インタビュー

2013年3月号掲載

『なめらかで熱くて甘苦しくて』刊行記念インタビュー

生きること、死ぬこと、セックスのこと

川上弘美

最初から、こんなふうなものだと知っていたような気がする――。ひとを突きうごかす性の力を描くうち、生と死の深淵までおりてゆく、瑞々しく荒々しい作品集。五年にわたって書きつがれた、全五篇。

対象書籍名:『なめらかで熱くて甘苦しくて』
対象著者:川上弘美
対象書籍ISBN:978-4-10-129243-4

――『なめらかで熱くて甘苦しくて』には、世界を構成する四大元素、aqua(水)、terra(土)、aer(空気)、ignis(火)、そしてmundus(世界)と名づけられた五つの短篇がおさめられています。小学生の女の子からおばあさんまで、人生のさまざまな時期を生きる女の人たちが出てきますが、この連作をつなぐものはなんでしょう。

川上 最初は「性欲」について書こうと思っていたんです。でも書きはじめてすぐ、それだけ取りだすことはできないとわかった。生きること、死ぬこと、セックスのこと、それらは一人の人間のなかでいつもまじりあっている。どんなふうにまじりあっているのか、それを考えながら書きました。

――巻頭におかれた「aqua」には、水面(みなも)と汀(みぎわ)という小学三年生の女の子が出てきます。

川上 五篇のうち最初の話なので、まだ性欲という言葉を頭の中心において書こうとしたものですね。子どもにも、当然女の子にも性欲はある。あまりに淡くて言及されにくいけれど、その芽生えを書きたかった。

――汀と水面は、近づいたり遠ざかったりしながら成長し、高校生になると同じ男の子とつきあったりする。ちょっと特別な、つかず離れずの関係がつづいてゆきます。

川上 同い年の女の子たちって、みんな似ているようで、じつはずいぶん違いましたよね。シャンプーの匂いひとつとっても、ぜんぜん違っていた。生々しいものでした。ほかの子との差異を感じることで、女という性があることを知ったような気がします。水面にとっての汀もそういう存在かな。

 むつかしい時期ですよね。よくあそこをみんな通りぬけたなと思います。世界からいろんなノイズが届くけれど、それを全部受けとめる容量はなくて、でも聞こえてきてしまう。そこをどう凌いでいくか。すごく大変だけれど、おもしろい時期でもある。

セックスの地位のアップダウン

――「aqua」には、セックスってどんなものだろうと想像する水面が、「想像力の限界だな」と嘆息するところがありました。つぎの「terra」はその先の話ですね。

川上 セックスをしてみたい年頃の人たちが、してみたらどうなったか。実際はそれほどのものではないわけなんですけれど、でもかなり打ち込める一分野ではあるわけです(笑)。

 自分のからだが存在していることを実感するのは、病気になったとき、子どもを産むとき、いろいろあると思うけれど、セックスをとおして自分の身体を意識する機会を得て、そしてそれがまだ新鮮な体験である時期のことを書きたかったんだと思います。

――事故で死んでしまった大学生の「わたし」が「あなた」に語りかける、濃密な性の匂いを感じさせる部分と、沢田と加賀美という同級生の男女のあっけらかんとした日常会話の部分と、トーンがまったく違う文章が交互にあらわれるのが面白いですね。セックスというのは、ひとりの人間のなかにある非日常でもあるんだなと感じます。

川上 若いときはとくにそうですね。科学的にいっても動物としての必要性から大量に性ホルモンが分泌されているわけで。意志だけでは扱いかねる時期の話です。

――つぎの「aer」では出産が描かれます。「しろもの」とよばれるものを妊娠し、出産し、育ててゆく。

川上 わたしとしては初めての、そして唯一の出産小説です。実感をこめて書きました。あと、わたしが出産したころは「母性神話」みたいなものがまだ幅をきかせていて、それがすごくいやだった。この小説を書いてすっきりしました(笑)。

