書評

2014年11月号掲載

べんけい力(りき)さん

――山本一力『べんけい飛脚』

村上信夫

対象書籍名:『べんけい飛脚』
対象著者:山本一力
対象書籍ISBN:978-4-10-121347-7

 力さんの小説を読んでいると、力さんの野太い声が聞こえてきそうだ。聴くだけでゾクゾクしてくる声だ。その声で、その場で登場人物たちの振る舞いを見てきたような語り口で、たちまちのうちに読者を小説世界に誘うのだ。
 力さんは、NHK時代、ボクが進行役を務めていたラジオ番組に、三年近くレギュラー出演していた。名づけて『山本一力の大江戸案内』。まるで江戸時代からやってきた人のように、江戸時代のイロハを面白くわかりやすく語ってもらった。山本さんは、ボクのことを「信さん」と呼んでくれた。あの声で言われると痺れた。ボクも気安く「力さん」と呼ばせてもらった。だから、ここでも力さんで通すことをお許しいただきたい。
 新刊『べんけい飛脚』をいち早く読ませていただいた。力さんの朱文字の微に入り細に入りの校正を目の当たりにすると、一文字すら揺るがせにしない作品への愛情を感じる。

 徳川政権下、加賀百万石の前田家は、御三家に準ずる待遇を与えられ、将軍や重臣たちからも一目置かれる存在だった。中でも、加賀藩五代藩主の前田綱紀は、きわめて存在感のある人だったようだ。八十二の長寿を全うした綱紀は、家光から吉宗まで六代に渡る将軍に仕えた。藩政改革にも実効をあげ、学問にも秀で、見識の豊かな人だった。
 作中では、加賀藩の飛脚御用を受け持つ浅田屋の当代伊兵衛をはじめ、健脚揃いの飛脚たち、宿場町の人々、将軍吉宗までもが、「言い出したらきかない」綱紀のため、直接間接、一肌も二肌も脱ぐ。そうさせる何かが綱紀にはある魅力的な人物なのだ。
 力さんの小説の魅力の一つに、「活写」がある。そのしぐさやふるまいで、簡にして要を得る表現で、登場人物が描写されている。例えば綱紀はこうだ。
「綱紀は鼻のあたまを掻いた。胸に思うところを抱え持っているときの、綱紀のくせである」
 もうこれだけで、綱紀の人物像がわかる。読者も傍らで実際に見ているような気になる。
 ほかにも、思わずうなる表現を見つけた。
「猪牙舟が牙を剥いて疾走を始めた」
「気負わずに息を吐いたつもりだったが、ロウソクの明かりが揺れた」
 猪牙舟に、ロウソクに……命が吹きこまれている。力さん、うますぎる。近い将来、時代小説を書きたいというボクの野望が打ち砕かれてしまうじゃないですか(笑)。
 物語は、中盤からは、戯作者の小林雪之丞が書いたという設定で、『綱紀道中記』が展開される。
 加賀藩の蓄財が大きいと、幕府転覆を画策しているのではないかと幕府から警戒される恐れがあった。特に、寛政の改革の旗振りをする老中・松平定信からは、疑念を持たれていた。そこで、加賀藩には格別の恩義を感じている飛脚問屋・浅田屋伊兵衛は、自分が見込んだ戯作者・小林雪之丞に、松平定信を納得させる物語の執筆を依頼した。
 綱紀は、幕府にあらぬ疑いをかけられぬため、資金に余裕がある時は散財をした。そして、桁違いのスケールの大名行列を仕立てて、国元と江戸を行き来した。これには、いうまでもなく莫大な資金を必要とする。
 江戸の語り部・力さんによる道中の活写が、実況中継を見ているようだ。華やかな行列に喝采を送る人々、右往左往する人々、間一髪の飛脚リレー……参勤交代の舞台裏に感心したり、手に汗握ったり。きっと松平定信も人目を忍びながら、夢中になって読んだにちがいない。
 400ページに及ぶ作品を一気読みした。
 士農工商の身分制度の枠組みを超えた「支え合い」がテーマと感じた。人は一人では生きていけない。行く先々でいろんな人が「下支え」してくれての自分がある。
 綱紀のこの言葉が泣かせる。「わしの周りは無数の弁慶が固めてくれておる」
『道中記』を読み終えた伊兵衛も嘆息して思う。人は誰しもが弁慶であると。
 そうなのだ。誰しも弁慶になったり、なられたり。自分自身の中にだって、いざというときに出て来てくれる弁慶がいるはずだ。「信さんね、人生、捨てたもんじゃないですぜ」というやや伝法な口調の力さんの野太い声が聞こえてきそうだ。そうしたら「いえ、いえ、力さんこそ、みんなの弁慶ですよ」と、ボクはやや上ずった声でいうことだろう。

 (むらかみ・のぶお 元NHKエグゼクティブ・アナウンサー)

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