書評

2021年5月号掲載

破天荒記者、時代を駆ける

高杉良『破天荒』

加藤正文

対象書籍名:『破天荒』
対象著者:高杉良
対象書籍ISBN:978-4-10-130339-0

「いったい、どこでどのようにして作家高杉良が生まれるのですか?」。昨年秋、東京・浜田山のご自宅でいくどとなくご本人に尋ねた。児童養護施設で過ごした経験をつづった自伝的小説『めぐみ園の夏』の続編に当たる『破天荒』が、この日のインタビューのテーマだった。小説新潮に連載された業界紙「石油化学新聞」の記者時代の物語は無類の面白さだった。
 めぐみ園を出た杉田亮平(作品の主人公、イコール高杉さん)が石油化学新聞社に入るのが1958(昭和33)年10月。弱冠19歳のときだ。高度成長に乗った石油化学産業の勃興期、水を得た魚のように躍動し、18年後の76年、『虚構の城』で作家デビューする。
 その後の活躍はめざましい。『労働貴族』『広報室沈黙す』『欲望産業』『炎の経営者』『金融腐蝕列島』......。幅広い分野で時代を剔(えぐ)る野心的なテーマに挑戦し、臨場感ある会話劇でリアリティーあふれる物語を生み出してきた。その数、80以上。まさに経済小説の巨匠といってよい。
「僕は恐怖心より好奇心が強いからね」「三度の飯より取材が好き」「取材が7で執筆が3。書き始めた段階でもう7割が済んでいる」。今回、本作品を通読して、泉のごとく言葉を紡ぎ出せるのは天性の資質を開花させた記者時代の経験が大きいとあらためて感じた。
 本作品の魅力は作家高杉良の「培地」となった業界紙記者時代の軌跡が追体験できることだ。実際に紙面に載せた記事が興味深い。目を見張ったのは入社1カ月半後、試用期間中に取材して書いた川崎コンビナートのルポだ。活気みなぎる建設現場に飛び込んだ亮平は好奇心いっぱいに技術者から現場の様子を聞き取る。記事も生き生きしている。〈石油、燃える水石油......この底知れないまかふしぎなものを蔵している石油から、合成繊維が、プラスチックがうまれると、三十年前いったいだれが予想したろう〉。同年暮れ、元日付の刷り上がりをみた社長の成冨健一郎さんが「杉田はいくら褒めても褒めたりないぐらいよくやった」と激賞する場面は、読んでいてこちらもうれしくなる。
 なお川崎コンビナートでは日本触媒化学工業(現日本触媒)の工場長に取材している。高杉ファンは『炎の経営者』(1986年刊)を想起されるだろう。石油化学工業の国産化に情熱を傾けた八谷(やたがい)泰造さんを軸に時代の熱気を活写した。高杉作品のベスト5に入る傑作といえる。
 2020年刊の文庫『めぐみ園の夏』の解説で、〈どのページにも、人懐っこくて繊細で向こう見ずで利かん気な少年がいる〉と書いたが、この「少年」を「記者」におきかえればそのまま本作品に当てはまる。強引、押しの強さに加え、好奇心いっぱいの文章家。業界紙記者は天職だったというほかない。取材先は通産省(現経済産業省)にも及ぶ。〈亮平は窓を背にした化学一課長席であろうと、総括班長席であろうと石油化学班長席であろうと、空席なら座り込んでしまうほど図々しかった。(中略)他の記者のように丸椅子にちんまりしているつもりはさらさらなかった〉。日本経済新聞や日刊工業新聞、化学工業日報など競合各社の中で杉田記者の存在感は際立っていただろう。
 圧巻は1980年夏、イラン・ジャパン石油化学の取材でイランに飛んだことだ。日本とイランが国家事業として建設に取り組みながら未完成に終わったプロジェクトだ。〈ホメイニ革命途上のイランをこの目で見ておきたいとの好奇心を抑えられなかった〉。記事は帰国後約1週間で4ページにまとめた。この記事を基に取材を重ね、翌81年、小説『バンダルの塔』を刊行した。プロジェクトに情熱を傾けるミドルたちの姿を丁寧に書き込んだ。
 青年記者から経済小説作家へ。高杉さんは敬愛してやまない旧日本興業銀行の中興の祖、中山素平さんから「知りたがり屋」と呼ばれていた。この性格は82歳になった今も少しも変わらない。近年、肝臓がん、前立腺肥大症、加齢黄斑変性と相次いで病気に見舞われた。視力が衰えたが、いまも意気軒昂で「書いているから元気でいられる」とルーペを使いながらの執筆が続く。今年の年賀状には「書くことに固執している」とあった。「破天荒」な作家は次に何を生みだすだろう。

 (かとう・まさふみ 神戸新聞文化部長)

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