書評

2015年7月号掲載

エスキモー語研究者が見た「英語の脅威」

永井忠孝『英語の害毒』

永井忠孝

対象書籍名:『英語の害毒』
対象著者:永井忠孝
対象書籍ISBN:978-4-10-610624-8

 このたび、英語に関する本を書いた。とはいっても、英語を話せるようにするにはどうすればいいか、というような本ではない。タイトルの通り、英語の負の側面に照準を定めている。現状のような、あこがれ一辺倒の無防備な態度で英語にのぞむことの危険性を、様々な観点から検証する。
 私は英語学や英文学の専門家ではない。専門は言語学ではあるけれど、主に研究しているのはエスキモー語だ。専門が英語だったら、こんなことを書こうとはきっと思わなかった。この本はエスキモー語にふれてはいないけれど、ある意味でエスキモー語研究者の視点から見た英語の本だ。
 アラスカ北部のエスキモーは、みんな英語を話す。エスキモー語を話せるのは一部のお年寄りだけ。村には、テレビを通して白人の文化・価値観が入り込んでいった。今では、村長も学校の先生もみんな白人だ。そんなエスキモーの間には、若者の自殺やアル中などの社会問題が蔓延している。
 このように、みんなが英語ができるようになった社会は、ことばの障壁を失ってしまう。英語の母語話者に有利な社会、つまりは英語国の文化的植民地になってしまう可能性がある。英語を学ぶことは、自発的に植民地化を進めることでもある。
 しかしながら日本人の多くは、英語はいいもの、ありがたいものと考え、英語について実に多くの一面的な誤解をいだいている。いわく、「グローバル化が進んだ社会では、英語ができないとやっていけない」「英語の重要性は増していく一方だ」「就職活動では英語がものをいう」「アメリカ英語やイギリス英語が正しい発音で、日本語なまりでは通じない」「英語が上手になりたければ、早くからネイティブに習うべきだ」――。
 本書で様々なデータにもとづいて検証する通り、これらの「常識」はいずれも誤りだ。しかし、このような英語観にもとづいて、日本の英語教育は急速に変わりつつある。
 英語教育が会話中心になった。小学校に英語が導入された。大学の授業に英語で行うものが増えている――。すなわち、バイリンガルを究極の目標とする方針だ。しかし、この程度で完璧なバイリンガルが育つわけがない。うまく行けば、日本人の多くが日常会話程度の英語力をもつようになるかもしれないが、それはエスキモーと同じように、日本人もことばの障壁を失うということだ。
 一方で、社外取締役制度が導入・強化されてきた。英語を社内公用語とする企業も出てきた。こうした中で日本人が中途半端な英語力を持てば、外国人経営者が日本人社員を支配することになるだろう。日本の植民地化が進むということだ。
 日本人はなぜ英語に多くの無防備な誤解をいだいているのだろうか。誤解から解放される途はあるのだろうか。この本では、英語に対する適切な距離の取り方を提案する。英語に興味がある人、英語をやらないといけないと思っている人、社会全体が英語をこんなに推している現状に疑問を感じている人、多くの方々に読んでいただきたい。

 (ながい・ただたか 言語学者・青山学院大学准教授)

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