対談・鼎談

2014年3月号掲載

酒井順子『地震と独身』刊行記念対談

東京に地震が来る日、どこにいる?

内澤旬子(うちざわじゅんこ) × 酒井順子(さかいじゅんこ)

トイレの水洗様式から「とらや」羊羹の活用法まで。
40代独身、東京在住の二人が語り合う震災後3年の心境と変化。

対象書籍名:『地震と独身』
対象著者:酒井順子
対象書籍ISBN:978-4-10-135122-3

非常時、女は強かった

内澤 『地震と独身』、面白く読ませていただきました。大勢の独身者に取材するのは大変でしたでしょう。執筆にどれくらいかかったんですか?

酒井 小説新潮に約一年連載したんですけど、書くのと並行して取材を続け、全部で五十人くらいの方にお話を伺いました。内澤さんが一番印象に残ったのはどなたのエピソードでした?

内澤 出家してお坊さんになった大船渡の男性ですね。周りの人を助けたいけれど自分の力に限界を感じる。となったら、大きなものに縋りたくなる気持ちがきっと出てくると思うんです。不遜なようですけど、彼の気持ち、すごく分かる。

酒井 彼は最初に会った時はB‐boy風のファッションだったので、のちに出家したと聞いて本当に驚きました。独身は進路選択の余地が大きいぶん短期間でどんどん状況が変わるというのが、この本を書いてみての発見でした。

内澤 被災地に移住して活動しているボランティアの男の子たちが出てくるじゃないですか。彼らなんか、明日どこにいるかも分からない、みたいな身軽さで。

酒井 そうなんですよ。実際にその後、東京に戻って就職した人もいれば、被災地でできた彼女と入籍した人もいます。

内澤 きっとすごく爽やかで気立てのいい子たちなんだと思うんですけど、甲斐性はないですよね。将来は一体どうするんだろうと思っちゃうんですけど。

酒井 それは彼ら自身も言ってました。

内澤 だから私の目には、その対極にいるシングルマザーのルリ子さんがとにかく光って見えた。優秀な電気工事技師の腕前を引っ提げて陸前高田に移住し、娘さんを育てながら逞しく暮らす。甲斐性があって、こういう人、好きだなあ。

酒井 会ったら惚れますよ。

内澤 惚れますよね! 前の職場から「お前の給料、倍にする。条件は全部呑む」と引き留められたって、すごい。

酒井 取材してみて、やっぱり女の人はいざという時にしっかりしてるなって思いましたね。避難所なんかでも男の人はニュース見てオロオロするばかりで、せいぜいテレビの配線繋ぐくらい。でも女の人はトイレの始末をしたり、高齢者のお世話をしたり、おにぎり作ったり、ずっと働いていたそうなんです。

内澤 そのおにぎりを一番に食べようとしたオヤジ、許せませんよね。

あの日、私たちは一人だった

酒井 内澤さんは、震災当日どうしていらしたんですか?

内澤 三時から神保町の岩波書店で打合せをする予定だったんですよ。でもその日に一件締切があるのを忘れてて、打合せ時間を遅らせてもらって自宅で一生懸命イラストを描いていた、その時にグラグラッと。

酒井 お一人で怖かったでしょう。

内澤 いえ、まったく(笑)。私、乳がんになってから一度死んだような気持ちになって、後は余生だと思ってたので。それでもさすがに怖い目に遭ったら取り乱すんじゃないかと思ってたんですけど、取り乱さなかったですねー。余生を再確認しちゃいました。

酒井 お米や飲み水の備蓄は?

内澤 潤沢じゃないけど普通にありました。あの時はパンや麺の他に卵と納豆が店頭から消えましたよね。

酒井 そうでした。納豆、貴重でした。そういえば私、納豆がなかったってこと、今の今まで忘れてました。

内澤 えー! 私は今でも常に三パックくらい確保してますよ。Amazonで納豆手作りキットも買って心の支えにしてます。でも、何よりなくて困ったのはトイレットペーパーでして。

酒井 あ、ご本(『捨てる女』)で拝読しました。それ以来、ジョウロを使ったイラン式の手動尻水洗にシフトなさったとか。すごいですね。

内澤 だってトイレットペーパー十二ロール七百円で売られた日には、頭に来ますよ。二度と使わん! とか思って。

酒井 まだ続けてるんですか?

内澤 今の部屋はウォシュレット付きなのでジョウロは使ってません。ウォシュレットで洗ってタオルで拭いてます。

酒井 それは震災による変化ですね。

内澤 一番の変化です。

酒井 揺れた時点では元の旦那さんと別居中だったんですよね。すぐに連絡しましたか?

内澤 鎌倉の両親には電話しましたけど彼のことは思い出しもせず。あちらから「大丈夫ですか?」って連絡が来て「全然大丈夫です。お構いなく」と返しておしまい。本当に大丈夫だったので(笑)。

酒井 その時、あちらがトイレットペーパーを持って訪ねて来てくれたら関係性が変わっていたかも……。

内澤 でも、ずいぶん後になってから気づいたんですけど、彼の方が大丈夫じゃなかったのかもしれない。怖かったのではないかと、全然気づけなくて。

酒井 電話が来た時「そちらは大丈夫?」って聞き返さなかったんですか。

内澤 聞き返さなかった。そういえば。

酒井 東京の独身者は震災当日はさすがに一人でいるのが怖くて、友達の家で過ごした人も多かったみたいですけど。

内澤 友達を頼るとかそういう気持ちもまったく起きなかったですねえ。ツイッター経由で政府発表からデマまで情報収集はできましたし。私、ホルモン療法の副作用でテレビやラジオの音をまったく受け付けなくなって、震災情報は全部ネット経由だったんです。

酒井 じゃあテレビのニュースとか見てなかったんですか。津波の映像は?

