書評

2014年9月号掲載

長風呂と短篇

――乃南アサ『それは秘密の』

宮崎香蓮

対象書籍名:『それは秘密の』
対象著者:乃南アサ
対象書籍ISBN:978-4-10-142557-3

 街の書店へ行って、POPやオビなど書店員さんの推薦コメントに影響されやすいのを自覚しつつ、一冊二冊と本を買う。妙な癖で、「映画化!」なんて謳われている本には手を出さない。何だかつまらないのだ。私が先に読んで、「これ、面白い」と思った小説がやがて映画化されることになると、「ほら!」となるのだけれど(最近だと例えば大島真寿美さんの『チョコリエッタ』)。
 家へ帰るとまずカバーを外し、お風呂に浸かりながら読み始める。本が湿気でパカパカに膨らむのを厭わず(モッタイナイという意識はあるので文庫本が多い)、のんびり長風呂をする。身も心も洗われる幸せなひと時だが、どこで今夜は読むのをやめるか、という判断がなかなかむつかしい。
 そうか、短篇集という手があったんだ、と気がついたのは、今回乃南アサさんの『それは秘密の』を読んだせいだ。〈こことは違う、どこか別な時空間に思い切り持って行かれたい〉という欲望から、私は長篇小説ばかりを読んできたので、おいしい短篇を次から次へと読んでいく楽しみを知らなかった。バスタブでのぼせあがる前に、「この一つでやめよう……」とひと区切りつけやすいのも便利。
『それは秘密の』に収められた短篇は恋ごころにまつわるあれこれがテーマで、それぞれ結末には希望や救いが織り込まれており、登場人物たちに一筋の光があたる。読んでいて気持ちがいいし、短篇ごとに登場人物の年齢(少年も老婆も出てくる)や立場(元夫婦も結婚前のカップルも)や性格(人間の汚さも清らかさも)もバラエティがある。
 乃南さんがすばらしく巧いなあと思うのは、最初に人物の名前や職業が明かされるわけではないのに、性別その他の情報が読者に自然とわかってくること。もうひとつは、心理描写が鋭くて、人間が口に出す言葉と心が違ってしまうことの怖さを、鮮やかに描き出している点だった。例えば、結婚に踏み切れない同棲カップルを描いた「アンバランス」。言葉足らずの会話が、二人の距離を遠ざけ、関係を危うくする。
 言葉、言葉、言葉。私にも、言い足りていない部分や、語彙が少ないせいもあって真意を伝えきれていないケースが本当によくあるなあ、と思う。自分のことを言葉にするのって、とても難しい。相手に自分をわかってもらったり、真意を伝えるためには、まず自分を見なくてはいけない。
 私は芸能界に入ってから、ある人に「この仕事は、自分を見なければいけない仕事なんだ。だから辛いかもしれないけれど、それでもなお自分を見続けなきゃいけないよ」と言われた。誰しもコンプレックスはあるし、最初は何につけ下手だから、見たくないところばかりだ。けれど、自分を表現するのが仕事である以上、どうしても自分をよく知らないといけない。自分のすべてを見つめることをやめてはならない。
「ほかの仕事でも同じじゃないかな?」とも思うようになったが、確かに女優なんて仕事は自分の全体が元手になっているぶん、ほかの仕事よりも、自分をじっくり見続けなくてはいけないのだろう。だけど、どんな仕事をしていようが、自分を見ていないと、言葉は決して真意を伝えてくれない。人間は自分のことをなかなか把握しきれていないから。
 私が素敵だなと思う人たちはみんな、きちんと自分の考えを言葉にできている。インタビューひとつにせよ、いい女優さんは必ず、その場限りではない、うわべだけではない言葉で受け答えしている。だが「アンバランス」の恋人たちはきちんと自分を見ずに、言葉がうわべだけになっていて――。
 そんな具合に、短篇を自分に引きつけて読んでいると、そこかしこで立ち止まって考えてしまう。次の短篇では、また違う考えや感動に立ち止まる。短篇集って豊かで、意外で、刺激的なのだ。たった数ページの掌篇「早朝の散歩」では、説明的なところがほとんどなく、女性がある言葉で救われる瞬間がふわっと掬い取られる。乃南さんはここでも、言葉が人間関係や心の奥底に与える影響を見定めている。きっと、乃南さんは自分自身を深く見つめている方なのだ。
 最後にごく個人的な趣味を言うと、私は〈頭のいい少年〉が出てくる小説が好きなのだが、その意味でも「僕が受験に成功したわけ」には魅せられた。小学六年生の成績のいい男の子が突然、同級生の女の子のお母さんの足に夢中になる短篇。彼が論理的に反省したり、自分のお母さんのそれと較べたりするので、私は笑い転げた。大塚寧々さんがお母さん役で映画になった(オムニバス映画『female』中の一本「女神のかかと」)と聞いたけど、それは私が小説を読んで面白いと思った後だったから、広い心でDVDを探してみるつもり。

 (みやざき・かれん 女優)

最新の書評

ページの先頭へ