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書評・エッセイ

ムロマチハキョウモハードボイルドニホンチュウセイノアナーキーナセカイ室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―

清水克行

1,540円(税込)

あなたたち、本当にご先祖様ですか? 最も「日本らしくない」時代へご招待!

「日本人は勤勉でおとなしい」は本当か? 僧侶は武士を呪い殺して快哉を叫ぶ。農民は土地を巡って暗殺や政界工作に飛び回る。浮気された妻は女友達に集合をかけて後妻を襲撃――。数々の仰天エピソードが語る中世日本人は、凶暴でアナーキーだった! 私たちが思い描く「日本人像」を根底から覆す、驚愕の日本史エッセイ。

だらだら、チンタラ、室町人にまなぶ仕事術

清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』

清水克行

 来る日も来る日も仕事ばかり......。ひとつ片づけたら、また次の仕事が待っている。しかも、この作業が世の中の役に立っているのかどうか、さっぱり実感がない。あぁ、いつになったら、この仕事の山から抜け出せるのやら......。昨今では「仕事があるだけマシではないか」というご意見もあろうが、それにしても渦中の人にとっては、深刻な問題である。現代の多くの日本人は、つねに忙(せわ)しなく仕事に追い立てられている。はたして遥か昔の日本人も、こんな悩みを抱えていたのだろうか?
 鎌倉〜室町時代に描かれた絵巻物などのなかには、職人や商人など、甲斐甲斐しく働いている人々の姿も多く描きこまれている。ところが、それらをよく見ると、ある不思議な事実に気づく。みんな、のんびり座りながら仕事をしているのである。大工は地べたに完全に腰を下ろして、材木の採寸や加工をしているし、物売りもゴザをしいた上に胡坐(あぐら)をかいて、呼び売りをしている。
 同じような場面を江戸時代の浮世絵で探してみると、大工はみな立ち上がって片肌を脱いで、汗を流しながら材木に鉋(かんな)をかけているし、物売りも「さあさ、お立合い!」とばかりに、直立して売り口上を唱えている。このことに気づいた日本中世史家の桜井英治さんは、他に大工たちの遅刻、早退、部材の着服を戒めた当時の掟が多く残存していることなども合わせて、中世の職人・商人は、かなり「のらりくらりとした暢気な仕事ぶり」だったのではないか、と推測している(「中世の技術と労働」、『岩波講座日本歴史9』所収)。
 こうした中世の人たちの悠長な仕事ぶりは、当然ながら当時の技術レベルにも大きな影響をあたえずにはおかなかった。たとえば、現存する江戸時代の和紙は大ぶりで繊維が均質であるのに対して、中世の和紙はそれよりも小さく、繊維も不揃いなのだという。これは、当時の紙漉(かみす)き職人たちが座りながら仕事をしていたため、らしい(藤本孝一「紙漉と古文書」、湯山賢一編『古文書料紙論叢』所収)。紙漉きは、紙の原料となる繊維の入った液体を漉き舟のなかに満たして、そこに漉き桁(けた)(長方形の簀(す)の子)をくぐらせて、すくい上げる作業の繰り返しとなる。このとき地べたに胡坐をかいて作業をする中世の紙漉きでは、漉き舟のなかで漉き桁を大きく動かすことができず、自然、できあがった和紙は大判にはならず、繊維の塊もできやすい。ところが、江戸時代になると、紙漉き職人は椅子に腰かけたり、立って仕事をするようになったので、ダイナミックに漉き桁を動かすことができ、大判で繊維の均質な和紙を量産できるようになったのである。
 中世の日本人は、私たちのような仕事中毒(ワーカホリック)どころか、いたって怠惰な人たちだったのだ。
 ところが、彼らは、それはそれで良いと考えていたふしがある。中世には「懶惰(らんだ)」と「懈怠(けたい)」という言葉がある。これは、どちらも現代でいう「怠け」や「不精(ぶしょう)」を意味する。ところが、この二つの言葉、厳密には微妙に意味が異なっていた。『科註妙法蓮華経抄』という戦国時代の終わりに書かれた経典の注釈書のなかには、次のような説明が見える(佐竹昭広『古語雑談』参照)。
  明日の所作を今日なすを懶惰といひ、今日の所作を明日なすを懈怠といふ也。
 今日やるべきことを明日にまわすのが懈怠であり、明日やるべきことを今日やってしまうことを懶惰という。ただ、今日の仕事を明日に先延ばしすることが「怠け」であるというのはわかるにしても、明日の仕事を今日先回りして片づけてしまうことの、どこが「怠け」なのだろう。むしろ、それは勤勉なのではないのか。しかし、どうやら、そこには中世人なりの深い勤労観があったようだ。
 仕事と家庭と趣味と、一日一日、やるべきことは決まっている。そのなかで着実に仕事をするのは大事である。しかし、その割合を乱してまで仕事を前倒ししていくのは、それはそれで不精な心根のなせる業(わざ)ではないか。その日その日を充実して生きていない、と言い換えることもできるだろう。夏休みの宿題ドリルや絵日記を八月下旬になって慌てて片づけるのも「怠け」だが、七月下旬に早々に片づけてしまうのも、別の意味で「怠け」なのである。そんなに急いで、どこへ行く? 現代の私たちの日々に追われる生活を見て、中世の人びとなら、そう言うかも知れない。
 人間は、もっと自由なはずだ。中世の人びとの世界に触れることで、私たちは、あるべき本来の姿を取り戻すことができるのではないだろうか。新著『室町は今日もハードボイルド』では、そんな中世の人びとの自由すぎる生態を紹介してみた。慌ただしい現代を生きる人たちの解毒剤となれば、幸いである。

 (しみず・かつゆき 明治大学教授)

清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』978-4-10-354161-5