書評

2015年5月号掲載

黒々とした疑念が浮かび、やがて覆される

――麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』

三橋曉

対象書籍名:『あぶない叔父さん』
対象著者:麻耶雄嵩
対象書籍ISBN:978-4-10-121281-4

 かつて、濃い霧を“豆スープのような”と形容した映画があったが、本作の舞台となる霧(きり)ヶ町(まち)を一年中覆う霧も、まさにそれである。道路を行き交う自動車は、昼だというのにヘッドライトを灯すが、それでも交通事故の件数は、県内でワーストというありがたくない評判をいただいている。
 霧とくれば、ミステリ・ファンが連想するものは決まってロンドンとホームズだろうが、この『あぶない叔父さん』は、そのどちらとも無関係だ。しかし、よれよれの書生姿にインバネス、天然パーマのもじゃもじゃ頭(しかも、頭を掻き毟ってはフケを落とす)という、ある名探偵によく似たキーパーソンが登場する。
 三十五歳なのに独身で、定職にも就かず、屋根の雪おろしや行方不明のペット捜しといった“なんでも屋”の仕事をしながら暮している。本作の語り手で、高校二年生の斯峨優斗(しがゆうと)を除く家族たちは、家の恥と言って憚らない。その人物とは、優斗の“叔父さん”である。
 夢も希望も濃霧が吸収してしまうようなこの町で、そんな冴えない叔父さんが、すわ事件となると、難事件の数々を快刀乱麻の如く次々解決していく、というわけでは勿論ない。そこは麻耶雄高(まやゆたか)のこと、この『あぶない叔父さん』の連作の中には、そんな当り前の話などひとつもない。
 冒頭に置かれた「失くした御守」では、町の主幹産業である水産事業を一手に仕切る名家のひとり娘が、しがない中学の国語教師と駆け落ちをする。しかし、二人は姿を消した翌日、公園で死体となって発見される。当初は心中かと思われたが、事件は間もなく殺人であることが判明する。
 語り手である優斗の家は由緒あるお寺だが、次男坊の気楽さもあって、日々のほほんとした学園生活を送っている。彼のまわりには、呑気なゲームおたくで、時に名探偵を気取る友人の武嶋陽介(むしまようすけ)や、TVドラマに目がないガールフレンドの美雲真紀(みくもまき)らがいる。娯楽の乏しい霧ヶ町で、殺人事件の話題は彼ら高校生たちにとっての格好の“娯楽”なのである。
 令嬢と教師の事件も、ああでもない、こうでもないと、噂話で散々盛り上がるが、初詣で買った真紀とお揃いの御守を紛失し、必死になって家中を捜すうちに、優斗は御守とともに意外なものを発見する。その後に解決篇として叔父さんが優斗に語って聞かせる事件の顛末は、メタミステリ的な作品に慣れっこな麻耶雄嵩の読者も、愕然とするに違いない。
 四年間に五作というゆったりとしたペースで〈小説新潮〉に発表されてきた作品の数々に、書き下ろしを一編加えた、しめて六作からなるこの『あぶない叔父さん』だが、その全編に共通するのは、まるで“日常の謎”を思わせる(もちろん全然違う!)、語り手の少年と叔父さんのほのぼのとした心の交流である。謎の連続放火、自殺にみせかけた首吊り死、犬神の祟りを思わせる殺人、展望浴場に忽然と現れた死体。いずれの事件も、その陰惨な内容とはおよそミスマッチな穏やかで温かな余韻を残して幕を閉じる。
 一方、読者の心には、「失くした御守」を読み終えた途端、黒々としたある疑念が浮かび、それを確かめたい気持ちに駆られて、頁をめくる手にも力がこもるに違いない。しかしそれを嘲笑うが如く、一定のパターンを敢えて覆してみせる第三話の「最後の海」のような作品もあって、読者の看破を容易に許さない作者の手強さは、ここでも不変だ。
 語り手の優斗をめぐっては、第二話の「転校生と放火魔」で、小学校時代の元カノ辰月明美(たつつきあけみ)が帰郷し、強引に復縁を迫るという展開が待ち受ける。以降、優斗、真紀、明美の魔のトライアングルは、ダークな色合いのラブコメ調となって、不協和音を響かせながら連作の行方を攪乱する。
 最後をしめくくる書き下ろしの「藁をも掴む」は、そんな彼らの関係を象徴するかのような青春・学園ミステリで、校舎から二人の少女の転落死を優斗と明美が目撃する。掟破りの趣向とも相俟って、本連作集中屈指の名編といえるが、それでも読者の脳裏を過ぎるのは、そこへと至る道筋に置き去りにされてきたピースの数々だろう。つい先ごろ、『神様ゲーム』のアンチテーゼを九年越しの『さよなら神様』で鮮やかに回収してみせたばかりの作者のこと。いつの日かこの“叔父さん”シリーズもまた、読者の思いも及ばない大団円を見せてくれるに違いない。

 (みつはし・あきら ミステリ・コラムニスト)

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