書評

2016年1月号掲載

追悼・高田宏さん

酒品のいい人

柴田光滋

対象著者:高田宏

 一九七〇年代の半ばあたりになるが、当時は企業PR誌の全盛時代だった。それ相応の会社であれば、手がけるのが当然という雰囲気すらあったと記憶している。
 当時、若い私は新潮社のPR誌「波」の編集に携わっていて、参考のためにあれこれ各社のものを取り寄せていた。ただ、出来は玉石混交と言うほかはなく、目立つのはデザインばかりといったものも少なくなかった。そうしたなかで、断然輝いていたのはエッソ・スタンダード石油の「エナジー」である。格が違う。まさにそんな感じであった。知的でいて軽快なのである。
 編集者は高田宏。この人に本に関するコラムを連載で書いていただけないだろうか。そう考え赤坂のTBS会館内にあった編集室まで出かけ、執筆を依頼している。
 第一回が掲載されたのは一九七五年五月号なので、最初にお目にかかったのはその年の一月か二月あたりかと思われる。以後私は、新潮社を退社するまで、書籍では『言葉の海へ』などの何冊かの本、雑誌では「木に会う」などの作品をお願いしている。
 高田さんはとても仕事のやりやすい人だった。主張すべきはきっちりと主張するにしても、編集者にもたれかかるようなところはいささかもない。原稿はきちんとしていて、締め切りは正確、しかも眺めるほどに味のある筆跡であった。
 本稿を書くために初期のエッセイ集などをぱらぱらとめくっていて、ふと気付くことがあった。
 お好きだったのは本・旅・猫・酒ということになるだろうか。『本のある生活』(一九七九年、新潮社)、『おや、旅だ!』(一九八一年、新潮社)、『「吾輩は猫でもある」覚書き』(一九八五年、講談社)といった本がすぐに思い浮かぶが、酒の本はない。
 高田さんとはずいぶん飲んでいる。ただ、バーとか居酒屋はほとんどなく、夕方お宅にうかがい、打ち合わせが済むと酒になる。かならず日本酒で、それが大きな昔の徳利(二合入りだったか四合入りだったか)で供される。
 不思議なことに、と思わず言いたくなるが、酒に触れた文章はいくつもあるのに、高田さんに酒の本はないのである。もしお書きになるとすれば、この人のことだから趣味的な酒の本は考えられない。いささか硬い表現になるが、「人間が生きることと酒」といったテーマになるような気がする。これは読んでみたかった。
 酒品という言葉があるかどうかは知らないが、高田さんは酒品のいい人だった。静かに飲み、明るく語る。盃を片手におしゃべりをしていて、まったく疲れないのである。いったい何度飲んだかしれないが、悪酔いなど一度もしたことがない。別の言い方をすれば、相手に緊張を強いる酒ではないが、ほどのいい緊張は失わない酒だった。だから最初から最後まで座が乱れない。四十年にわたって文芸編集者を務め、ずいぶんいろいろな書き手と飲んできたが、高田さんほどの呑み手はそうはいない。
 もう十年近く前のことになるだろうか。めずらしく自由が丘の居酒屋で飲んでいて、「たぶんガンなので、そうながくは」と聞かされたことがある。その口調は淡々としたものだったが、返事に困ってしまった。
 原稿をいただいたり、酒を飲んだりしただけではない。一緒に屋久島の屋久杉のもとで一晩を明かしたり、佐渡の南端にある宿根木の町を歩いたり、遠野の町を自転車で走り回わったりしている。その高田さんの追悼文を書くなど、思いも寄らぬことだった。
 いまはただ、高田さん、ありがとうございました、と書くほかはない。

 (しばた・こうじ 元編集者)

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