書評

2021年2月号掲載

奇妙な存在を信頼するための文学の冒険

イアン・マキューアン『恋するアダム』(新潮クレスト・ブックス)

茂木健一郎

対象書籍名:『恋するアダム』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:イアン・マキューアン/村松潔訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590171-4

 人工知能やロボットなどの技術が急速に発展する現代において、私たち「人間」とは何かというイメージが揺らいでいる。仕事が奪われるといった実際的な恐れに加えて、そもそも人間は何者で、いかに生きる存在なのかという根本が問われているのである。
 英文学界を代表する鬼才イアン・マキューアンによる小説『恋するアダム』は、人間そっくりに作られたロボットに触発されて動き出す物語を通して、現代と近未来における人間存在の深い陰影を帯びた姿を照射する。
 平凡な三十代の独身男、チャーリーが最新型のアンドロイド、アダムを手に入れたことから、人々の中にもともと潜在していたさまざまな問題が表面に吹き出してくる。
 チャーリーと彼の年下の恋人ミランダとの関係。男と女というジェンダー間に横たわる、どちらが知性的に優越して物事を説明する立場になるべきかという問題。国家の利益とそれを超える普遍的価値のせめぎあい。心と身体の関係。嫉妬とその反作用。家庭に恵まれない子どもの保護の問題。結婚や出産、育児がすっかり様変わりしてしまった現代において、人と人との絆、そして家族というものは、どうあるべきなのだろうかということ。
 マキューアンのすぐれた筆致は、いくつかの「破綻」や「壊滅」に至る事件を通して、人間の夢や希望、恐れ、欺瞞、嘘、そして和解を描き明かしていく。さまざまな人の思惑や行動が衝突し合い、次第にエスカレートして、物語の「温度」が上がってやがてカタストロフィーを迎えるあたりは、ストーリーテラーとしての真骨頂。そして、すべてが過ぎていった後の至福とも言える穏やかな気配は、マキューアンならではの「クオリア」(質感)であろう。
 人間の意識とは何か、人工物に心は宿るのか、関係性から立ち上がるリアリティを、どのように一人ひとりの属性として認識し直すのか。本書は、きわめて哲学的なテーマを心躍るようなエンタテインメントの中に描き出している。人間であるチャーリーとミランダ、そしてアンドロイドのアダムとの間の「三角関係」。一つの事件を良心の中で解決するために、敢えて設定されるもうひとつの偽計。複雑な背景の中で精密機械のように組み立てられたプロットに沿って人々が動く。深遠な課題を思わず頁をめくってしまう魅力的な物語に昇華する手腕はさすがだ。
 マキューアンは、人間はいかに生きるべきかを問い続けるモラリストでもある。英国最高の文学賞であるブッカー賞を受けた小説『アムステルダム』においては、安楽死をめぐっての自我と自我のぶつかり合い、芸術の追究と人間としての責務の矛盾、起こってしまったことが投げかけ続ける残照といった、人間の魂の底をえぐる問題が扱われる。ブッカー賞の最終候補になり、映画化もされた作品『贖罪』は、若き日の行為がずっと後の人生でもたらす波紋をめぐる魂の探求である。
 マキューアンの倫理観は、自我を超えた「世界」との接触によってこそ生々しく立ち上がる。『恋するアダム』においては、ロボットの登場が、一人ひとりの倫理観、価値観が問われるようなひりひりとした緊張感を生み出す。チャーリーの恋人ミランダの過去の秘密。物語が進むにつれて、「人生の前歴」や「アンドロイド」が、深い自省に至るためのきっかけとなる「外部性」を提供するのである。
 人生は一期一会であるはずなのに、私たちは生きることにいとも簡単に慣れてしまう。だからこそ、問いを切実にするために、現実を少しずらす新鮮な仕掛けが必要である。
『恋するアダム』では、実際とは異なる歴史の設定が、そのような異化作用をもたらす。同性愛の罪に問われたのを苦にして自ら命を絶ったはずの天才数学者アラン・チューリングが生存し、フォークランド紛争にイギリスが負け、ビートルズが再結成して新曲を発表するといった「あったかもしれない」歴史が、私たちが生きるこの「現実」を丸裸にする。
 現実から少しずれた場所に旅してこそ、私たちは自分の生の真実を認識の涙とともに受け入れることができる。
 フェイクニュースや社会の分断の遠心力が人間という概念を解体しかねないこの時代に、私たちという奇妙な存在への信頼を取り戻すための文学の冒険がここにある。

 (もぎ・けんいちろう 脳科学者)

最新の書評

ページの先頭へ