――面白いフレーズがありますね。「こうなったらセックスだ。困った時のセックスだのみ。逃避したい時のセックスだのみ」。セックスの地位、下がりましたね。

川上 下がりましたね、ほんとうに。

――「セックスはごく平常なよろこびになってしまっている。からすみを食べる、とか。車庫入れがとても上手にできる、とか。可憐な犬をなでる、とか」

川上 けっこういいことだけど、まあそのぐらいっていう。大人になると楽ですね。

――子どもをもったばかりの男の人が疑心暗鬼になってくよくよ考えるところがありますね。さまざまな不安と疑いがパーセントであらわされているのがほんとうらしい。

川上 で、足すと一〇〇パーセントを超えてしまう。ふふふ。男の人ってそういうところがあるのではないでしょうか。

昔、男がいた

――つぎの「ignis」は一組の男女の三十年におよぶ時間を描いたものです。「なつかしいのは、男たちの弱さだ」という印象深い一節がありますね。

川上 男とは、とかいうのは嫌いなんですけど、でも男の人って根本的に弱いところがあるような気がします。たまたま自分の知ってる人だけがそうなのか? という心配はあるけれど(笑)。でもその弱いところがまたいいところでもある。

――その「弱さ」というのは、若いときにもわかりましたか。

川上 全然わからなかった。なにか夢を抱いてました(笑)。

――(笑)「ignis」は、「伊勢物語」を下敷きになさっているんですね。

川上 「伊勢物語」には男女の原型があると思います。「源氏物語」がそばでじっと眺めて描写しているとしたら、「伊勢物語」は俯瞰している感じでしょうか。特殊にみえても普遍的で、現代の男女そのものです。本当におもしろい。

――「昔、男がいた」のまえに、「なつかしい」という言葉がリフレインされています。「なつかしく思うことがある」とか。自分が生きてきた時間のなかでの懐かしさと同時に、自分ではない、これまで無数の男女が過ごしてきた時間への懐かしさもまじっているようです。たくさんの人がここを歩いていったみたい、と。

川上 自分はその道は歩かなかったけれど、ちょっと見たことがあるかもしれない、ということですね。なんだか年寄りくさいですね(笑)。達観しているわけでもないんですが。

混沌を混沌のままに

――最後が「mundus」です。この話には、「子供」とだけよばれる一人の人間の一生、その長い時間が入っています。生涯をつうじて、「それ」というなにかとらえがたいものが、あらわれては消える。

川上 性欲だけを取りだして書くことなどできないということはすぐにわかったんだけれど、最終的に、「それ」はいったいなんなんだろうと。わたしにもまだわからないんですけれど、混沌とした感じを保ったままでどうにか描いてみたかった。

――ときどき段落の頭に「/」がついていますね。この小さい記号にはふしぎな効果があります。

川上 ひとつずつ、川端の「掌の小説」のように独立しても読め、一篇の話としてつながっても読めるものにしたかったんですね。それでなんとなく「/」を使ってみました。

――水が印象的ですね。くりかえし洪水が起こります。

川上 たしかに水がいっぱい出てきますね。ほかの小説でもどうやらそうなんですが、じつは実家の裏を神田川が流れていて、子どものころは大雨が降るとしょっちゅうあふれて、橋が流されたりしてたんです。しょうがないから向こうの橋まで遠回りしたり、架けられた板きれをこわごわ渡ったり。

――そうですか。抽象的なものではなかったんですね。

川上 いまの東京からは考えられないような風景ですが、昭和三十年代の杉並でのわたしの原体験なんです。水がつねにそばにあって、どこかで意識しつづけていました。

――思いっきり抽象的であると同時に、体感できるように書かれた小説ですね。たとえば、湖にいる怪魚に「子供」の兄が引きずりこまれたり、翌日になるとその兄がぽっかり浮かんできたり、草原を走る列車に女がぎゅうづめになっていて、その中に「子供」の母がまぎれこんでいたり。

川上 はい。この小説には、自分のなかにあるごったなイメージを投げ込んでみました。

――タイトルの「なめらかで熱くて甘苦しくて」という一節はこの「mundus」からとられています。

川上 そういうものに突き動かされてきた人生であるなあ、ということですね。

――これからどうなるのでしょう。

川上 そこはまだ書けませんでした。男女が出会ってから三十年後までしか書けなかった。その先を書くには、もっともっと長く生きなくちゃですね。

 (かわかみ・ひろみ 作家)

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