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キラキラネームノダイケンキュウシンチョウシンショキラキラネームの大研究(新潮新書)

伊東ひとみ

660円(税込)

苺苺苺(まりなる)ちゃん、紗冬(しゅがあ)ちゃん、愛夜姫(あげは)ちゃん、手真似(さいん)くん。「神様、読めません……」目からウロコの日本語論。

苺苺苺と書いて「まりなる」、愛夜姫で「あげは」、心で「ぴゅあ」。珍奇な難読名、いわゆる「キラキラネーム」の暴走が日本を席巻しつつある。バカ親の所業と一言で片づけてはいけない。ルーツを辿っていくと、見えてきたのは日本語の本質だった。それは漢字を取り入れた瞬間に背負った宿命の落とし穴、本居宣長も頭を悩ませていた問題だったのだ。豊富な実例で思い込みの“常識”を覆す、驚きと発見に満ちた日本語論。

キラキラネームの謎を追う“旅”

伊東ひとみ『キラキラネームの大研究』

伊東ひとみ

 私にとって「光宙(ぴかちゅう)」はキラキラネームの中でも格別に印象深い名前である。なにしろ、古代漢字の本を執筆中だった数年前、この名前に遭遇し、出会いがしらのインパクトの強烈さに引きずられるように、私は無謀にも「キラキラネーム」というミステリーの謎を追う“旅”に乗り出してしまったのだから。
 キラキラネームのどこがミステリーなのだ? 単に名づけ親が無教養で浅はかというだけの話ではないか、と思われる方もいらっしゃるだろう。たしかに「苺苺苺」と書いて「まりなる」、「心太」で「はあふ」、「愛夜姫」で「あげは」、「紗冬」で「しゅがあ」、「黄熊」は「ぷう」――巷間言われている難読名の珍奇ぶりは凄まじい。しかし今や、心(こころ)の「ここ」+愛(あい)の「あ」で「心愛」を「ここあ」、「桜」を「はる」などと読ませる名前が新生児の命名ランキング上位に入る時代。これまでの常識がまったく通用しない、フリガナがなければ読めない名前はすっかり主流派と化し、フツーの親がフツーにつけるものとなっている。ヤンキー気質の親による「夜露死苦(よろしく)」風の命名と嘲笑している場合ではないのである。
 ここで不可解なのは、どうしてフツーの親がわざわざそんな命名をするのか、ということだ。しかし、当て字・当て読みという視点から考えていくと、読めない名前は、かわいいわが子にステキな名前をプレゼントしたいと願うあまり、音の響きも、漢字の意味も、画数も、どれもこれも最高のものを! と欲張ってあれこれ盛っているうちにキラキラ化してしまったものと思いあたる。
 そもそも日本語は、異なる体系を持つ中国語の文字である漢字を借りて形成された。それゆえ日本語そのものが無理読みという宿命を背負っている。一見奇抜な「光宙」ですら、「光一」と書いて「ぴかいち」と読む語句が昔からある。もとより漢字の読みは一筋縄ではいかないものなのだ。
 しかも、歴史上には「光宙」という名を持つ人物も実在(読み方は本書で)。また「藤原明子」は「ふじわらのあきらけいこ」、徳川第十四代将軍「家茂」は「いえもち」と、無理読みしている例は枚挙に暇がない。かの本居宣長の門下生にさえ、「稽古(とほふる)」「光多(みつな)」など難読名の人が大勢いて、宣長を嘆かせている。
 だが、そうなると新たな謎が浮上してくる。無理読みが日本語の宿命なら、なぜ最近になってキラキラな難読名が増殖したのか。なぜ常識からの逸脱が急速に進んだのか――。キラキラネーム現象は、「個性化願望」や「下流社会」などのキーワードで解説されたり、キラキラの次は古風なシワシワネームが流行るといわれたり、時代の表層を彩る一過性のトレンドと見られがちだが、じつは太古からの日本語の深層につながっている。結局、私の“旅”は遠く言霊や習俗の世界にまで及ぶものとなった。日本人の名前の歴史を繙きながら、奥行きの知れない日本語の森に分け入る謎解き旅に、どうかしばしお付き合いください。

 (いとう・ひとみ 文筆家)


伊東ひとみ 『キラキラネームの大研究』 978-4-10-610618-7

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