書評

2012年9月号掲載

フランス・ミステリ風の目眩む展開

――壇上志保『脱獄者は白い夢を見る』

池上冬樹

対象書籍名:『脱獄者は白い夢を見る』
対象著者:壇上志保
対象書籍ISBN:978-4-10-327322-6

 刑務所を舞台にした小説は数多くあるけれど、これほどリアルに刑務所それも女子刑務所を描いた小説はないだろうと思わせたのが、壇上志保のデビュー小説『ガラスの煉獄 女刑務官あかね』(小社刊)だった。省筆にとむ強靱な文体による人物造形が見事で、一人ひとりの囚人が活写されているし、刑務所という閉ざされた空間がどのように管理されているのかも、元女性刑務官ならではの視点が細部に生きていて実に鮮やかだった。何よりも囚人たちの葛藤と在日問題を絡めた物語の奥行きが深いのも驚きだった。
 久しぶりの大型新人の登場で、二作目はどんな物語なのかと期待したら、またまた驚いてしまった。今回も女子刑務所を舞台にしたサスペンスだが、中盤からどんどん違う方向にいくのでびっくりしたのだ。リアリスティックな刑務所小説と思わせて、だんだんと不思議な世界へと入り込んでいく。
 大沼刑務所に勤務する刑務官結城桐子の仕事は、囚人たちの処遇を扱うのがメインだった。囚人が増えてプレハブの収容施設が作られたが、その雑居部屋である七寮六室で受刑者が突然暴れ出す事故が立て続けに起きる。
 一件目は、息子を殺害して服役している本木淳子で、だれかと喧嘩したわけでもなく、急に箪笥の上の私物を片っ端から投げ出し、騒ぎが大きくなった。二件目は覚醒剤で入所した船田和代で、いきなり分厚いガラス窓を叩きわる行為に出た。本木は元教師、船田は小学生の娘をもつ大人しい母親で、どちらも違反行為のない優良受刑者だった。同じ部屋には殺人罪の隈井由梨、常習窃盗犯の尾形俊子、覚醒剤常習者の烏丸咲希、そして六十を超える広瀬はしめがいたが、関係は穏やかで深い対立や確執はなかった。いったい何が原因で暴力沙汰が起きたのか。桐子は、看守の小野春香とともに事件の謎を解いていこうとする。
 このように紹介すると桐子が探偵役で、小野が助手となる本格ミステリのような印象を与えてしまうが、実際は、幼いころに母親と妹を失った広瀬はしめの一人称視点と、桐子や小野や囚人たちの三人称多視点が混在している。群像ミステリのような形になるのだが、第Ⅱ章の中盤すぎから予想外の方向に物語が捩じれていく。刑務所が舞台のサスペンスからホラー的な要素の濃い心理スリラー&脱獄ものになるからだが、この中盤以降の目眩むような展開にはぞくぞくする。ああ、これはほとんどフランス・ミステリだなと思った。
 リアリズムで押していく英米のミステリとは異なり、フランス・ミステリは何が出てくるのかわからない風変わりな作品が多いが、これもそう。文体も余分なものを削ぎ落し、語りも本質的な部分に焦点をあてるコンパクトな小説が多いけれど、本書も二百頁強しかない。さらにミステリ的なプロットよりも文学性を優先する傾向にあるが、本書も、書名から、「現(うつつ)の傍(そば)」といった奇抜な章題まで文学的である。だが、これらはすべてテーマと密接に絡んでいて、決してこれみよがしの名称ではない。あくまでも刑務所を舞台にしたミステリであるものの、掘り下げているのは人々の深層意識である。
 興趣をそぐことになるので曖昧に書くけれど、他者を演じる「境演」という東北のお祭りの話がでてきたり、「私は夢という現実を歩いている/あるいは現実という夢」という意味深の言葉が呟かれたり、さらには「夢摘み」という夢や記憶や深層意識を探る独特の方法(いわば“夢探偵”のスタイル)が出てきたりして、異様な世界へと入り込んでいく。やがて夢と現の境界がくずれて深層意識が現前するあたりの奇妙な生々しさは恐ろしく、同時に、前半に張りめぐらされていた伏線が次々に回収されて驚きのヴィジョンを提示するあたりは実にスリリングで面白い。
 本書は刑務所小説+ホラー+脱獄小説に夢探偵をからめた出色の小説である。脱獄のプロセスをもっと読みたかった気持ちはあるけれど、桐子と小野のコンビネーションに収斂するエンディングは心地よく、もっと続けて読みたくなる。ぜひぜひシリーズ化を期待したいものだ。

 (いけがみ・ふゆき 文芸評論家)

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