対談・鼎談

2021年3月号掲載

『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』刊行記念 対談

原発事故10年、コロナ禍に語る「ビジネスと教育と科学的思考」

早野龍五×新井紀子

福島の放射線調査とTwitterの発信で知られる物理学者が、「読解力」の大切さを啓発してきた旧知の数学者とZoomで語り合いました。

対象書籍名:『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』
対象著者:早野龍五
対象書籍ISBN:978-4-10-105141-3

「自ら学ぶ思考力」が必要なわけ

新井 お久しぶりです!

早野 ご無沙汰しております!

新井 早野先生とお話しするといつもお互い大好きな歌舞伎の話になっちゃうので、気をつけなくちゃ(笑)。

早野 (笑)。

新井 先生の新刊のテーマである「科学的に考えること」について、最近あらためて思っているのは、「小学校から高校までの理科教育は、大きな変化に対応しなければいけない」ということです。AI(人工知能)の進化は、これまでの機械が人間の肉体労働を代替してきたのと違って、頭脳労働のあり方にも影響を与えます。今はあっても、これから無くなる仕事も増えていく。市場から淘汰されないためには、社会に出てからも自分で最新の科学を学び続けないと、変化に適応できなくなる時代がやってきました。
 この本は、早野先生がご自分の人生を振り返りながら、これから必要な「自ら学ぶ力」、その基礎となる「科学的思考力」を身につける大切さを教えてくれる一冊だと思います。

早野 ありがとうございます。僕はプロの物理学者としても、一人のオタクとしても、かなり早い時期からコンピューターを使ってきましたが、ご指摘の通りAIの進化はかなりのスピードです。

新井 近代的な合理主義哲学の祖とされるルネ・デカルトが活躍した時代は、ちょうど日本で言えば関ヶ原の合戦、江戸時代の始まりと重なります。そこから約四百年、近代科学は進歩を続けてきましたが、二十世紀後半以降、進歩の速度は確実に上がっています。
 文系と理系を早い段階で分けるという日本的な教育は、要するに「科学や数学が苦手なら知らなくてもいい」という考え方なんですね。でもこれが効率的だったのは、ホワイトカラーや頭脳労働者の働き方にテクノロジーの進歩が影響しないという、ここ五十年ほどの極めて特殊な時代だけのことだった。これからはそうはいきません。

早野 僕はかつて中学校の理科や高校物理の教科書作成に携わっていましたが、今の日本の教科書は基本的に学ぶ範囲が決まっているので、なかなか新しい知見を載せるのが難しい。高校物理で学べるのは十九世紀までの内容です。物理や数学は積み上げが大事なので、前世紀までに作り上げられた土台も学ぶ必要があります。
 問題はその先です。大事になってくるのが、ご指摘の「自分で学ぶ力」。知人の科学者は、「今の学生は『そもそも』を知ろうとしない」と嘆いていました。問題の「答え」を知ろうとはするけれど、なぜその答えになるのか、その過程でどう考えるのかという根本を知ろうとしない。これは、科学的な態度とは真反対のものです。
 今からちょうど十年前の福島第一原発事故時、そして今回の新型コロナ禍でも、SNSを開けば陰謀論が飛び交い、科学者や専門家を自称する人々も含めて、安易で、ある意味で単純な「答え」を出す人が大量にいます。そして、それに飛びつく人もたくさんいる。その様子を見ると、大人になっても考え方の癖を直すことは相当大変なのだろうと思いますね。

新井 “科学とは何か”という問いに対して、私は「最後に数式にできること、数学を使うこと」だと答えてきました。例えば、私は文学が大好きですが、文学は科学ではありません。数式にできないからです。人間の世界には当然ながら、数式では表すことができない領域もあります。そこを探求するのが人文学の世界で、科学にはない価値もある。

日常にもビジネスにも科学的思考を

早野 その定義はよく分かります。物理学における発見とは「その現象を数式にすることができたこと」だと言い換えられます。文学と言えば、新井先生は以前、けっこうな批判にさらされたことがありましたね。

新井 高校の国語で扱う作品に『山月記』『こころ』『舞姫』が多いのは問題ではないかと書いて、批判された話ですね。あれも私からすれば、文学を批判したのではなく、簡単とはいえ科学の手法を使って分析した結果を示しただけのことです。
 私がやったのは、高校国語の教科書にどの作品が多く採用されているかを表にまとめることでした。つまり、数に還元し、データ化したわけです。数式にするというと難しく聞こえますが、表にするというのも科学の手法です。
 そこで、先にあげた三作品が多いという結果になったので、私は「この三作品はどれもエリート文系男性の挫折の物語であり、教科書の作品選定がジェンダーバイアスの固定化につながっているのではないか」と考察しました。実際にデータ上、女性の書き手の作品は詩やエッセイが取り上げられることがほとんどですから。