内澤 ネットで少し見たくらい。

酒井 私はテレビばかり見ていたら鬱々としてしまって。外に出て帰宅困難者の人たちを見るとか、少し現実に触れれば良かったと後から思いましたけど。

内澤 ツイッター上では帰宅困難者に「どうぞうちに泊まって下さい」「トイレ使って下さい」と呼びかけてる方が結構いましたよ。立派だなと思うんですけど、女の独り暮らしでは知らない人を家に上げるのは無理です。

酒井 バス停で並んでる人たちにマスクを配った人もいたそうですよ。「マスク一枚でも暖かいでしょう」って。世間のみなさんは本当に気が利きますよね……。

東京に地震が来る日

内澤 酒井さんご自身は震災で何が一番変わったんですか。

酒井 考えてみれば水を買うようになったくらいで。あとは食べきれない羊羹を捨てなくなりました。羊羹は保存食に良いと戦争経験者から教わって、しかも「とらや」なら何年も保つと。他のメーカーより「とらや」だと、その人は力説してました。

内澤 へえ、それは初めて知りました。

酒井 私はもう典型的な「喉もと過ぎれば」で、震災直後は長時間歩きやすい靴で出かけたりしてたんですが。

内澤 あ、今日ハイヒールですね。

酒井 すっかり喉もと過ぎちゃって。幼い姪のことだけは心配ですけど、両親も亡くなってるし、夫も子もいないので、私自身はいつ死んじゃってもいいと思ってますから。もし東京が大変なことになったら、私はそれを見届けて書いておきたいなあと思ってます。

内澤 私、被災してすぐ死ぬのならそれはそれでいいんですけど、中途半端につらい目に遭うのがイヤなんです。地下鉄の中に八時間閉じ込められるとか、マンダリン・オリエンタルの上階にいて割れたガラスが体に突き刺さるとか。そうやって最悪の想像をしていくと大都市で被災したくないなあと思って、いま東京を離れて移住する計画を立ててるんですよ。

酒井 それも震災による変化ですね。

内澤 震災がなくても東京から出ていたとは思います。ただ、震災以来、東京の街は元気がない。暗いっていうだけじゃなく、どこかピリピリもしていて。

酒井 その空気感は今も感じるんですか。

内澤 回復してきてはいますけど。離婚して身軽になり、荷物も減り、仕事のやりとりもほとんどメールなので、東京にいる理由が見つからないなあと。元々東京人ではないし。

酒井 私は東京以外に行くべき場所がないですし、ほかの場所に住むという発想自体がない。だから子供をつれて避難した人の話を初めて聞いた時は「そういう手があるのか!」と、すごくビックリしたんですよ。

内澤 放射線と避難の問題に関しては、子供のいる人とそうでない人の間ではまったく考え方が違いますね。

日常の便利さvs命

酒井 あの震災で自分にとって何が大切かを再確認した独身は多かったようですが、内澤さんは次に地震が起きたら、まず持って行くものは何ですか。

内澤 ケータイと通帳ですね。それと暗証番号を全部書いてあるノート。あれを失くしたら生きていけない。ああ、情けないけどお金のことばっかりです。

酒井 あと我々に大切なのはメガネ。

内澤 そうだ。家の中、至るところに置いてます。酒井さんはこれを失くしたら生きていけないものって何ですか。

酒井 毛抜きなんですよ。

内澤 へ?

酒井 長年愛用してるすごく優秀な毛抜きで、何でも抜いてくれるんです。失くすの怖さに出張にも持っていけない。

内澤 避難するときのリュックにも……。

酒井 当然入れるでしょうね。

内澤 そうですね。もし長期間、避難所に入るとなったら自分の心を潤すものが必要かも。
 中越地震の時に取材でボランティアのテント村に泊まったら、一泊でもかなりしんどかったんです。私は長期旅行にハーブのエッセンシャルオイルを持って行って気分をリフレッシュさせるんですが、避難所生活にも持って行きたいです。あとネイル道具とか。

酒井 日本の避難所ってなぜもっと快適に進化しないんでしょうね。寝るのも食べるのもみんな一緒に床の上って、相当ストレスたまりますよね。

内澤 ちらっとテレビで見ただけですが、ヨーロッパの避難所は、ずらりと並べたベッドの間をきっちりシーツで区切って個室状態を確保してました。日本も今や日常生活では完全にプライバシーが保たれてるのに、避難所に行ったら突然ああですもんね。

酒井 でも今日お話しして、自分の中で震災の記憶がだいぶ薄れてしまったことを痛感しています。納豆が消えたことも忘れていたし、備えもだいぶ甘くなっている。日常の便利さとか面倒くささの前に命の大切さが負けてしまうんですね。

内澤 私もこの本を読んで思い出すことが多かったです。震災から三年が経つ時期にこの本が出ることは、すごく意味のあることだと思います。

 (うちざわ・じゅんこ 文筆家・イラストレーター)
 (さかい・じゅんこ エッセイスト)

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