書評

2014年8月号掲載

フィクションが事実を凌駕する

――徳本栄一郎『臨界』

石井光太

対象書籍名:『臨界』
対象著者:徳本栄一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-304833-6

 あなたが原発に反対であっても、賛成であっても、あるいは中立であってもいい。一度でいいから本書を読んでいただきたい。本書はきっとあなたの原発に対する視野を何倍にも広げてくれるにちがいないからだ。
 3・11以降、原発に関する本は数多出版されたが、それらの大半は作業員のルポだとか、東電や官僚批判など一つのテーマで書かれたものであり、グローバルな歴史の流れから包括されたものはほとんどなかった。より大きな視点でまとめなければならない時期にきているのにそれができないのは、ノンフィクションにするには書くことのできない機密事項があまりに多過ぎるのが一因といえるだろう。
 ジャーナリスト・徳本栄一郎がそうした試みをするために、本書でフィクションの手法を用いたのは、ある意味自然の流れだったかもしれない。だが、私はこの本をフィクションと呼ぶことはできない。内容があまりに現実に食い込み過ぎているからだ。
 文中には一九七〇年代の日本を牛耳った田中角栄、中曽根康弘といった政治家たちが実名で登場して、当時の原子力をめぐる政治取引の様子が克明に描かれている。外国の高官などは一部仮名を用いるが、誰を示しているのかが明らかなのは、著者が「歴史ドキュメンタリー」であることを知らしめるために意図してそうしているからだろう。
 物語は、二〇一〇年の夏、ジャーナリスト奥島勇一が佐賀県の実家に帰った際、たまたま祖父の遺品から約四十年前に地元で夏海原発が建設された際に作成されたアメリカの機密文書の一部を見つけ出すところからはじまる。
 それは原子力に関する対日政策についてのものだった。なぜこのような書類が家にあるのか。奥島はアメリカをはじめとした世界各地の機密文書を掘り起こすことで、葬られた過去を暴こうとする。
 物語は奥島が取材で明らかにする世界の機密情報と、七〇年代の原発を巡る地元の反対運動とが交互に描かれることで進行していく。
 原発が建設される町は夏海原発と書かれているが、実在の「玄海原発」であることは明らかだ。この町では、地域住民が政治家や企業の利権によって翻弄され、原発支持派と反対派に別れて傷つけ合った上に逮捕者や死者まで出した歴史がこれでもかというほど描き出される。
 一方、国際情勢についても当時の世界情勢を露骨ともいえるほど浮き彫りにする。中東戦争をきっかけに起きた世界的な石油危機の中で、日本が国益を守るために原発にのめり込んでいく姿に光を当て、それに乗じて原子力ビジネスによって日本から膨大な利益を奪おうとする欧米諸国の思惑や、さらに核ミサイルの開発に日本の原発を利用しようとするイスラエルの陰謀にまで筆が及ぶ。
 私はページをめくりながら、徳本のジャーナリストとしての情報収集力に圧倒されるとともに、ここに描かれる人間のむき出しの愚かさと、国際情勢の利権争いのえげつなさがフィクションであってほしいと何度も祈った。だが、舞台の佐賀県は徳本の故郷であり、描かれる世界情勢は彼が専門とする国際情勢であることを思い起こすにつれ、フィクションであるはずの物語が現実に則していることを認めざるを得ない。
 ――これこそがノンフィクションでは描けない真実なのだ。
 読めば読むほど物語がそう訴えかけてくる。フィクションが現実を凌駕するとはまさにこのことなのだろう。
 読者が原発についてどういう考えを持っているのかはあえて問わない。だが、本書の終わりに次の言葉がある。
〈あなた方の選んだ道は本当に正しかったのか。それで本当に幸せになれたのだろうか〉
 3・11を体験した読者であれば、きっと長い物語の最後にこの一文と出会った時、自分にとって「正しい道」とは何であるかを考えずにはいられないはずだ。
 本書はあなたにその答えを見出させるだけの力をかならず持っている。

 (いしい・こうた 作家)

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