書評

2012年11月号掲載

戦後日本外交の生き字引

――中曽根康弘『中曽根康弘が語る戦後日本外交』

渡邉昭夫

対象書籍名:『中曽根康弘が語る戦後日本外交』
対象著者:中曽根康弘著/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編
対象書籍ISBN:978-4-10-468702-2

 本書の内容をひと言で言えば、「戦後日本外交についての生き字引」である。語り手その人が、そう呼ばれて然るべき人物であるからなのだが、「戦後日本」という時代を生き抜いてきたその人物が、子や孫とも言うべき新進気鋭の7名の研究者相手に、忌憚なく、そして縦横無尽に語っている。
 次から次へと、いずれも大事で深刻な話題がやつぎばやに移って行くので、聞き手(読者)はいっときもボンヤリして居れないのだが、不思議に引き込まれて、終わり迄一気に読まされてしまう。それだけ、知的興奮に満ちているのである。
 話題が豊富で多岐に亘っているために、興味がつきないというだけでなく、外交とは何か、また日本や諸外国の政治家とは如何なる人間かについて、語り手の率直な考えが、具体的事例について述べられているので、平板な歴史教科書などからは得られない活きた知識が身に付いたと読者は実感するであろう。
 戦後日本の政治と外交について知るだけでなく、それについての経験を語ることを通じて、おのずから語り手である中曽根康弘という政治家の人物像が鮮明に浮かび上がってくるという妙味がある。つまり本書の主題は二つあって、一つは中曽根康弘という戦後日本を代表する一人の政治家とは如何なる思想の持ち主であるかであり、二つ目は戦後日本外交である。
 圧巻は首相時代の中曽根外交、なかでもウイリアムズバーグのサミットで、アメリカのレーガン大統領と組んで、「東西の安全は不可分」と堂々と主張し、ソ連によるSS‐20極東配備の阻止に成功した話であるが、首相在任以前、以後の諸事件についても中曽根氏の視点から見た解釈と評価が各所に展開されていて、その意味で、吉田政治以来、民主党政権下の外交に至る、戦後日本の全時期を通した一貫した物語となっている。例えば、胡耀邦相手の対中外交、全斗煥相手の対韓国外交、更には核兵器搭載の艦船の寄港をめぐる日米の暗黙の合意(所謂「密約」問題)など、今日の日中関係、日韓関係そして日米関係を考える際にも参考とすべき、多くの貴重な証言が含まれている。
 全体のトーンは、吉田茂の「対米一辺倒」批判と、吉田政治からの脱却をめざす鳩山・重光・岸らの系譜につながる「自主外交」論だが、吉田政治のトータルな否定ではなく、それを「占領下という特別な時代の産物」として是認した上での批判であって、そこに中曽根氏の歴史を見る確かな眼を感じ取ることができる。
 中島琢磨氏ら7人の気鋭の研究者たちは、日本やアメリカの公開公文書・記録に目を通した上で、適切な質問をし、中曽根氏から回答を引き出すことに成功している。
 私見では、今後10年、日本外交は嵐の時代を迎えるだろうから、その時代に備えるためにも、本書は必読の書であり、日本国民のできるだけ広い層が、本書を熟読して欲しい。
 読者には、余り予断を持たずに虚心に読んでもらいたいので、内容について立ち入った紹介は避けるが、所謂東京裁判史観については「要するに勝った者が負けた者をお仕置きしているようなもの」だとしながらも、「大東亜戦争は、米英に対しては普通の戦争だが、アジアに対しては侵略的要素があった」という認識を示し、戦勝国の裁判(極東軍事法廷)が急展開したために、国民的検証の機会を逸したのが残念だと論じ、自主的歴史検証の必要性を強調しているのが、印象的である。
 国家戦略の在り方については、防衛庁長官当時「国防の基本方針(1957年)」の改定を提起したが反対が多くて実現しなかったことに触れ、日本の防衛当局者には「外交と防衛を一体に国家戦略を考えるという視点が欠けていた」と批判しているのが、大変大事な指摘である。
 今の時点で読者の関心を惹くのは、尖閣問題についての以下のようなやりとりであろう。1978年の日中平和友好条約締結時の自民総務会での「尖閣列島に人を送り込んで、日本の領有権を明確にすべし」という中曽根発言について質問され、「これは実効支配をしているわけですから、もちろん当然のことです」と受けている。なお、この尖閣問題については、その後、インタビューのなかで、もっとニュアンスに富んだ発言があることも言い添えて置く。

 (わたなべ・あきお 政治史家)

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