書評

2016年1月号掲載

人間通による大河歴史小説の魅力

――池波正太郎ほか『真田太平記読本』(新潮文庫)

重里徹也

対象書籍名:『真田太平記読本』(新潮文庫)
対象著者:池波正太郎ほか
対象書籍ISBN:978-4-10-115696-5

 池波正太郎の小説の魅力を尋ねられて、その明快さ、歯切れの良さ、なじみやすさに答えを求めても間違いではないだろう。輪郭の濃い人物たちが、人生模様を繰り広げる。それをじっくりと見据えているのが、酸いも甘いもかみ分けた人間通のまなざしだ。
 池波の代表作といえば、何が思い浮かぶだろうか。もちろん、「剣客商売」「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」の三大シリーズは多くが認めるところだ。また、『堀部安兵衛』『おれの足音 大石内蔵助』『人斬り半次郎』『雲霧仁左衛門』といった長編を挙げる人もいるだろう。私にとっては名品『おとこの秘図』が欠かせない。
 しかし、忘れてはならないのが大長編『真田太平記』だ。文庫本にして十二冊。まさしく、えんえんと流れる大河のごとき作品だが、これがとても面白い。
 丹念な調査を背景にした歴史の細部、生き生きとしたキャラクター、悠然とした展開。時が流れていくのを味わうように、物語が楽しめる。二〇一六年のNHK大河ドラマ「真田丸」をきっかけに、この作品が注目されているのは、ファンの一人として嬉しい。
『真田太平記読本』はこの大長編へのガイドで、未読の人には読み始める助走になるし、すでに読んだ人には物語を振り返る格好のきっかけになるだろう。手軽に雑誌感覚で拾い読みをしてもいい。また、大長編を読む傍らに置いて、登場人物の一覧表を見たり、風間完の挿絵を愉しんだりしてもいい。
『真田太平記』が描いているのは一五八二年(天正十年)から一六二二年(元和八年)までの四十年間。戦国時代から江戸初期にあたる。父・真田昌幸、長男の信之(信幸)、二男の幸村の真田家二代を中心に、激動の時代が活写されている。
 昌幸は稀代の戦略家だ。武田信玄、織田信長、豊臣秀吉に仕えながら、謀略を駆使し、小国を守り抜く。武将としての輝ける才能を受け継いだ幸村は、豊臣側で徳川家康と戦い、ほれぼれする活躍を見せる。池波の言葉を借りれば、戦場を芸術にした二人に比べて、信之は異質だ。思慮深く、治世者としての道を歩む。
『読本』でも紹介されているが、池波には真田家を題材にした小説が長編、短編を合わせて二十編以上ある。そもそも、戯曲を書いていた池波が一九五六年に初めて発表した時代小説が真田ものの『恩田木工』(後に『真田騒動』と改題)だ。信州・松代藩の真田家五代目時代に、財政改革に尽力した人物を描いている。池波はこの小説を執筆することで、時代小説を書く基盤が「どうやらできた」と述懐している。四年後に直木賞を受賞した『錯乱』も真田ものだ。
 真田ものとは、池波歴史・時代小説のふるさとであり、中軸を成すものの一つと考えられる。そして、『真田太平記』はその総決算になっている。
 池波文学に詳しい論者がこの『読本』に新しく文章を寄せているのも見逃せない。「週刊朝日」連載時に担当だった重金敦之はしきりに松本清張と比較して、作家・池波の特徴を浮き彫りにしている。一方、鶴松房治の文章では、『真田太平記』が池波忍者小説の集大成だという指摘が印象的だった。この大長編に登場する女忍び、お江のあふれる魅力を思い出す人もいるに違いない。
 池波は忍者によって歴史に補助線を引き、自身の歴史解釈を形にしている。歴史の表面に出ているのは、武将たちの覇権争いだ。しかし水面下では、忍者たちが暗闘を繰り広げている。両者はあざなわれた縄のように、一体になって時代をつくっていく。
 池波は、おじさんたちが若者に読ませたい作家としても屈指の存在だろう。その作品には厳しくも優しく、人の世の掟や真実が描かれているからだ。このガイドを手にして、波乱の時代を生きた人々の運命に心躍らせる人が増えることを期待したい。

 (しげさと・てつや 聖徳大学教授・文芸評論家)

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