書評

2015年8月号掲載

「老後破産」は対岸の火事ではない

――NHKスペシャル取材班『老後破産 長寿という悪夢』

板垣淑子

対象書籍名:『老後破産 長寿という悪夢』
対象著者:NHKスペシャル取材班
対象書籍ISBN:978-4-10-128379-1

「お金がなくて病院に行けない……」
 ひとり暮らしの高齢者を取材していると、こうした言葉をよく耳にする。食費や光熱費を切り詰めても余裕がなく、医療や介護といった「命に関わる費用」を節約しなければならない高齢者が今、増えているのだ。
 昨年9月に放送したNHKスペシャル『老人漂流社会~“老後破産”の現実~』では、こうした高齢者の実態をルポし、大きな反響を得た。
 厚生年金が月10万円で暮らしていた男性は、家賃6万円をひくと手元に残るのは4万円。公営住宅に引っ越す費用もなく、食べていくだけでやっとの暮らしを続けていた。男性は20年間勤めていた会社を辞め、飲食店を開いた。しかし、赤字続きで閉店。借金を返したら、手元にお金が残らなかった。仕事に邁進するあまり、結婚もしなかった男性には「頼れる家族」はなく、「頼るカネ」もなくなった。男性は口癖のようにこうつぶやく。
「こんな老後になるとは思わなかった……」
 超高齢社会を迎えた我が国で、急増している独居高齢者。600万人ほどが、自分の収入や貯蓄を頼りに暮らしている。
 単身高齢者の年金収入を分析すると、およそ200万人が「生活保護水準」を下回る額だということが分かった。貯蓄があるうちは、それを少しずつ使いながら生活費の赤字分を補えるが、なくなれば破産状態に陥る。結果、必要な医療さえ受けられず、追いつめられていく人が少なくない。本来であれば、生活保護で不足分を補填しながら暮らしていけるはずだが「墓に入るための貯金」など、手元にわずかでも貯蓄を残そうとすれば、生活保護は原則として受けられなくなる。そのため、自分の年金収入だけで暮らしていかなくてはならず、「老後破産」に陥ってしまうのだ。
 そして「老後破産」に陥った高齢者が同じように口にする言葉――。
「生きていてもしかたない。死んでしまいたい」
 番組のポスター制作の担当者にこの言葉を伝えると、ポスターに書き込むキャッチコピーが決まった。
「長寿という悪夢」
 長生きをするお年寄りが安心して暮らせないばかりか、長寿を呪いながら生きなければならない過酷な現実――それを伝えたかったのだ。
 今、老後に漠然とした不安を抱いている人は少なくない。しかし、本当に自分の親や身近な人が「老後破産」に陥りかねないことを想像できるだろうか。
「こんな老後になるとは思わなかった……」
 この言葉が再び耳に突き刺さってくる。当たり前に暮らしてきた人たちが「老後破産」に陥り、発する言葉だからだ。
 番組放送後、視聴者から届いた反響の多くは、同じように年金生活にゆとりがなく、苦しんでいるという声だった。
「年金4万円では暮らしていけず、生活保護を受けています。楽しみもなく、毎日、いつ死ねるのかと考えています」(80代女性)
「年金は毎月16万円もらっていますが、出費は16万円を超えるのです。それでも贅沢しているわけではありません。医療や介護を節約すれば、私の場合、死しかありません」(70代男性)
 さらに、驚いたのは「子どもと一緒に暮らしているが、それでも破産寸前だ」と訴える声が目立ったことだ。長引く不況、非正規労働の拡大などこの二十年余りのしわ寄せが高齢者を支えるはずの家族に打撃を与えているのだろう。
 こうした「親子共倒れ」とでもいえる新たな老後破産について、私たちはさらなる取材を続けている。今夏、続編を放送予定だ。
「老後破産」はもはや対岸の火事ではない。誰の未来にも起こり得る現実だ。老後にどう備えればいいのか――それを考えるためにも、まず現実を直視することから始めて欲しい。取材をまとめた『老後破産 長寿という悪夢』に描かれた現実は、私たちのすぐそばで起きている日常なのだ。

 (いたがき・よしこ NHKチーフプロデューサー)

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