対談・鼎談

2016年1月号掲載

米窪明美『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』刊行記念対談

書かれたことのない昭和天皇の実像を描く

保阪正康 × 米窪明美

対象書籍名:『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』
対象著者:米窪明美
対象書籍ISBN:978-4-10-339751-9

 皇居の最奥で行われる宮中祭祀から、質素な日々の食卓、さらには身支度、お風呂、トイレの決まりごとまで――この12月に刊行された『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』は、ユニークなノンフィクションだ。膨大な史料を繙(ひもと)き、ネクタイの結び方や就寝時の服装、愛用のゴミ箱といったディテールを丹念に集めて、昭和天皇の「生涯で最も特別な1年」の暮らしぶりを鮮やかに甦らせた。そこに息づいているのは、息子であり、兄であり、夫であり、父である人間・天皇である。
「歴史は平凡な日常の中で動いていくもの」と言う米窪氏が、昭和史研究の大家、保阪氏と、昭和天皇の語られざる実像について語り合った。

真理は「日常」に宿る

米窪 本日は、とても緊張して参りました。厳しいご意見をいただければ幸いです。

保阪 いやいや、今回あなたの本を読んで感心したことが3つあるんですよ。

米窪 本当ですか?

保阪 ええ。まず、ディテールにこだわって書いているということ。

米窪 恐れ入ります。たとえば天皇皇后が暮らしていた御文庫の間取りとか、日々の献立とかですよね。どうしてもそういうものが気になりまして......。

保阪 おふたりの寝室の中のこととかね(笑)。2つめは、表情や動作を通じて天皇の心中まで感じられるような描写をしているところです。たとえば〈窓から風に乗って出征兵士たちが二重橋前で万歳三唱する声が微かに聞こえる。侍従が部屋に入ってきたことにも気付かず、書類を前にした天皇は手をとめじっと耳を傾けていた〉というようなところ。こういう描写ができるのは多くの史料に目を通しているということですね。

米窪 あ、そこは入江相政日記です。入江さんの目をお借りしました。

保阪 ああ、米窪さんの想像ではなく、やっぱりきちんとした裏付けがあるんですね。史料の読み方や使い方が我々と違うんだな。もちろん、『昭和天皇実録』も読みましたよね?

米窪 はい、とても参考になりました。1945年の天皇皇后は皇居内の防空施設である御文庫で暮らしていましたが、その狭い空間で執務もしたために、生活の様子が史料ににじみだしているのです。

保阪 そうか、それは気づかなかった。では玉音放送のあと、皇太子が疎開先の日光で同級生たちと「月の砂漠」を歌っている描写ね、とてもロマンティックな書き方をしていますが、あれはどうやって書かれたのですか。

米窪 当時お側に仕えた高杉善治さんの本が参考になりました。

保阪 ああ、高杉さんの本にありましたか。そういう記述があったな。必ず根拠があるんだ(笑)。

米窪 はい、客観的な史料で裏付けないと、想像では書けません(笑)。

保阪 感心した3つめはね、「1945年の昭和天皇」というテーマで書くなら普通必ずこだわるポイントをさらりとしか書いていないことです。たとえば3月10日の東京大空襲とか、8月15日の玉音放送とか、9月27日のマッカーサー訪問とか。6月8日なんか必ず書くんですよ。御前会議で解釈が分かれたが戦争の継続が確認された場面とかね。そういうところをあえて外している点に興味をもちました。意図的なんでしょ?

米窪 人間としての天皇が書きたかったものですから......。

保阪 なるほど。書きっぷりに書き手の意思を感じたんですよ。そうすると、書く要素や史料を取捨選択する基準があるわけですね。

米窪 あまり大それたことは考えていませんが、皇族や侍従の日記などを読んでいて、チラッとお茶の間の光景が垣間見えたりすると、ぐっと惹かれてしまうんです。

保阪 大きな出来事には関心がないということ?

米窪 もちろん関心はありますが、それはわたし以外にやる方がいらっしゃいますし、わたしは、歴史というのは小さくて平凡な日常の中で動いていくものだと思うんです。

保阪 たしかにその通り。歴史の真実はそこにあるんですよね。真理は細部に、つまり日常に宿る。米窪さんは今まで書かれたことのない昭和天皇像を描こうと思ったんですね。

米窪 そう言っていただけると光栄です。

お風呂とトイレの決まりごとは?

米窪 わたしは宮中での儀式の作法を調べ続けているのですが、明治と昭和の天皇の暮らしは、全くといっていいほど違うんです。特に大きかったのは、身の回りの世話をする権典侍(女官)と侍従職出仕(少年)を廃したこと。これで、宮中の動線が大きく変わりました。清浄を尊ぶ作法は残りましたが、お風呂やお手洗いもひとりで入れるようになりましたし、日常生活の中で浄と不浄の問題に振り回されることは少なくなっているように感じます。

保阪 明治天皇はどうやってお風呂に入っていたんですか。

米窪 女官と一緒に入って、洗ってもらって、拭いてもらって、という具合です。

保阪 昭和天皇は?

米窪 ひとりで入ります。

保阪 そうなんですか。

米窪 朝の身支度にしても、明治天皇はすべて女官にお任せです。顔を洗ったり、身体を拭いたり、髭を整えたり、服を脱がせたり、着せたり、女官の身分によってやることが決まっていて、下半身は身分の低い人が担当します。

保阪 その間、明治天皇は黙って立っているだけなんですか。

米窪 そうです。

保阪 大正天皇は?

