センチを超えるスタイル抜群のモデルの咲子。しかし、気分にむらがある彼女は、マネージャーがせっかく取ってきたテレビの仕事でうまく話をすることができない。収録を終えた後、道路で二人は言い合いとなり、バッグを落としてポーチや財布をぶちまけるほど大げんかになる。
 二編目の「しなくなった指輪と七日間」には、仕事と恋愛に悩むスタイリストの女性や手の早そうな別の芸能マネージャーが登場する。華やかに映るモデルやタレントたちが生きる世界の裏側を、その中に身を置く著者ならではのリアリティーを持って軽やかにつづられる作品集なのだろうかと、想像させる。
 だが三編目以降、物語の色合いは少しずつ変わってゆく。離婚した絵の教師や、小学校時代の同級生だった二十代の三人組、進路に悩む高校生など、ある音楽バンドの話を交えながら、普通の生活を送る女性たちが多くあらわれ始める。せっかく休みを合わせた女友達同士の旅先でのけんか、受験勉強に突然目覚めた高校生の様子をはじめ、何気ない出来事が書き記されるようになる。
 これは、何を意味するのだろうか。押切さんは長年、モデルの世界で活躍してきた人だ。撮影の仕事は、カメラに向かって自分の中にあるもののすべてを出さなければ、笑った顔を写しても目が死んでしまう。同じように小説を書くことも、今の自身のすべてを出さなければ良い作品にならないと分かっているはずだ。
 テレビに映る者と見る者。雑誌に載る者と眺める者。カメラのレンズの向こう側とこちら側には一般に、断絶があるように思われている。だが、モデルの咲子が自身にとって今しかできないことを求めて、それが実現できずに苦しんでいるように、二十代の女性三人組は、自分だけの仕事や恋愛の形を求めてもがいている。離婚を経験した絵の教師は、生き方を変えるものに出会いたいと苦しんでいる。置かれた状況や環境が異なるだけで、どんな人間も、自分の生命を燃やし尽くす場所を求め、さまよっていることに気づかされるのだ。押切さんは、自分の最も書きたいものと向き合ったとき、身近な芸能の世界の人々に始まり、自然な流れで、どこにでもいそうな女性たちの話へとたどりついた。
 ある一人の人物が、このように話す場面がある。

 才能って、何それ。そんなもののせいにしないでよ。

 押切さんの小説の言葉は、簡潔だ。朗々と歌ってしまいそうな主題を、あえて、かすれ、つっかえながら、時にはぶっきらぼうに相手の胸に差し込んでゆく。押しつけがましくない言葉は、温かな共感を生む。老いも若きも、芸能人も一般人も、女も男も、性的な少数者も、同じ二〇一六年を生きている人間だ。決して生きやすい訳ではないけれど、絶望するほどでもない、消費社会に少し歪められた今の時代を生きる仲間なのだ。
『CanCam』全盛期のころ、ふんわりした服装の似合う蛯原さんに対し、パンツもスカートも自在に着こなす押切さんは、等身大の魅力があるファッションモデルとして二十代の支持を集めた。年齢や境遇の異なる女性たちの心の内側を分け隔てすることなく、同じ目の高さから描いたこの小説集は、華やかなグラビアのページから真っすぐに、白く、つながっている。

 (まちだ・しんや 読売新聞記者)

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