書評

2015年12月号掲載

善人面した悪党たちの、痛快エンターテインメント

――西條奈加『大川契り 善人長屋』

細谷正充

対象書籍名:『大川契り 善人長屋』
対象著者:西條奈加
対象書籍ISBN:978-4-10-135777-5

 善人面した悪党たちが、成り行きまかせに善行三昧。ユニークな設定とキャラクターが躍動する、西條奈加の痛快時代エンターテインメント「善人長屋」シリーズの第三弾が、ついに登場した。また、長屋の住人たちに会えるかと思えば、嬉しくて堪らない。
 深川浄心寺裏山本町にある長屋。木戸脇に質屋の「千鳥屋」があるため千七長屋の名が付いているが、真面目で気のいい人ばかりが暮らしていると評判で、いまでは"善人長屋"と呼ばれている。しかしそれは、表の顔であった。長屋の差配をしている「千鳥屋」の主人の儀右衛門は、質屋の裏で盗品を扱う窩主(けいず)買いをしていた。また、長屋の住人も、騙りをしている菊松・お竹の夫婦や、情報屋の半造など、誰もが裏稼業を持っている。さらに、それぞれの女房や子供も、裏稼業のことは承知済みだ。そんな長屋に手違いから、正真正銘の善人である加助が入ることになった。辛い過去を抱えながら、善行に邁進する加助に巻き込まれた長屋の住人は、裏の顔を駆使して、さまざまな騒動を解決していく。
 というのが、シリーズ第一弾『善人長屋』のアウトラインだ。続く第二弾『閻魔の世直し 善人長屋』では、悪党どもを退治する閻魔組の横行に、前作で生まれた凶賊・夜叉坊主の代之吉との因縁が絡まり、長屋の面々が一致団結した活躍を見せてくれた。
 そして第三弾となる本書だが、連作短篇のスタイルで、善人長屋に持ち込まれた騒動が描かれていく(ちなみに、シリーズ第一弾は連作短篇、第二弾は長篇である)。物語の視点人物は、いつものように儀右衛門の娘のお縫だ。彼女には姉と兄がいるが、すでに長屋を出ていて、存在だけが記されていた。そのふたりが、本書に登場する。まず第一話の「泥つき大根」では、茶問屋「玉木屋」に養子に行き、主人の役割を果たしている兄の倫之助が、長屋を来訪。一年前に夫を失った義母が、二十五も年下の石蔵という男といい仲になったと、困り事を相談。さっそく動き出す長屋の面々により、やがて石蔵の正体と、義母の胸中が明らかになるのだった。ストーリーの面白さは当然として、深く掘り下げられた人の心と、優しく爽やかな締めくくりと、本シリーズの魅力が十全に活写されていた。冒頭を飾るに相応しい作品だ。
 さらに第五話「雁金貸し」ではお縫が、長屋を嫌っている姉のお佳代と、十年ぶりに再会。姉のかかわった金貸しの詐欺事件を解決しようとする。長屋の面々の持つ、裏稼業の能力が発揮されるところに、シリーズの魅力があるのだが、それは本作でも健在。代書屋の傍ら、文書偽造をしている浪人の梶新九郎が、金貸しの証文に仕掛けられた細工を見事に見抜くのである。
 また、長屋を嫌い正しい生き方に固執するお佳代に、善行三昧の加助の在り方を重ね、"善"ですら人を追い詰めることがあることを述べたラストには、深く考えさせられた。前作とも通じ合うテーマを扱った秀作といえよう。
 そして第七話「鴛鴦の櫛」と、それに続く最終話「大川契り」は、ある事情からお縫と母親のお俊が盗人の人質になり、お俊の苦い過去が語られる。もちろん、掏摸(すり)の安太郎が旧知の少女の苦境を知る第二話「弥生鳶」や、傷だらけの子供を助けようとした菊松・お竹の行動が意外な真実を暴く第四話「子供質」、美人局(つつもたせ)をしている唐吉・文吉の恋愛騒動を綴った第六話「侘梅」など、長屋の住人も、それぞれの話で躍動している。どれもこれも面白く、作者のストーリーテラーぶりが、存分に楽しめるのだ。
 しかも各作品を通じて、人間の持つ善悪というものが、多角的に見つめられているではないか。たとえば第三話「兎にも角にも」では、加助の善意が踏みにじられる一方で、彼の善意で良い方向に変わった人が居ることが明らかにされる。善も悪も人の心から生まれるものであり、常に複雑な内実を秘めている。それを悪党だからこそ、善悪に敏感な長屋の住人を投げ込み、鮮やかに表現しているのだ。ここに本シリーズの、大きな読みどころがある。
 昨今の、横浜の巨大マンションの傾き発覚から始まった、一連の騒動を見たら分かるが、現代社会は問題に対する責任の所在が分散されており、誰が真に悪いのか、判断しづらくなっている。そのような時代だから、本シリーズの価値は高まる。善人長屋の悪党たちの痛快な活躍が、善悪の本質を見極める眼を、鍛えてくれるのである。

 (ほそや・まさみつ 書評家)

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