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タンソブンメイロンゲンソノオウジャガレキシヲウゴカスシンチョウセンショ炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす―(新潮選書)

佐藤健太郎

1,144円(税込)

食料・ドラッグ・エネルギー――「炭素」が世界を支配する!

農耕開始から世界大戦まで、人類は地上にわずか〇・〇八%しか存在しない炭素をめぐり、激しい争奪戦を繰り広げてきた。そしてエネルギー危機が迫る現在、新たな「炭素戦争」が勃発する。勝敗の鍵を握るのは……? 「炭素史観」とも言うべき斬新な視点から人類の歴史を描き直す、化学薀蓄満載のポピュラー・サイエンス。

人類と炭素の関わりを辿る楽しさ

――佐藤健太郎『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』(新潮選書)

村上陽一郎

 書物のタイトルで、その内容を想像するのは自然なことだ。書肆の編集部と営業部とが、ときにタイトルでもめたりもする。評子の偏見がそうさせたかもしれないが、タイトルを見て、最初に思ったのは、二酸化炭素を中心とした、現在の環境問題を説き起こす文明論だった。読んでみて、全く当てが外れた。この外れは、まことに心地良いものであった。念のために書いておくが、タイトルが内容から遊離しているのではない。むしろ、言われてみれば、まさしく著者の本書のメッセージは、人間の文化・文明を造り上げ、支えてきたのが炭素という元素なのだ、という点にあるからである。
 我々を取り巻く自然環境、さらには我々人間も含めた生命体、そのすべてに炭素が絡んでいる。著者は先ず、炭素化合物の図抜けた多様性を指摘する。実際、あまたある元素の中で、かくも容易に二次元的・三次元的につながり合える元素は炭素を除いて存在しない。つながり方も、直線的(リニア)にも、また例の「亀の子」のように環状にも、さらに継手を出す角度によって、立体的にも、様々な構造と形状が可能なのである。そこから、ほとんど無限の数の化合物が生まれる。すでに自然が多様な化合物を産出してきた。そして、人間もまた、新しい炭素化合物を、用途に合わせて造りだしてきた。その意味では、炭素の王国は、先ずは自然が用意してくれたものだ。同時に、人間は、その自然に、自らの利便性や有効性を求めて、手を加えてきた。まさに「自然に人為が参画する」という文明の定義に相応しい現場である。
 第一章では、食料、とくに穀類とジャガイモが取り上げられる。いわばでんぷんの項目である。農業社会における穀物の重要さは当然であり、米は日本における文化の中心になったが、自然に恵まれなかったヨーロッパでは、ジャガイモが救いの手になった。ケネディ家のアメリカでの成功の引き金にも、きちんと触れられている。
 第二章は砂糖、かつては万能薬のように扱われた砂糖、トマス・アクィナスが、砂糖は「禁欲」(犠牲として、食事を制限する場合)の対象としないでよい、と断定した話などは面白い。「甘い」が「旨い」と同義語であるように、砂糖が自由に手に入る、ということがどれほど意味があったか、サトウキビ栽培の歴史を振り返りながら、糖尿病へと筆者の筆は続く。砂糖を「中毒性の物質」とみなそうという、ユニークな意見も明かされる。砂糖代替物質も炭素化合物であることに変わりはない。ただ「甘味」を感じる作用機序に関しては、現在でもあまり解明が進んでいないという。
 第三章は香辛料、第四章は「うま味」の元とされたグルタミン酸ナトリウムが扱われる。グルタミン酸は、むしろタンパク質と結びつくが、日本では誰にも馴染みの「出し」という概念も、必ずしも普遍的ではないようだ。その点で池田菊苗の業績が重視される所以もはっきりする。
 そこまでは、人間の通常の食生活に関わる炭素化合物の話であった。第二部第五章以下は、ニコチン、カフェインという嗜好物質、痛風の原因である尿酸、そして最大の嗜好品としてのアルコールと人間との関わりが取り上げられる。
 第三部はエネルギーとしての炭素化合物だが、最初に爆薬が登場するのは意表をつかれる。ここでは窒素との結びつきが問題になるが、エネルギーの本命である化石燃料は、現代文明の鍵となった。しかし、その成分は、意外に簡単な炭化水素である。様々な歴史上のエピソードをちりばめながら、人類と炭素化合物との関わりの跡を辿ることの楽しさを、著者は存分に見せてくれる。
 最終章は、過去から現在への時間の流れから言えば、未来が焦点になる。ここでは、現在開発が進行中の、新しい炭素化合物の得失が語られる。発光材料、炭素繊維、ドラッグデザインの下での製薬、「第四の炭素」と言われるフラーレン、カーボン・ナノチューブなどへの期待から、人類は、幾つかの元素を造りだしたように、自然には存在しない炭素化合物を設計、製造する段階にさしかかっていることになる。
 最後に、評子がタイトルを見て早とちりをした、二酸化炭素の問題が登場する。そして、解決策の一つとして、人工光合成の可能性に言及される。
 広範な知識集約と先見性を備えた好著と言えよう。

 (むらかみ・よういちろう 科学史家)


佐藤健太郎 『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』(新潮選書) 978-4-10-603732-0

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