米窪 権典侍がいましたから同じはずです。変わったのは昭和からです。昭和天皇はご学問所にいたころから、なんでも自分でやるようにしつけられていましたから。

保阪 そういう暮らしぶりは、どんな本を参考にして描いたんですか。

米窪 まず山川三千子さんの『女官』ですね。それと、大正天皇と貞明皇后に仕えた椿の局(坂東登女子)が宮中のあれこれを語った『椿の局の記』という本もあります。これは御所言葉のアクセントを知りたいと思った方言学者が話を聞きに行って書いたものなのですが、わたしは別の使い方をしています(笑)。

保阪 なるほど。あと、たいへん尾籠な話なんですが、検便ね。毎日やっていたんでしょ?

米窪 そうです。結果は侍医日誌と呼ばれるカルテに毛筆で書かれたようです。

保阪 今は仕組みが違うと聞きますが。あの当時の記録は残っているんでしょうねえ。

米窪 宮内庁が残していると思います。おトイレで言えば、昭和天皇と香淳皇后は水洗ですが、大正天皇と貞明さまは箱型のものをお使いでした。梨本宮伊都子さまの本にも箱型のものを使っていると書かれていますから、貞明さまの世代までは箱型なんだと思います。

保阪 まさに、真理は細部に宿る、だね。

米窪 恐れ入ります。

保阪 それとね、ぼくはいつも不思議に思っていたんだけど、昭和天皇はどんなものを着て寝ていたんですか。

米窪 普通のパジャマです。大正天皇までは足元まである羽二重の着物でした。

保阪 そうか、パジャマですか。ぼくはそういう視点で描いたことがないから、本当に面白い。

米窪 すこし時代が下るんですが、よろしいでしょうか。天皇の大事な仕事である宮中祭祀について言えば、大正天皇までは作法すなわち形が大事で、その形を守れなくなったら天皇は交代していたんです。しかし、昭和天皇が高齢になって形を守るのが難しくなると、侍従長の入江相政は形より天皇がやることを重んじて祭祀を簡略化してしまうんです。これは相当新しい考え方で、天皇という存在を考える上で本当に大きなことなんです。今上天皇と皇后のご葬送から火葬になることも、とても大きな変化です。

『増鏡』を書きたかった

保阪 その点は同感ですね。でも、そもそも、このユニークな本を書こうと思ったのはなぜですか。

米窪 (笑)。

保阪 それは秘密ということ?

米窪 いえ、偉そうに聞こえたら申し訳ないのですが、『増鏡』みたいなものを書きたかったんです。

保阪 えっ......。

米窪 宮廷は日本文学の源流だと思うんです。そして、書き手はみんな同時代の宮廷を書いてきた。ならば近代でもそれをやっていいんじゃないかと。おおもとは中学のとき『ベルサイユのばら』や三島由紀夫の小説を読んで「こういう世界が自分は好きだなあ」と感じたからなんですけど。

保阪 面白い人ですねえ。いつ頃から史料を読んできたんですか。

米窪 二十歳くらいからです。

保阪 どんな読み方をするんですか? メモを取るとか、付箋を貼るとか?

米窪 繰り返して読むんです。読んで忘れて、読んで忘れて、それでも覚えているところだけを使うんです。

保阪 その方法、よくわかります。話を1945年に戻しましょう。天皇以外の人物、母・貞明皇后や妻・香淳皇后、娘の照宮の姿も見事に浮かんできます。それに弟たち(秩父宮、高松宮、三笠宮)の描き方も面白い。高松宮の書き方は特に印象的だし、正しいと思いますよ。周囲の人間の意見に左右され矩を超えて行動しがちな高松宮を天皇は苦々しく思っていました。あの年は日に日に敗色が濃くなって、天皇の独り言が増えていきます。あと三種の神器の今後について思い悩むところとか、いってみれば天皇の感情が大きくふれる時を、あなたは意図的に選んで描いていますよね。

米窪 平静であることを旨とした天皇が涙を流したり、つぶやいたり、感情をあらわにする場面に心を動かされたんです。

保阪 天皇は感情を抑制するよう幼い頃から教育されていますからね。

米窪 同時に感じたのは、終戦という大きな出来事があった年ですけど、その前も後も、もっと言えば晩年まで、天皇は変わらなかったんじゃないかということです。

保阪 なるほどねえ。たしかに、クールさが、天皇の本質だったと思うんですよ。

米窪 もうひとつ、この本を書くために史料に当たって改めて気づかされたことがあります。戦況が悪化していく中でも天皇の生物学への姿勢は変わらないんですよ。顕微鏡をのぞき、分類したものに、ラベルを貼る。それを繰り返すわけです。わたしには、そうした行為が天皇の本質と結びついているように思えてならないんです。つまり天皇は何かを「繰り返す」こと、続けてきたものを途絶えさせないことが、体感的に身についているのではないか。強く願ったり、深く考えなくとも、からだにしみついて抜けないこと。それこそが天皇の本質ではないか。そう感じています。

保阪 膨大な史料を読み込んだからこその鋭い指摘ですよ。

 (ほさか・まさやす ノンフィクション作家、評論家)
 (よねくぼ・あけみ 学習院女子中・高等科非常勤講師)

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