書評

2014年12月号掲載

純米酒のような

――塩田武士『氷の仮面』

塩田武士

対象書籍名:『氷の仮面』
対象著者:塩田武士
対象書籍ISBN:978-4-10-336811-3

 目の前に座る美しい女性の口元が、やや歪んだ。
「今、女の子として生きたい人は、この世界に来ないです。『普通の女』として暮らしていけますから」
 その言葉を聞き、私は確かに時は流れたのだと実感した。
 六本木にあるシアターレストラン。インタビューに応じてくれたのは、女性の心を持って男性の体で生まれた「性別違和」のダンサーだった。
 節目の多い人生かもしれない――。
 まず性別への違和感を覚え、近しい人にカミングアウトし、女性ホルモンの投与と性別適合手術の決断、戸籍の変更……。人間の思考は人生の節目で深まるものだが、彼、彼女らの場合は頼んでもないのに向こうから試練がやってくる。その節目の数だけドラマがあるのではないか。
 私が「性別違和」をテーマに小説を書こうと思った動機だ。当初は難しいテーマなので、笑いを入れて読みやすくしようなどと考えていたが、取材を進めていくうちに、この小説は言わば「純米酒」であると気付いた。細やかな心理描写と時代の変化を的確につかむストーリー展開。この二つに磨きをかけることが重要であって、醸造アルコールを添加するような、キャラクターや会話の調整は不要だった。
 インタビューや資料を基に、私は主人公の女性の歩みを年代ごとに分けて表にし、彼女がそのときに何を経験し、何を思うのかを書き込んでいった。同時に「性別違和」に関する情報――法律、手術、芸能など――も記し、昭和後期から現在に至るまでの変遷を明確にして、人々の意識の変わりようを捉えようと試みた。
 そうして一つひとつの欠片を拾い集めてプロットを組み立てたのだが、連載の回を重ねるごとに主人公に対する思い入れが強くなり、私は次第に彼女の人生に責任を持ちたいと思うようになった。
 この小説の山場の一つは手術シーンにある。東京オリンピックが開かれた一九六四年、東京都内の或る産婦人科医が三人の睾丸を摘出した。これにより医師は翌年逮捕され、その四年後に有罪判決を受けてしまう。三人が男娼であったことから「ブルーボーイ事件」と呼ばれるが、性別適合手術を語る上で、この事件は避けて通れない。
 睾丸を摘出したことが優生保護法(現・母体保護法)違反に問われたのだが、裁判官の判断は手術そのものを否定したわけではなかった。術前の診断が不十分であった点が問題視されたのだ。その上、この医師は麻薬取締法違反にも問われていて、それを含めた判決なのである。
 だが「有罪」という事実はあまりに重く、九八年に埼玉医大が国内“初”となる公の性別適合手術を実施するまでの空白の三十年間は、国内では「闇手術」以外に選択肢がなかった。私はこの三十年を闇にしたことが「性別違和」をより扱いづらいものにしたと思っている。
 物語では、主人公が手術するのは二〇〇七年のことだ。私は症例数の多い医師にインタビューし、当時の技術について聞き、また実際に手術室に入ってオペを取材させてもらった。さらに、患者が手術前日に泊まるホテルとタイムスケジュールを教わり、一人でホテルの部屋にこもって患者と同じように過ごした。
 夜、狭いビジネスホテルの一室で、私は息苦しさに悶えた。窓を開けても目に入るのはビルと列をつくる車のみ。本を開いてもテレビをつけても落ち着かない。消灯して聴覚が冴えると、廊下から伝わるドアの開閉音や隣の部屋から聞こえる男の咳が気になって仕方がない。時計を見るたびに、ほとんど針が進んでいないことに驚き、また苛立った。
 そして私は、目を開いていようが閉じていようが大差ない闇を前に、深い孤独を覚えた。人生の一大事を明日に控え、一人乾燥した部屋で過ごさなければならない主人公の気持ちが、ほんの少し分かった気がした。
「性同一性障害特例法」が施行され、十年が経った。未だ偏見は残っているが、冒頭に紹介した通り、本来の性で生きる人は増えている。この物語も前を照らす光の中で終章を迎える。そして、主人公が辿り着いた「氷の仮面」という答えは、図らずも私の人生の道標となった。
 その結末に「性別」という文字はない。

 (しおた・たけし 作家)

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