書評

2013年10月号掲載

農家は「可哀想な人」ではない

久松達央『キレイゴトぬきの農業論』

久松達央

対象書籍名:『キレイゴトぬきの農業論』
対象著者:久松達央
対象書籍ISBN:978-4-10-610538-8

「農家の人が苦労してつくったお米なんだから、残さず食べなさい」。親や教師からこう言われた経験のある方は多いと思います。僕も子供の頃に母親から、「昔は、お米を残すと目が潰れる、と言われたのよ」と、脅された記憶があります。そう言われると、ご飯を残すことがなんだか後ろめたいような、暗い気持ちになったものです。
 僕は脱サラして好きで農業を始めた口なので、農業が精神的に苦痛だと感じることはありません。しかし、「農業されてるんですか? 大変でしょう」と声をかけられることが結構あります。すっかり慣れてしまいましたが、よく考えると、フツーのサラリーマンが見ず知らずの人から「大変でしょう」と言われることはあまりないと思います。
 先のお米の話といい、「大変でしょう」といい、農家がやや特殊な扱いを受けるのは、「農業はきつい仕事」「儲からないのに、食べる人のために歯を食いしばって頑張っている」というイメージが浸透しているからでしょう。さらに言えば、農家は世の中でババを引いてしまった人たち、という哀れみの感情すら混じっているようにも思えます。
 実際には農業生産をしている農家の多くは、可哀想な人たちではありません。農業全般が他産業に比べて収益性が高いとは言えませんが、突出して低いわけでもありません。
 ところが、少なからぬ人が、農家は不条理な目に遭っている、と考えているせいで、農家や農業を客観的に語ることがタブー化してしまい、オープンに議論することがはばかられるような空気があるように思えます。
 同じ食べ物でも、コンビニ弁当を語る際には、企業間の競争で消費者に利益がもたらされることがよしとされ、価格や品質の競争に敗れたプレイヤーは脱落して当然と誰もが考えています。ひるがえって農業はどうでしょうか。
「消費者の利益になるなら、貿易の自由化や企業の参入も進めるべきだし、農家が高齢化して生産性が落ちたら潰れて当然」。こんな意見を言うと、ひどい奴だと叩かれてしまいます。この空気の中では、農業に関する素朴な疑問を口にすること自体が、ご飯を残すような後ろめたさを人々に感じさせるのではないでしょうか。
 農業だけは「命の産業」だから、「子どもたちの未来」のために守らなきゃいけない! という美しいキレイゴトで議論すらままならない状況が健全だとは到底思えません。何より問題なのは、そんな農業は、チャレンジ精神と野心を持った優秀な若者からは魅力的に見えないことです。
 守らなきゃ、と言っている人たちが、結果的に農業を魅力のないものにしてしまっているのではないか? 好きで農業をやり始めて、それでメシを食っている僕はそう思っています。
『キレイゴトぬきの農業論』では、こうした多くの誤解をロジカルに論じ、農業が知的魅力に満ちた面白い仕事であることを具体的に紹介しています。ぜひご一読下さい。

 (ひさまつ・たつおう 久松農園代表)

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