早野 僕は福島第一原発事故の発生直後から、放射線量や被ばくに関するデータをグラフにしてツイッターで公開し続けたのですが、そのことで一部の人の怒りを買ったという経験があります。表やグラフにすることは、科学の世界では基本的な方法なのですが、データにすると「自分の思う通りのことを言ってくれない」と怒る人が一定数いるんです。
 そこで僕がこの本で強調したのは、科学的な思考は実はみなさんの身近なところ、例えばビジネスの世界にもあるということでした。確かに数式にできることは大事ですが、それ以前に「質の良いエビデンスとそうでないものを見分けること」や「論理的にきちんと説明できているか見分けること」というのは、多くの人が日常的にやっている仕事の延長上にありますよね。
 エビデンスをベースに考え、間違っていると気づいたら修正する力を養うこと。「そもそも」に立ち返り、まったく違うと思えば最初の仮説を大胆に捨て、また一から考え直せばいい。これも科学的な思考だと思うのです。

「正解を知ること」でなく「検証すること」

新井 修正する力が大事だというのは、よく分かります。それは、最初にお話しした「科学を学ぶ必要」ともつながるんですが、私は、これからの時代は少なくとも、一生のうちに三回は転職の可能性があると語っています。

早野 三回の根拠というのは?

新井 テクノロジーの進歩の速度が上がってきた歴史を踏まえれば、これからは十〜十五年に一度、それまでの仕事のあり方を変えるような大きな変化に直面することになるだろうということです。これは労働市場そのものに影響を与えるような変化になります。AIが人間の知能を超えるといった「シンギュラリティ神話」は過去のものになりましたが、AIはより人間に身近なものとなり、人間がそれをどう使いこなすかが問われる時代になっているんです。

早野 テクノロジーは人間が使うものであって、脅威になるものではないですからね。

新井 そこで、これから大事になるのは、過去の知見を更新すること、つまり「自学する力」なのですが、これは大変に心もとない。私は板橋区の教育委員会に協力して、「読み解く力」を育成するための助言をしています。そこで分かったのは、一クラスに四十人弱いたとして、そのうち自学ができる子供は一人か二人だという事実です。多くの子供は、自習をしていても自分で答え合わせができない、特に記述式の問題で自分の解答が正解なのかどうかを判断できないんです。
 子供たちがまずチェックするのは、自分の解答が正解文と一言一句合っているかなんですね。きちんと文章を理解して「自分の解答はここの考え方が合っているから、この部分は○だけど、ここは間違っていた」というふうに判断する考え方ができない。これでは自学ができているとは言えませんよね。

早野 小学校や中学校の段階から「問題には絶対の正解があって、それ以外は全て×だ」と思ってしまうということですね。それはまったく科学的ではありません。僕が企業や組織の運営をきっかけに科学者の世界から「世間」に出て、多くの人が勘違いしていると思い知ったことでもありますが、科学というのは「正解を教えてくれるもの」ではないんです。
 科学的なプロセスを経て発表された大発見であっても、今ではもう参照されない研究もあります。科学が間違っていたことも過去にはたくさんあり、発展の過程で修正されてきました。虚心坦懐に検証を繰り返すことそのものが、科学的な思考のプロセスなんです。

新井 早野先生が長年教えてこられたような優秀な東大生は「クラスに一人のエリート層」なので大丈夫でしょうが、私が重視しているのは、クラスで真ん中くらいの成績の子供たちです。
 その子供たちが「分厚い中間層」として、自学する力を身につけて社会に出ていかないと、将来的に社会は不安定になるのではないかと危惧しています。だからいま私が子供たちに言いたいことは、「どうか科学や数学に背を向けないで」ということです。

「変な人」が活躍できる環境

早野 確かに僕の教え子たちに対しては、なんの心配もしていない(笑)。アカデミズム以外の世界で活躍できる人材も少なくないと思っています。中間層の話に引きつけて言えば、僕の今の課題は、就学前教育です。僕は今、スズキ・メソードという音楽教室の会長を務めていますが、幼い子供にとって音楽は「練習すれば進歩できる」ということを学べる最初の機会です。自分の力でできるという経験を、多くの子供にしてほしいと思っています。
 最後に、少し視野を広げた話をしましょう。僕が心配しているのは、日本の科学の将来です。僕が現役だった時代と比べて、若手が活躍できるフィールドはどんどん狭くなっています。科学関連の予算も大幅に減っている。これはアメリカや中国の逆です。
 しばらくの間は、日本でもノーベル賞が期待できるような研究成果が積み上がっていますが、多くは二十〜三十年前の業績です。今のままでは、この世代を最後に冬の時代が到来するのではないでしょうか。

新井 昔と比べて、今の日本は圧倒的にお金がないですよね。アメリカや中国をライバルと見なしビッグサイエンスで勝負することは、もうできません。
 日本の科学が目指すべきは、ユニークな研究に尽きると思います。数学の世界や基礎科学の世界には、特異な才能を持った「変な人」が集まります。そうした非常にユニークな人たちをちゃんと評価して、彼らが活躍できる環境を作ることが大事です。

早野 それがまさに、戦後の日本科学なんですよ。ユニークな基礎科学研究で世界をあっと言わせていたんです。新井先生の話で、大事なのは日本の科学の歴史に立ち返ることだと思いました。そこに希望も活路も見出せる、と。

構成・石戸 諭 
(はやの・りゅうご 物理学者)
(あらい・のりこ 数学者)

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