書評

2014年1月号掲載

「個」ではなく「関係」を生きる時代

内山節『新・幸福論 「近現代」の次に来るもの』

藤原章生

対象書籍名:『新・幸福論 「近現代」の次に来るもの』
対象著者:内山節
対象書籍ISBN:978-4-10-603738-2

 私が暮らす福島県郡山市には原発避難民の仮設住宅が幾つもある。狭い「長屋」には、突然故郷を奪われた人々の結束、親和がある。自然にまとまったのではない。ばらばらの個の結び目には必ず、人との「関係」を好む慈愛あふれる住人がいる。この「人との関係」こそが本書の鍵だ。
「私たちはどんな時代を生きているのか」。内山節氏はこう書き出す。「確かなものと感じられていたものが、次々に遠くに逃げていく」虚無の中に私たちは生きている。「大きな企業に勤めれば生涯安泰」「国家が私たちを守るという常識」は遠のき、代議制民主主義も経済成長も虚無となり、資本主義も「とりあえずその内部にいる他ないがゆえにかかわっている」にすぎず、人々はすでにそこにも「虚無をみいだしている」。
 日本に限った話ではない。世界の論壇では「価値観の転換」が大きなテーマだ。米国を除けば先進諸国は生産年齢人口が頭打ちで、いずれ生産は落ち、新興国、途上国と同レベルに収束していくいわゆる「コンバージェンス(収斂)」の時代。成長に頼らない生き方が模索される中、雇用を生まない企業優先の「成長戦略」は、「価値観の転換」を前にした最後のあらがいにも見える。
 内山氏は近代化が始まる18~19世紀の潮流、ロマン主義に着目する。詩人ワーズワース、作家ゲーテ、思想家ルソーらに共通する自然回帰。非合理を否定しない神秘主義。欧州思想に疑問を抱くオリエンタリズム――など近代化を疑う思想は今も脈打っていると言う。自分の哲学を「ロマン主義の流れ」と捉えながらも、氏はそれを踏襲しない。ロマン主義は、生産に結びついた労働をはじめ、人間性や自然と人との関係の「喪失」を問題視し、個の確立で克服しようとした。だが、内山氏は「喪失」ではなく、あくまでも遠くに逃げただけだとみる。つまり回復可能だと。
 さらに、解答を「個」に求めず、人と人との「関係」に目を向けよと説く。「(個に求める)かぎり人間の本質は抽象化され、現実との折り合いがつけられなくなる」「人間の本質は関係のなかにある」「私たちの社会は(略)幻想からようやく解き放たれはじめた(略)自由は個人のなかにあるという幻想から、個人を自由にする結び合いの模索へ」と。
 ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロスは2年半前、評者とのインタビューで現代を「未来の見えない最も不幸な時代」と語りながらも、近い将来「扉は開く」と予言し、こう結んだ。「経済取引が第一ではなく、人間同士の交わり(関係)がすべての基本となる世界を、私たちは想像できるだろうか」
 やはり「関係」を重んじる内山氏はさらに一歩踏み込み、どうしたら人同士の関係に「自分の生きる場」を見いだせるのか、それを探れと一人ひとりに呼びかけている。

 (ふじわら・あきお 毎日新聞編集委員/郡山支局長)

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