書評

2014年2月号掲載

巨人の肩に乗る

――井上孝夫『その日本語、ヨロシイですか?』

柳下恭平

対象書籍名:『その日本語、ヨロシイですか?』
対象著者:井上孝夫
対象書籍ISBN:978-4-10-335071-2

 僕たち校閲はひたすらに、文字を読むのが仕事です。黙々と、そして愚直に読みます。夜になって、仕事が終わって、その日に話した言葉よりもゲラに書いた言葉のほうが多い、なんてこともあるくらいです。
 どのような仕事でも、自分たちからしてみると当たり前のことが、外から見ると目新しく映ったり、知的な刺激の対象になったりするものですね。そういう意味で、この愛すべき校閲という仕事には、マニアックなトリビアの塊である、という側面が確かに存在します。その魅力にノックアウトされた僕は、校閲に青春を捧げる覚悟を決めたのでした。それほどに素敵なお仕事なんです。
 読者である僕たちは、この本に登場する「版元の校閲部に配属された新人さん」というキャラクターを通じて、出版のこと、校閲のこと、日本語のことを、じんわりほっこり教わっていきます。ガイドは、同校閲部の個性的な先輩方です。
 本書ではドラマツルギーとして、校閲部の群像劇を「マンガ」、それを受けて本題を「文章」で解説していく、という形式をとっています。校閲(を通しての日本語)について書かれた本ですから、もっとアカデミックなものを想像していたのですが、とても読みやすく、このスタイルに驚きました(ちなみにマンガも挿絵も文章も、全部お一人で書かれています。二度ビックリ!)。絵柄も文体も総じてとてもやわらかく、うん、間口は広く奥は深い。そして、人間くさくも軽妙洒脱、そこには魅力あふれる言葉と校閲の世界があります。
 換言すれば、もしくは素直に表現をするならば、外から見ると校閲とはとてもわかりにくい仕事だといえます。決して自虐的なわけでも、卑下するわけでもないのですが、そもそも世界はまったく僕らのことを知らない。
 それはなぜでしょう?
 答えはシンプル。「世界に知られないこと」こそが僕らの仕事のゴールだからです。

 校閲は「本が印刷される前にまちがいを見つける」という仕事です。つまり、僕たちの仕事の成果は、世に出る前にその痕跡が消えて見えなくなってしまうのです。
 たとえばボーイミーツガール、心揺さぶる青春小説。恋の言葉に、たったひとつでも誤字や脱字や衍字(えんじ)があったら、百年の恋も冷めてしまいます。うわさの二人に野暮はいけない。
 たとえばレシピ。「1カップ/200ml/200cc」と表記がユレていたら、台所にたくさんの調理器具が必要ですね。
 たとえばデータブック。経済白書でも野球選手年鑑でも、ゼロがひとつ抜けているのを見つけただけで、とたんに他のすべてのデータまでも疑わしいものに見えてしまいます。
 エトセトラ、エトセトラ、せっかく出会った本に夢中になれないなんて、残念ですよね。

 だから校閲という仕事があるのでしょう。本書では、校閲者を「『一般読者の先遣隊』であり、『言葉に対して素人であることのプロ』」と表現しています。膝を打ちました。僕たち校閲は、書き手である作家さん、そしてその伴走者である編集さんとは違う視点で、まちがい(と思われる箇所)を探していきます。「書くこと」と「読むこと」の役割分担ですね。文章を「読者」として読み、「素人」として読むのです。

 この本は「校閲技術の各論」を横糸に、「出版の変遷」を縦糸に、と編まれています。技術の継承、ミームの伝達、先輩と後輩、ゆく人くる人。校閲は基本的に一人で行う仕事なので、ともすれば孤独な作業と思いがちですが、実は毎日、先輩諸氏が築いてきてくれた技術と志を受け継ぎ、後輩諸君に受け渡していく、というチームプレイの中にいるのです。
 本の最後に近い章では「昭和の人間ですから」とこぼす作中の校閲部長さんが、謙遜しつつも韜晦かなわず、新人さんたちに自分なりの校閲哲学を話す場面があります。大先輩の最後のお務め。その静かな物言いが、なんとも校閲者らしくて、そして僕の知る先輩たちとも重なって、じんわりと沁みます。結局校閲はゲラで語るもの。長年ゲラで語ってきたからこそ、口にする言葉に重みがあります。
 作中、日本語に関する実例が豊富に紹介されており、長年現場におられたからこその深い内容になっています。それだけでも読みごたえがあるのですが、校閲の先輩からの個人的なメッセージのようにも思えて、僕はこの本が好きなんです。

 (やなした・きょうへい 校閲専門 株式会社 鴎来堂 代表取締役)

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